決勝戦、見事勝利を収めた我が立海大附属。打ち上げもそこそこに、帰宅したのは8時を過ぎていた。
疲れて眠気も襲ってきているところに、母親から聞かされた衝撃的な今日の出来事。
「それでね、茜ちゃんがまだ家に帰ってないらしくて。」
駅前にいる、もう少ししたら帰る、との連絡も入ったらしいが、
疲れ切った足を動かし、家を飛び出た。
ただ今朝のこと、それの後悔ばかりをしながら走った。
駅に着く手前、
歩道橋に、茜はいた。
「あ、弦一郎ー!」
元気よく手を振ってみせるのは、精一杯の強がりだろうか。
「何を…しているのだ?」
「電車見てるんだよ。」
確かにこの位置からなら電車はよく見える。そんなに電車好きだったとは、知らなかった。
どんな言葉をかければいいかわからず、しばらく沈黙が続く。
先に口を開いたのは茜だった。
「昔よく、ここで会社から帰ってくるお父さん待ってたんだ。」
「…!」
「今日もここから見送った。」
「そ、そうか…。」
うまく慰めの言葉一つでもかけられればいいのだが、何も言えずにいた。そんな自分が悔しく、情けない。
茜の顔は、よく見ると泣き腫らしたような跡があった。笑ってはいてもきっと大泣きしたに違いない。
思えば、俺は今まで茜が泣いているところを見たことがない。小さい頃から、女子にしては我慢強かった。俺とは違い、いつもへらへらしていい加減でいて、でも意地っ張りな面のある、強いやつだった。
「弦一郎、ありがとね。」
「いや、俺は礼を言われることなど何も…、」
不器用な自分を激しく恨んでいるというのに、茜は実にうれしそうに笑う。それこそがこいつの、一番の強みだと思った。
「お迎えご苦労さんってこと。帰ろ。今日の試合の話、聞きたい。」
圧倒的強さを見せつけ試合に勝ち、立海大附属は王者に返り咲いた。その喜びの間、茜が一体どれほど悲しみに打ち拉がれていたのか、想像もできず。
今朝の茜。あれは、助けを求めていたのでは。あのときすでに茜は追い詰められた状況にいたのでは。
何故ほんの少しでも話を聞いてやらなかったのか。自分のことだけを考えてしまったのか。友人失格かもしれない。
「茜。」
「ん?」
「その…、お前は一人っ子だ。」
「うん。」
「つまり、明日からは母親との二人暮らしなのだな。」
「そーなるね。」
「うむ。しかしこの世の中だ、母子二人暮らしは何かと不便さがあるように思う。」
「あ、確かに。」
「お、お前もそう思うな?」
「電球換えるのとか、窓拭きとか、草むしりとかトイレ掃除とか、今まで全部お父さんがやってた!どうしよう。」
何か違う気もするのだが…。いや、やはり母子家庭では大変なことばかりのはずだ。
「そ、それでだ。その…、」
「うん。」
「つまりだな、」
「何。」
「よ、要は…、」
「だから何よ?はっきり言え。」
「お、…俺を、頼ってほしい。」
普段口にすることのない言葉とその意味なだけに、羞恥心が込み上げる。まだまだ精神修行が足りんな…。
「さ、幸い、うちの家族には男子が多い。」
「……。」
「その、…なんだ、電球の付け替えぐらいならば、すぐに駆け付けることができるぞ。い、家も隣だしな。」
「……ぷっ…、」
「む?」
「あっはっはっは!」
固まったままの茜だったが、いきなり吹き出して笑い始めた。爆笑の類いに入るだろう。
いつになく早口な俺を笑っているのか?
「な、何がおかしい!」
「いやいや、なーんにも!ははっ。」
茜は後ろに回り込み、背中をぐいぐい押す。
「さ、早く帰ろ!お父さん!」
「お、お父さんではない!」
「えー?見た目もバッチリ父親っぽいよ。」
「違う!お前は何か勘違いを…!」
「うっさい!早く行くよ。今日はトイレ掃除の日!」
「ト、トイレ掃除!?」
「頼りにしてるよ?おとーさんっ。」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
これが一年の頃の出来事。あのときは弦一郎が迎えに来てくれてうれしかったな。
あのときだけじゃない。朝迎えにきてくれること。めんどくさいはずなのに。部活忙しいはずなのに。
「弦一郎はそのときのことを今でも忘れられないそうだ。」
「そっか…。」
「そのときのことってなに!?」
「気になるっス!」
後ろから丸井と赤也が割り込んできた。
忘れてた。いたんだよね。ついつい弦一郎主演回想シーンに夢中になってしまった。
「お前も少し甘えてみてはどうだ?“娘”らしくな。」
あいつは頼られると喜ぶぞって教えてくれたけど、
そんなの幼なじみのあたしが一番知ってるもん。
あたしもすっかり忘れてたけど、あのときから弦一郎のこと、お父さんとか呼んだりするようになったんだっけ。
まぁ確かに老けてるからってゆう理由もあんだけどさ。
大切な約束、忘れてた。
思い出させてくれてありがと。柳。
帰り道、丸井にこっそり打ち明けた。あたし、テニス部が苦手だったって。
言わないつもりだったけど、ここまできたら言わざるを得ない。
「そーなの?まぁでも今は仲良くなったし平気だろい!」
その理由も聞かなければ嫌な顔一つもせず、さらっとポジティブな励ましをもらった。だからか、あたしは否定できない。
丸井たちと知り合えたこと、今はちょっとうれしい。
「明日練習見にいこっかな。」
「おう!待ってるぜ。」
可愛らしい笑顔で言ってくれた。
その顔にキュンときたのは内緒。
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