19 指切り

「忘れ物…?」

「ああ。それを届けてほしい。」



そう言って柳は一通の茶封筒を差し出した。

柳が言うには、この茶封筒には関東大会決勝に関する詳細が書かれてるらしい。日時とか場所とか、併せて柳が用意した会場への地図も。



「精市なら地図がなくとも大丈夫だとは思うが、一応な。」

「げん……、真田はこんな大事なもの忘れてったの?」

「そうだ。」



部を代表し、今日弦一郎は部長のお見舞いに行った。試合の詳しいことを伝えにって言うのが本来の目的のはずなのに。

どっか抜けてんだよなー。



「弦一郎とすれ違う前に病院へ向かってくれ。」

「ハイハイ…。」

「ついでに仲直りもしておくんだな。」

「…は?」



それだけ言い放つと、柳は再び練習に戻っていった。

何もかもお見通しなのはわかるけど、別にあたしと弦一郎はケンカしてるわけじゃない。

確かにあの名前の件以来、どこかギクシャクというか、呼び名を間違えないようにか、お互いあまり呼び合わないようになった。

自分が言い出したことなのに、すごく寂しがってる自分がいる。自分勝手すぎる…。



「茜先輩いってらっしゃーい!」



遠くから赤也が手を振った。
あたしも軽く手を振り返し、コートをぐるっと見渡すと、

丸井や仁王やジャッカルが真剣に練習してた。もうすぐ決勝だもんね。



電車とバスを乗り継ぎ、目的の病院にたどり着いた。
途中迷っちゃって思った以上に時間かかっちゃった。まだ弦一郎もいるといいんだけど。

いたら、ちゃんと名前のこと説明しよう。馬鹿馬鹿しいって怒られそうだけど。

部長の病室は……と、
こないだは屋上しか行かなかったから初めてだな。

てかこの階の病室、個室ばっかじゃない?もしかして部長って金持ちなんじゃ。



「…幸村精市殿。あったあった。」



精市って変わった字書くんだなー。まだ弦一郎いるといいけど……、



―ガシャーン!



…なに、今の音。なんか割れるような音?部屋の中から聞こえた。

あたしは少し嫌な予感がして、ノックもせずに、こっそり扉を開けて中を覗いてみた。

中には、こないだと同じようなパジャマを着た部長と、制服姿の弦一郎もいた。
足元には割れた花瓶が散らばって。



「落ち着け、幸村…!」



弦一郎が部長を宥めてる…?

てことは、部長が花瓶を、割った。



「俺たちは絶対に負けはしない。お前が戻ってくる頃には、必ず全国大会への切符を用意して…、」

「そんなのもう、意味はない!」



部長は叫んだ。クールに、優しげに笑う部長が。



「俺はもうテニスができないかもしれないんだ…!」

「そんなことは…、」

「さっきも言ったろ?手術が成功する確率、かなり低いって…!」



手術?手術って…、

部長はいったいなんで入院してるのか、
そういえばあたしは知らなかった。

テニスができないって、どーゆう……。



「もう帰ってくれ!」

「幸村!」

「俺はもう二度と、みんなのところへは戻れないんだから!」



―パァンっ!



乾いたような、
それでいてずっしり響く、音がした。

弦一郎が部長を殴った。



「そんなことは二度と言うな。」

「……。」

「お前のことを、皆信じている。必ず、幸村は戻ってくると。」

「……。」

「…決勝戦、俺たちは青学を全力で倒し、お前の手術に駆け付ける。」



弦一郎の言葉で、決勝戦と手術の日が一緒ということを知った。

だから弦一郎はこの、あたしが今持ってる茶封筒を持ってこなかったんだ。忘れてたわけじゃない。この紙を渡しても意味がないから。むしろ今以上に追い詰めてしまうから。



「俺は皆に、幸村は手術をして戻ってくるとだけを伝える。」



他のみんなは部長が手術をすること、知らないんだ。

きっと、部長は一人ですべてを抱えてて。

ここから覗き見えた弦一郎の顔は、かつてないほどつらそうな顔をしてた。
去年、部長が入院したときと同じように。

部長。もちろん部長が一番つらいよ。
でも、目の前の人も同じようにつらい顔してるよ。



「俺はまたみんなとテニスがしたい。」



あたしは部長の呟いたその言葉を最後にこっそり、病院を出てきた。少し弦一郎がホッとした顔をしてたから。もう大丈夫だろうって。もともとあたしの入れる空気じゃなかったけど。

学校へ戻る間、ずっと、部長の言葉が頭から離れなかった。

弦一郎も、部長も、テニスが好きで好きで好きで。

そこまで必死に、夢中になれる何かがあることが眩しすぎて。

“みんなと”
仲間を思う気持ちが、痛くて。

近いと感じてた弦一郎や、丸井たちも、
あたしには一生、入り込めない絆があるんだ。





「あ、茜先輩!」



学校に戻ってきたあたしを見つけると、赤也は走り寄ってきた。



「やけに早えな。真田は?てかケーキは?」



丸井も一旦手を止め、あたしのところへ。
弦一郎がいないとみんな割と自由なのね。

あたしはこの仲間に入れるはずはない。そんなことはわかってる。

でも、



「こら!あんたたち!サボってないでしっかり練習しろ!!」



突然叫びだしたあたしに、コート中のみんながびっくり。

そんな見ないでよ。あたしだってちょっと恥ずかしいんだから。



「決勝近いんだからね!怠けてたら上野さんのスペシャルアッパーかますよ!」



一同、ぎょっとした顔とともに不思議な面持ちで、練習を再開した。


あたしはこの仲間に入れるはずはない。

でもさ、一つの目標に向かって頑張る、
そんな素敵な時間を、共有するぐらいはできるんじゃないかなって。

みんなのバカ力であちこち飛ばされたボールを拾いながら。
あたしは溢れそうな感情を必死で止めた。歯食い縛って。

コートの外の、一応援にすぎないけどさ、

少しでもみんなの元気に、
あたしの声も、混ぜてよ。



あたしに遅れること20分。弦一郎も帰ってきた。

さっきの、つらそうな弦一郎の欠片は一切見せず、相変わらず鬼のようにみんなにたるんどるを連発した。



「げん……真田。」



一人、基礎練から始めた弦一郎に近寄る。



「…なんだ?」

「絶対優勝するよね。」

「当然だ。」

「約束!」



あたしは小指を立ててみせた。
約束といえば指切り。



「たわけが。」



ぷいっと、あたしの小指を無視すると、立ち上がり、練習に加わった。

地球が逆立ちしたって弦一郎は指切りなんてしないけど、

約束は交わされた。
そんな気がする。



「常勝立海大!」



あたしの叫んだ言葉は、当然ながらみんなの掛け声や黄色い声援にかき消されて。

でもいい。あたしだって、誰よりみんなを応援してるから。

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