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「いいのかなぁ…」
「いいでしょ」
「迷惑じゃないかなぁ…」
「あのね、そんなこと言ってるから怒っちゃったんでしょ?丸井君」
私の手を引っ張る美岬の力が、少し強まった。さっきからネガティブ発言を連発する私に、少し苛立ってる様子もある。
「本当にそれが理由か、わからないけど…」
「それだよ絶対それ。真帆はいい子かもしれないけど、いい子過ぎるのも嫌がるものだよ。彼氏なら」
「……」
「全部さらけ出して欲しいって、思ってるんだよ丸井君は」
今日の丸井くんとの一部始終を美岬に相談すると、それからずっとこんな調子でお説教を食らってる。
そして、男子が部活終わったタイミングに合わせて、ジャッカルくんのところのラーメン屋さんへと乗り込もうと提案してきた。
もちろん私は最初拒否した。だって丸井くんは今日、切原くんやジャッカルくんと遊ぶって約束なわけだから。勝手に私が乗り込むとか、そんなの嫌われるに違いないって。
でもそんな私の意見は美岬に一刀両断された。“嫌われる嫌われる言ってたら逆に嫌われるよ”と。
「よし、入るよ!」
「う、うん」
そうして程なくして着いたジャッカルくんち。外から中ははっきり見えず、とりあえずもう中に入っちゃおうとなった。
「いらっしゃいま……」
入ってすぐ厨房内からジャッカルくんが顔を覗かせた。そして先に踏み込んだ美岬と、その後ろからひっそり顔を出す私に、営業スマイルから一変、びっくりした顔を見せた。
「え、なんだお前ら、どうしてウチに」
「どうしてってラーメン食べに来たんじゃん」
美岬が笑顔で言いのけると、お店の奥のほうの座席から大きな声が聞こえてきた。
「あ!先輩たち、ういーっス!」
その声のほうへ目を向けると、こっちこっちと手招きする切原くんがいた。そしてその横には……丸井くんではなく、仁王くんがいた。
「とりあえずあいつらと一緒に座るか?」
ジャッカルくんにそう言われ、案内された先へと向かうものの、私はもちろん美岬もちょっと戸惑っている。
なぜかって、いるのはジャッカルくんの他は切原くんと仁王くん。いるはずと思っていた丸井くんはいないからだ。…ちょっと遅れて来る、ということ?
「二人とも、ここよく来るんスか?」
「いやー初めてだけど、今日から常連になろうかなって。ねー真帆」
「う、うん」
「へぇ。まぁ丸井先輩もジョーレンっスからね!ちょうどいいっスね」
カウンター奥から仁王くん、切原くん、美岬、私と座っている。繰り返すけど丸井くんはいない。……なぜ?
「二人とも注文は決まったか?」
「オススメはこれっスよ!」
切原くんが満面の笑みでメニュー表を指差した。ちらっと見ると切原くんも仁王くんも同じものを食べている。美岬と顔を見合わせて、じゃあ私たちもそれと同じものをと伝えた。
…どうしよう。正直に言うと、丸井くんがいないならこのラーメン屋さんに用はない(ジャッカルくんごめん)。でも注文しないのも変だし、さっさと食べて退散したほうがいいのか……。
「ジャッカル」
ずっと無言でラーメンを啜っていた仁王くんが、厨房に引っ込んだジャッカルくんに呼びかけた。
「成海の麺は硬めで」
え?…と、私を始め他の面々から声が漏れた。別に硬めでも何でもいいけど、なんで仁王くんが私の麺に注文を……。
「参謀風に言うなら、“成海がまもなく席を立つ確率100%”…ってとこじゃな。だからそのラーメンは俺がもらうぜよ」
「どういうことっスか?仁王先輩」
「ブン太ならまだ学校じゃき。お前さんに謝るためにな」
ズズズーッと、仁王くんはマイペースに食べつつ発言もマイペースだ。遠回しなのか直球なのか、その意味を理解するのに少し時間がかかる。
…丸井くんが私に謝りに……?
「なるほどね、目的は丸井先輩だったんスね。丸井先輩なら確かにまだ学校にいると思うっス」
「え!?じゃあなんでうちらが来たときそう言わないのよ!」
「え、だって美岬先輩が俺に会いに行くってさっきメール…」
その切原くんの言葉を美岬が慌てて止めたのと、私が立ち上がったのはほぼ同時だった。
美岬が切原くんに会いに行くとメールを送っていたのは知らなかった。てことは、もしかして美岬はE組の人でも仁王くんでも柳くんでもなく、切原くんが本命?私に付き添ってくれたわけじゃなくて、自分が切原くんに会いに来たかったの!?…なんてのん気に考えつつ。
仁王くんの言う通り。私はさっき注文したラーメンは食べないのだろう。
「金は置いていきんしゃい」
まるで追い剥ぎだ。でももうジャッカルくんは麺を茹で始めていたし、仕方ない。とりあえず千円札を置いて急いでラーメン屋さんを出た。
「あれ?でも丸井先輩、最近ちゃんとテニスできてないから居残り自主練って言ってなかったっけ?」
「嘘も方便ぜよ」
「なるほどね〜」
「ジャッカル、チャーシュー3枚おまけしてくれ」
「無理に決まってんだろ!」
そんな仁王くんと切原くん(プラスジャッカルくん)の会話を、あとで美岬から聞いた。相変わらず仁王くんは何というかめちゃくちゃな人だと思った。
途中歩いたり、頑張って走ったり、左膝の痛みもあっていろんなことを考えながら学校へ向かった。
すると、学校の校門手前で女子テニス部の後輩数人と会った。
「あ、成海先輩!」
急いでいたので、お疲れ〜またね〜なんて言って通り過ぎようと思ったけど。何やら引き止められた。
「…え!?丸井くんが!?」
「はい。でも成海先輩は今日は部活に顔出してないって、伝えたんですけど」
その子が言うには部活の休憩中、丸井くんがやって来て、私の所在を尋ねられたって。…仁王くんが言ってたのは本当だったのかな。
「ありがとう!」
お礼を伝え、また足に力を入れて動かした。やっぱり膝が痛む。ちょうど折り曲げる部分だから、しばらくは屈伸もできないかな、なんて思った。
そしてすぐに着いた男子テニス部コート。そこには人っ子一人見当たらない。
男子はもちろん、女子も部活が終わって、丸井くんももう帰っちゃったのかな…。そう諦めかけたけど。
ふと、男子部の部室へ目を向けると、電気が点いていた。誰かいる。
丸井くんかもしれない。丸井くんでありますように。そう期待して、男子部の部室へとさらに足を運んだ。
「はーい」
ノックするとすぐに中から声が聞こえてきた。高めの声。丸井くんも少し高めだけど、これは違う。でも聞いたことのある声だから、きっと3年の誰かで……。
「あれ?成海さん。どうしたんだい?」
出てきたのは制服姿の幸村くんだった。その後ろに部室内も見渡せるけど、彼以外に人はいないように見える。
「あの…」
丸井くんはどこにいますかって聞けばいいんだけど。こういうちょっとした勇気がいつもなかなか出せない。私と丸井くんは付き合ってるんだし、わかんないけどきっと幸村くんもそれを知ってるはずだし、何らおかしなことではないのに。
私のこういうところが丸井くんを呆れさせちゃうんだろう…。そう思って鬱々としていると、幸村くんがクスッと笑ったのがわかった。
「君はいつも一生懸命なんだね」
「…え?」
「入って。足のケガ、血が出てるよ」
さっきから痛い痛いと思っていたけど、やっぱり傷口がさらに開いていたみたい。
さぁ早くと言われて、促されるまま、椅子に座った。すると幸村くんは、救急セットのようなものを持ってきた。
「これって今日転けたときのもの?」
「うん…」
「痛かっただろうね。かわいそうに」
救急セットを用意してくれた時点で察しはついたけど、幸村くんは私の前に跪いて、テキパキと傷口の消毒をしてくれた。
幸村くんの声色も仕草も優しくて、そうなの痛かったのーと思い出して、消毒液の独特の臭いもあってか、鼻の奥がツンとした。
途中、少し幸村くんの顔が歪んで、ハッと気づく。私ってばなんで幸村くんにこんなことをさせてるんだろうって…!
いや、幸村くんの雰囲気が逆らえないというよりは、何だかまるでお母さんのような包容力のある気がして。ちょっと甘えてしまった。
「ご、ごめん!変なことさせて…!」
「いや。単に俺が消毒液の臭いが苦手なだけだから」
「あ、そうなんだ。…でもごめん」
「気にしないで。君こそむしろ、こういうことはブン太にしてもらわないとダメだったかな?」
「い、いや、そういうわけでは…」
「安心しなよ。もうすくブン太も戻ってくる」
「え?」
「今日は自主練しててね。俺も付き合ってたんだ。だからブン太には、このあとたっぷり甘えたらいいよ」
「甘えたらって…!」
突然変なことを言われての私の焦りっぷりがおかしかったのか、幸村くんはクスクスと笑っている。ぽんぽんと広がった消毒液を拭いてくれた。
それが終わったと同時ぐらいに。ガチャッと、部室のドアが開く音がした。