act.12 Nioh

別に寂しかったからじゃない。
ぽっかり空いた穴を埋めたかったわけじゃない。
ただ、気付いたらここに向かってただけの話。

家に入れてもらい、二階突き当たりの部屋に通された。広くもなく狭くもなく、いかにも女の子らしい色合いの、ぬいぐるみがちらほらいる部屋。
千夏の部屋。人んちの匂いがする。



「なんか飲む?」



千夏は小さな声でそう聞いてきて、俺はコクリと頷く。
そのまま部屋を出ていきかけたが、くるりと振り返った。



「漁らないように。」



意地悪っぽく笑って出て行った。
それは漁れと言っとるようなもんじゃな。お望み通り、俺は部屋を歩き回る。

正直、足はパンパンで座りたかったが、それよりも千夏の部屋に興味があった。
机の上の写真を見たり、ちょっとごちゃごちゃしている棚を見たり、窓際にたくさん固まっているぬいぐるみの群れ。
そこに、俺のやったぬいぐるみ(♀)はなかった。
別にそんなんで傷つかんけど。

しばらくして、こっそり扉が開いた。お盆にマグカップ二つとケーキ二つを乗せた千夏が入ってきた。
…こんな時間にケーキなんか食べられんのに。

そう思いながら、そそくさとベッドに座った。部屋をウロウロしてたら怒られそうじゃし。



「…何やってたの。」

「何も。」



ふーん、と疑わしげな顔をしたまま、部屋の中央のテーブルにお盆を乗せた。
夜のせいか、お互いいつもより静か。
おかげで頭の中をぐるぐる回る、さっきまでの出来事。



「仁王くん、ほら。」

「…ん?」

「これ、ケーキ。どうぞ。」



ぼーっとしてた俺を不思議がりながら、イチゴのショートケーキをぐいっと押した。

それを見ると、何の計算もなしにすぐ、ブン太が頭に浮かんだ。あいつなら時間も構わず、うれしそうに食いまくるんじゃろな。

俺は甘いものはあんま好きじゃない。
でも断るわけにもいかず、ベッドから下りて、千夏のすぐ横に座る。



「……。」

「……。」



何も言わんが、千夏の思っとることはわかる。
“仁王くん、近すぎ!”って、顔見ればわかるぜよ。びくびくしとる。

俺も何も言わず別に離れもせず、ケーキを食べ始めた。が、想像以上に甘くて、これ以上無理だと思った。



「…あ、これね、今日ブン太とケーキバイキング行って、お土産に買ってきたの。」



沈黙を破ってくれたのは有り難いが、
あんま聞きたくはなかったかな。



「ほー、デートか?」

「ち…違うし!」

「うらやましいのう。」

「だから違うって!」

「大声はまずいんじゃなか。」



トーンの低い俺の言葉に千夏は口を結んだ。
この位置関係にも、明らかに不機嫌な俺の態度にも、千夏はびくびくしとる。



「…それでね、その帰りに赤也くんに会って、うちまで送ってくれたから、ケーキあげたんだ。」

「ほー、千夏はモテモテじゃな。」

「違うって!」

「声でかいぜよ。」



また千夏は口を結んだ。

ああ、やっぱりここに来たのは間違いだったか。別に何かを求めたわけじゃないが、
“期待を裏切られた”、自分勝手にもそんなふうに思ってしまう。

千夏も困ってるじゃろな。
いきなり夜中に押しかけてきて不機嫌。
俺なら即、蹴り返すぜよ。



「あの…、」

「なに。」

「な、なんかあった…?」



その言葉、当然じゃな。
待ってましたと言わんばかりに、俺はさっきの出来事を話し始める。



「彼女と別れた。フラれた。」

「えぇ!?嘘!?」

「嘘なんかつかんよ。」

「いやいや、よくついてるでしょ!…っていうか、なんで…?」



なんで?はこっちの台詞じゃ。
なんでお前さん、泣きそうな顔しとる?
むちゃくちゃ悲しそうな顔。なんで。



「さぁ。」

「さぁってあんた…、」

「ちょっと好き勝手やり過ぎたからかと。まぁよくあることじゃけど。」



だから別に悲しいことではない。今まで何度か経験してる。相手が好きだったかどうかと聞かれれば、まぁまぁとしか答えられない。
つまり俺が悪いに決まっとる。ただ、



「泣かれるのは、ちょっと、嫌。」

「……。」

「泣かせとるのは俺じゃけど。なんか、どーにもならん気分っちゅうか、脱力感みたいなもんかのう。」



自分自身の言葉なのに、何もかもしっくりこない気がしたら、それを追うように千夏は軽く首を横に振った。



「脱力感だけじゃないよ。別れは誰だって傷つくよ。心に傷が残るよ。仁王くんだって…、」



心に傷、か。俺にそんなもんつくのか。

ふと、千夏の顔を見て、ドキッとする。
涙がポタポタ流れ出ていた。目にまだまだいっぱい溜めて。止まる気配もなく。
…いやいや、たった今泣かれるのは嫌って話をしたばっかのはずで。



「なんで泣くんじゃ。」

「わかんない。けど、別れるって、悲しいことだから…、」

「だからってお前が別れたわけじゃないじゃろ。」

「仁王くんのために泣いてやってんの!」



押し付けがましいやつ。これじゃ俺が泣かしたみたいじゃろ。余計になんか気分が……。

いや、違うな。これはそれとは違って、感謝のような。
悲しいのか、寂しいのか、何もわからん。何も思ってないと言えば違う気もするのに、どんな言葉を使ってもしっくりこない。
そんな俺の代わりに、こいつは悲しんで切なくなって、泣いてくれたんじゃな。

こいつの涙から伝わる優しさと、
さっき言ってた、心に傷がついた人たちの想いがそばにあるようで。
俺は今初めて胸が締め付けられる、ような気がした。



「ありがとう。」



今ある気持ちを、最も表せるのはこの言葉だと、それだけはわかった。
そしてそれを助ける行動として、計算ではなく、自然と千夏の頭を撫でた。

その行為に千夏はまた、あの顔をする。こんなときにそれはちょっと反則だろ。
ああやばい。再び俺の危険信号が点滅した。



迷ったかどうかなんてわからん、俺にはもうたぶん本能で。
残る左手を、千夏に回したんだ。

同時に、千夏の体が硬直するのがわかった。
何やってんじゃ。早く手どかせ。
命令はするが、体は言うことを聞かない。それどころかますます引き寄せようとする。

いつまでも突き放さないこいつが何を考えてるかわからん以上に、俺自身も何考えてるか。
だがとりあえず、シャンプーの匂いとか、女の子らしい柔らかい体とか、啜ってる鼻水も、軽くがに股になってる足も。
こいつのすべて今、愛しいと、感じた。



それに気付いた俺の心は、急速に高まる。いくか、引くか。二者択一。
こいつの気持ちはよくわからんけど、嫌がってはいないんじゃろ。
…いや、そんな薄い勘だけじゃまずい。今までのように、大丈夫だろで進められないし、進めたくもない。
やっぱやめとくか。うーん……。

気持ちばかりが焦り、ベッドに目をやると、



「…あ、」



こんな状況にも拘わらずうっかりの声が漏れてしまった。
ようは、自分が思ってた以上にへこんでたし、うれしかったんじゃな。

俺の腕からひょっこり顔を出した千夏は、俺の視線を追う。



「あ!あれ、前に仁王くんにもらったやつ!」



ベッドの枕元にそいつはいた。目だけ動かし、窓際のぬいぐるみたちと見比べると。
ベッドのそいつは、何だか随分、可愛がられているようで、買ったときよりもいい顔になってた。
…あのときは顔の違いなんかわからんかったがな。



「あのときはありがとうね!」



単に気まぐれだったのに。そんなに喜ばれるとは思わんかったのに。
たまらず、手に力が入り、抱きしめた。



「に、仁王くん……、」

「ん?」

「これは…、えっと、このじょーきょーは…ですね、」

「うん。」



千夏の話も適当に聞きながら、自然と閉じた目も、回した腕もさらに力がこもった。

もう、いいかと思って。
さっき別れたばっかだとか、こいつとはこないだ会ったばっかだとか、こいつが俺のことどうだとか、全部どーでもよくなって。

純粋に、自分の中においてを考えると。
あんま信じられんのじゃけど、
俺、こいつのこと……、



「仁王くん!ケーキ!ケーキ食べなきゃ!」



ケーキ……?目を開けると机にはケーキ。一口かじっただけの。



『仁王!そのケーキ、いらねーんならくれ!』



虚ろになってた俺の頭が一瞬で覚醒する。
いつの話かわからん。いつもの話だから。

なんでも食いまくりで甘党で馬鹿でうるさくて、人裏切ってばかりの俺にも明るくて優しくて、いいやつ。俺の百倍、いい男。今、俺の腕の中にいるこいつのように、笑顔が似合うやつ。

そんなブン太を思い出すと急に頭が冴え渡った。俺は直ぐさま千夏に回していた腕を解いて、食いかけのケーキに向かい合う。

向かい合うとまた、なんとも言えない気分になった。イチゴの赤が、あいつの髪のようで。



「いただくぜよ。」



俺はもくもくとケーキを食べた。
千夏の顔はまだ赤くて。さっきまで自分がしていたことが現実だと、思い知らされる。

罪悪感なんてない。そんなのいらない。
でも俺が今までなんでも捨ててこれたのは、失いたくないものがあるから。それは絶対に失わないと自信があるから。

俺は食い終わると、急に激しい睡魔に襲われた。
そんな俺の雰囲気を察した千夏は、布団を敷き、寝かせてくれた。

うとうとしながら今日のことを考える。最終的に頭を支配したのは、
去年、全国大会で優勝が決まった瞬間のこと。そのときの光景と気持ち。それだった。

甘ったるいケーキの後味が残りうんざりする。
やっぱりこのケーキ、俺には甘すぎ。

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