朝練もぐだぐだな感じで過ごし、ぼーっとしながら制服に着替えた。
昨日は一睡もできなかったんだ。いや一睡は嘘か。明け方にはいつの間にか寝てたけど。
あのことばっか考えて。あんな近くに寝てるし。
「千夏どうしたの?体調悪そうね。」
涼子が心配して声かけてくれて、あたしの頭の中にいる人と結びついて、胸が少し痛んだ。
「大丈夫!さー、授業いこう!」
ちょっとずつ、気付いてる。あたしはそこまで鈍くない。わかりかけてる。
でもなるべく考えないようにしてる。
歩いてる途中で、携帯にメールが届いた。
期待しつつ携帯を開き、期待通りの名前に、胸が高まった。メールをもらうのは、実は初めて。初めてだから、こんなにドキドキするわけじゃないこともわかってる。
でももう一人の冷静な自分が、ストップをかける。身体中を押さえつけるように。
これ以上はやめなって、言ってる。
『昨日はありがとうさん。眠くて死にそう。そっちは平気?』
怠そうにしている仁王くんが頭に浮かんだ。
少ない言葉の中に、優しさがあるような気がしてうれしくて。
それでもまたもう一人の自分が出てくる。ダメだってばって、言ってる。
もう気付いてるんだよ、あたしは。
でも気付きたくない。嫌なんだよ。
だって、どうしようもないんだもん。
相手は学校トップクラスの人気者で、
元からあたしなんかが手を伸ばせる相手じゃない。その上、友達の好きな人。
仁王くんが別れたこと知ったら、涼子は喜ぶかな。きっとまた挑戦するよね。端から無理なんだよ。
「おーっす、千夏!」
ごちゃごちゃ考えてると、後ろからあたしを呼ぶ声がした。…ブン太だ。
振り返ってなんだろう、胸がホッとした。
ブン太を見ると、あの赤い髪と、それに負けないぐらい明るい笑顔を見ると、心温まるそんな感じ。
「おっす!昨日はケーキうまかったねぇ!」
あたしも負けじと笑顔で返した。
意識してるわけじゃないけど、ブン太には笑顔で接したい。そう思うんだ。
「そーいや今日赤也が風邪で休みだってよ。」
「うそ!バカ也なのに?」
「そ、バカ也のくせに。どーせ昨日雨の中遊んでたんじゃねーの?」
雨…そうだ、昨日雨の中、赤也くんは送ってくれたんだった。これって完全にあたしのせいじゃない?
大丈夫かな赤也くん。メール送ろっかな。
このあと、赤也くんにメールを送らなければという気持ちになったせいか、あたしは仁王くんに返事を返すことを忘れてた。
さらに教室に入ってびっくり。もう仁王くんの別れた話が広まってた。仁王くんはべらべらしゃべったりしなさそうだし、相手の子かな。
有名人だから仕方ないかもしれないけど、こんなふうに噂されてたらさすがの仁王くんも嫌だろうな。
そう思いながら、あたしはさりげなく周りの話に耳を傾ける。
「また別れたんだってー。」
「はやっ。短すぎ。」
「フラれたってよ。」
「そーいえば最近彼女より仲いい女子いるって聞いたー。」
「えーまじで?」
あたしには関係ないし、第一、過去の仁王くんの恋愛なんてまったく知らない。別れるのはよくあることとか言ってたし、それ相応に経験もあるんだろう。だからどうでもいいような内容ばかり。
なのに、あたしは自分の中のよくわかんない感情が、徐々に高まっていくのを感じた。さっきからぐっと押さえつける自分の中の自分を、跳ね除けようとするぐらい。
先週のかくれんぼのことを思い出したんだ。トイレで、あたしの悪口が言われてた。本気で傷ついたし、泣きたくなった。
それ以上に仁王くんに聞かれたくなかった。こんな悪口言われるような子だって、思われたくなかった。
でも仁王くんの反応はまったく別のものだった。
あれは、あたしを守ってくれたんだよね?
「仁王くん、次は誰にするんだろうねー。」
誰かが漏らしたその言葉に、あたしは勢いよく立ち上がった。押さえつけられてた自分を、ついに跳ね除けた。
その瞬間にもう、いろいろ吹っ切ったんだと思う。
「物を選ぶみたいに言わないで。」
強く発した声に、教室が静まって。
みんながあたしを見た。
「仁王くんは恋を選んでなんかいない。ちゃんと相手に恋してる。」
教室がざわつき始めた。
そりゃそうよね、いきなりキレてんだもん。ついこないだ転校してきた女がさ。
でも言わずにはいられない。あたしは知ってるんだ。
「お前なんも知らねーじゃん。転校生。」
クラスの男子があたしに噛み付いた。
そうだよ、あたしは何も知らない。転校してきたばっかで、仁王くんに知り合ったのもこないだ。誰と付き合ったかとか、どのくらいで別れるとか、全然知らない。それどころか詐欺師だなんて言われてるその人間性も、よくわからない。
だけど、仁王くんはあたしを守ってくれた。あれ以上傷つかないようにしてくれた。
だからあたしも仁王くんを守りたいんだ。借りとかそんなんでもない。
だって、昨日の仁王くんは…、
「あんただって何も知らないでしょ。」
「あ?」
「仁王くんの気持ち。あたしは知ってる。昨日、仁王くんがどんなふうにさよならしたのか。それをどんなふうに受け止めたのか。傍にいたから知ってる。」
言葉を口にする度に感情が盛り上がっていく。
だって昨日、仁王くんは、傷ついてた。
涙を流してたわけじゃない。後悔や懺悔をしてたわけじゃない。ただ相手に泣かれるのを嫌と言っただけ。それだけ聞くとひどい人なのかもしれない。
でも傷ついてた。それはどんな言葉でも表現できなかったんだ。
だから代わりに涙を流したあたしにありがとうって言ってくれた。
あのときの仁王くんを、あたしは、
偽者だと思いたくない。
きっと仁王くんが理解されるのも、
自分自身を理解するのも、先の話なんだろう。
だから今はあたしが守るんだ。
「仁王くんは次、いい恋するよ。絶対。」
そう言って教室を駆け出した。先生に会わないように。ブン太や他の友達に会わないように。
仁王くんに、会わないように。
あたしは一気に学校の外へ出た。
ちょうど、タイミングよすぎるぐらいね。赤也くんから、メールの返信がきた。
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