Race.2「はやくておいつけない」

「今なんと?」

「だから、赤也の英語の先生をしてほしいんだ。」


それは期末テスト一週間前。
お昼ご飯を食べていたところに男テニ部長、幸村先輩がやってきた。
無事退院したんですね。おめでとうございます!


「…なんであたしなんですか?」

「君がテニス部二年で英語が一番って聞いたんだ。頭いいんだってね。」

「いやぁ、それほどでも!えへへ。」


こんな偉人から褒められるとは。かなりうれしい。


「じゃ、頼んだよ。赤也には俺から言っとくからね。」

「は、はい!」


学校のスター男テニレギュラーの頂点に立つ人があたしを頼るなんて。
それがすごくうれしくて、あたしは張り切ってきた。
期待に応えなくては。

そういえば、切原とはあれ以来話してなかった。怒らせちゃったし、何となく気まずかったから。

でもそのことに気付いたのは、実際彼と向かい合って勉強を始めたとき。
遅すぎました。


「……。」

「……。」


開始30分。会話ゼロ。
切原も、いかにもやる気なさそうにダラダラしてる。
というか、ペンが止まってる。
なるほど、わかんないんだな。


「えっと、そこは…、」

「ねぇ。」

「はい?」

「なんで断らないわけ?」

「………はい?」

「俺に英語教えるの。気まずいってわかってたっしょ?」


わかっていたけど忘れていたというか。
幸村先輩に頼まれてうれしかったというか。


「嫌なら嫌って言ったほうがいいっスよ。俺、ほんとぉーに英語基礎の基礎からできねーから、教えんのダルいと思うけど。」


あら、もしかして気遣ってくれてるの?意外とやさしい?
でも別にあたしは英語教えるのは嫌じゃない。唯一の得意科目だし。やっぱり人の役に立つのはうれしいし。
切原も、きっとよっぽど英語ができなくて困ってるんだろうし。


「あたしは嫌じゃないよ?」

「や、気遣わなくていいから。」

「いやいや。」

「いやいやいや。」

「いやいやいやいや。」


いやいや連発して変な感じ。
と、思っていたら、切原は笑い始めた。


「あんた変な奴だな。」

「へ?」

「俺のこと苦手かと思ってたけど。」


はっはっはってバカ笑いしてる。
いつも無邪気風なへらへら笑顔か、生意気そうな含み笑いが多いけど、こんな風にも笑うんだ。


「そーでもない。」

「へぇ。」


苦手…だったかもしれないけど、
今は本当にそうでもない。

あたしの言葉にニヤっと笑うと、切原は席を立った。トイレ行ってきまーすって。
切原が教室を出ていった瞬間、ホッとした。
知らないうちに緊張してたらしい。
やっぱり苦手なのかな。

校舎内にはまだ人はけっこう残ってる。
校庭で、サッカーをしてる人たちもいる。
でも部活はどこもやってない。テスト前だから。テニス部ですらやってない。

あたしはテニスはうまくない。でも好き。楽しいから。
練習も毎日行ってる。いつかレギュラーになりたくて。
今もテスト前だからといって休みたくない。テニスをしたい。

立海のテニス部は本当にかっこよくって、運動音痴なあたしには到底手が届くはずもないとわかっていたけど、
憧れて入った。
いつか、先輩たちのように自分の手で勝利を掴みたくて。

だから切原は本当にすごいと思う。
二年唯一のレギュラーで、エースだもん。
自称説浮上中らしいけ………ん?なんかほっぺたが…、


「……冷たっ!」


何かと思えば、切原があたしの顔に缶ジュースをあててる。


「反応おせーな。」


いつものようにへらっと笑うと、机にコーラを置いた。
でも切原はもう一個、コーラを飲んでる。
あたしの分?


「英語教えてもらった礼。」

「あ、ありがと…。」


あたし炭酸嫌いなのに…じゃなくて、
すごくうれしくなった。苦手意識があっただけに。
軽く感動しながら缶のフタを開けると。


「わぁっ!」


ブシューッと、ものすごい勢いでコーラが一気に吹き出した。
と同時に、切原も吹き出した。


「あっはっはっはっ!」


出た、バカ笑い。
待てよ待てよ、この状況、こいつのバカ笑い。さては!


「わざとでしょ!」

「ははっ!ひっかかったひっかかった!」


手はビショビショだし、机にもいっぱいコーラは零れて、


「てか、切原のノートビショビショになってるけど。」

「…うぉぅ!?」


この人、怖いとかじゃない。
ただのバカだ!


「あーあー、びしょ濡れじゃないっスかぁ。まったく。」

「言っとくけどあたしのせいじゃないからね!」

「ま、いっか。おもしろかったし。」


そう満足そうに言うと、机の上の物を片付け始めた。
…ちょっと待ちなさい。


「もしかしてもう終わるつもり?」

「もー十分っしょ。」

「40分しかやってないけど!進んでもないし!」

「明日から真面目にやるっス!」


ううむ。こんな元気良く笑顔で言われるとこれ以上突っ込めません。


「つーかさ、ちょっと打ってかない?」


切原は、テニスのフォームをとった。


「さっきからコートばっか見てんじゃん。テニスしたいんでしょ?」


………そういえば見てたかもしれない。
よく気付いたな。


「よっしゃ、行きますか!」


ちょっとうれしかった。楽しみだった。
だって、憧れのテニス部レギュラーの一人だし。
向かい合ったら、どんなふうに打つのかなって。味わいたかった。

あたしの頭の中では、切原と仲良く打ち合ってる構図がごく自然に浮かび上がった。
えーあんたけっこういい球打てんのなーとか、褒められたりして。なんちゃってー…………、


「あんた下手すぎ。」


ああ、人が気にしていることを。
そりゃああなたには敵いませんよ。

実際ストロークを始めると、力の差は歴然。
彼のテンションには付いていけなかった。
さすが大会最短試合記録保持者。


「切原がすごすぎるの!」

「まぁ、一応エースっスから!でもあんた、そんなんじゃいつまでたってもレギュラーとれないっしょ。」

「うぅ。」


そんなはっきり言わなくてもさぁ。
あたしだって頑張ってるんだからね。


「まぁ、でもよう、英語はすげーよな。」

「え?」

「テニスは俺のができるけど、英語は早川マジ得意じゃん。俺からすりゃそっちのが難しいし。」


ニコニコ笑いながら言うその顔には、気性の荒さなんかはかけらもなく、
猛獣だとか、性格悪いとか、悪魔とか、彼を表現する言葉は嫌なイメージが多いけど。

でもきっと、彼は総じて、
素直な人なんだと思う。
自分の思うままに、感じたままに表すから。


「あ、ブン太せんぱーい!」


切原は、両手をブンブン振って、少し離れたところを歩く赤い髪の先輩に叫んだ。


「おーっす、赤也!」


丸井先輩も、彼同様に明るい笑顔で手を振り返した。そして、その先輩の横には。


「あ、亜季ちゃんだ!」


松浦先輩。
先輩も、彼ら同様、いや、それ以上に可愛いらしい笑顔で手を振る。
二人はこっちにやってきた。


「お前テスト前に何やってんだよ。」

「俺は勉強したかったんスけど、こいつが打ちたいって、」

「あ、あたしかよ!」

「亜季ちゃん、ジャッカルみたい。」


切原にも丸井先輩にも爆笑されてちょっとショック。
うっひゃっひゃっひゃーって、この二人バカ笑いの仕方がそっくり。


「俺もやりてーな。千夏、いい?」

「はいはい。じゃああたしもやろうかな。亜季ちゃん、やらない?」

「は、はい!喜んで!」


あたしには願ってもない豪華キャスト!レギュラー3名!
うきうき気分で先輩に挑んだけど、


「すみません、全く相手にならなくて。」

「うん。…あ。」


しっかり頷いておきながら気まずそうにしないでくださいな。
切原のときと同様、あたしは言葉通りまったく相手にならなかった。

その後あたしと松浦先輩はベンチに座って、まだまだ打ち続ける男テニレギュラーを眺めた。
さすがだなぁ。あんなに激しく打ち合ってるのに全然乱れない。


「赤也くん負けんなー!」


松浦先輩が叫んだ。
高くて、可愛い声。


「負けないっス!」

「お前!彼氏応援しろい!」

「やだよー!」

「やーい、フラれた!」

「ぐっ…!」


本当に仲いいんだな。
ここに仁王先輩も入って、4人が仲良しって聞いた。
それでその4人の間でいろいろゴタゴタがあったって。
でもそんなことを感じさせないほど、この人たちは今楽しそうに笑ってる。

いろいろあったのは確かなんだろうけど、きっとこの人たちはそれを乗り越えて、今のこの関係に至るんだ。

噂。あたしはこないだバカなことを言っちゃった。
噂よりもずっと格好悪い、ドロドロした話かもしれない。
でもこの人たちにとっては、大切な思い出。
ちゃんと切原に、謝ろう。


「亜季ちゃん。」

「は、はい!」

「あたしたちもうすぐ引退じゃない?ブン太も。」

「そう…ですね。寂しいです。」

「あはは、ありがとう。でさ、あたしから言うのも変だけど、赤也くんのことよろしくね。」

「切原、ですか?」


ちょっと苦手だけど、
ちょっと慣れてきたけど。


「赤也くん、三年にべったりでしょ?来年から他の人とうまくやってけんのかなって。」


それはあたしも思ってた。切原は、三年と仲が良すぎる。
それなりに二年にも話す人はいるみたいだけど、三年のことをものすごく慕ってるから。


「赤也くん、あの通り性格悪いでしょ?態度もでかいし、礼儀なんて一切ないし。来年からあの子が後輩引き連れるなんて笑っちゃうぐらいガキだし。」

「せ、先輩けっこう容赦ないですね…。」

「よくブン太が言ってる。あいつのそーゆうとこは、俺らのせいでもあるって。あたしは転校してきたからまだ付き合いは浅いけど、でも何となくわかる。」


あたしは不思議だった。
なんで切原が松浦先輩を好きになったのか。
確かに可愛いといえば可愛いけど、他にも可愛い人はもっといるし、地味だし。(あたしも容赦ないな。)


「一人でもね、絶対的な味方がいたら、だいぶ違うんだよ。みんなに文句言われても、嫌われてもさ。」


でも、わかりそう。切原の気持ち。
素直に優しい。他の三年生の誰よりも中から滲み出る可愛いらしさ。


「だから、世話してやってね!」


別に切原に義理なんてないけど。
むしろ奴はあたしから見たらずいぶん偉い人で、憧れの一人。

でも松浦先輩と今、約束するから。
お世話してあげる。
性格悪くても、みんなに嫌われても、ずっとずっと、走り続けてほしい。
振り返らないで、上を目指してほしい。

あたしはきっと、味方する。
と、思う。


帰りは、さすがに切原も遠慮して、丸井先輩と松浦先輩とは別に帰った。あたしも切原の後を追った。


「切は…、」

「早川。」

「はい?」

「こないだはいきなりキレて悪かった。」


さすがうさぎさん。
のろまなあたしよりいつも先に話す。
…あれ?


「いやいや、あたしが悪かったわけだし!」

「まぁそうなんスけど。」


そこはフォローしようよ。
まぁいいか。今度はあたしの番。


「切原。あたしこそ無神経でごめんね。」

「いーえ。お互い様でいんじゃないスか?」


へらっと笑った屈託のない笑顔は、
切原の一番の魅力だと思う。


「あとね、あたし今日思ったの。」

「ん?」

「あたし、松浦先輩になりたい。」


切原は一瞬きょとんとしたけど、何か閃いたように口を開いた。


「あんた、俺に好かれたいの!?」


やっぱりバカだ…!
でも変だ。こんなバカなこと言ってるのに、あたしの言った意味と全然違うのに、
あながち間違いでもないと、思い始めた自分がいて、否定できない。


「俺、今彼女募集中っス!」


無邪気な邪気漂う笑顔。
屈託のない笑顔。

とりあえず動揺してるのがばれないように、
候補に入れといてください、とだけ言っておいた。

その言葉、いかにも社交辞令的なのにも拘わらず、うさぎさんが地味に照れてたのが、
あたしの気持ちを盛り上げることになった。

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