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顔だけ振り返ると、そこにいたのは息を弾ませた丸井くんだった。


「大丈夫か?」

「うっ、うん!大丈夫!」


いつの間にいたのかわからないけど、こんなヒイヒイ言いながら膝を洗っているのに、どこが大丈夫なんだと自分でもツッコミたくなった。

でも、丸井くんが来てくれた。きっと心配してくれて。膝も痛い上にうれしくて、ちょっと涙が出そうになった。


「…うわ、めちゃくちゃ痛そうじゃんか」

「ちょっと痛いけど…でも洗えば大丈夫だよ」


丸井くんは私の真横から、水にさらされる傷口を覗き込んだ。すごく近くてすぐに胸がドキドキ高鳴り始めた。
…こんな近くで素足を見られるとか、変なものが生えてないといいんだけど…!


「これ持ってきたんだ」

「え?」

「使っていいぜ。タオル持ってないだろ?」


変な意味でハラハラしながら、もうそろそろ洗い切ったかなと思っていると、丸井くんからタオルを差し出された。

…そういえば私拭くもの持ってきてなかった。


「ありがとう!…あ、でも汚れちゃうけど…」

「気にすんなって」

「ありがとう!」


なんて優しいの丸井くん…!ガンガン足を濡らしておきながら、タオルも何も持ってなかった自分がマヌケ過ぎて恥ずかしい。
…いや、これレベルの恥ずかしさじゃないんだわ、さっきの派手に転んだやつは。

恥ずかしさやら情けなさやらで、丸井くんの顔は見れず。俯きながら、なるべくこのタオルが汚れないようにと、足首や傷口から離れた部分をぽんぽんと軽めに拭いた。


「タオル、ほんとにありがとう。ちゃんと洗って返すから…」

「まだ濡れてんじゃん。タオルのことなら気にしなくていいからさ」

「いやいや、大丈夫!」

「ちゃんと拭かねーと…」

「ううん、ほんとに大丈夫なの!」


わーっという歓声が聞こえてきた。今の時間は3年男子の徒競走だろうか。もしかしたら人気のテニス部の誰かが走っていたのかも。

そんな余計なことが頭の中を過ぎったせいか、丸井くんの表情が曇っていることに気づくのが、遅れた。


「…あの、丸井く」

「洗わなくていいから、それ」


握り締めていたタオルを、丸井くんは少し強引に奪った。顔も背けている。言い方もちょっとだけ荒い気もする。


「でも…」

「だから大丈夫だって」


大丈夫、大丈夫と、私はさっきから何度か丸井くんに言った。心配してくれてうれしいけど、自分のミスだし、迷惑もかけたくないしタオルなんて借りちゃって申し訳ないし。おまけに恥ずかしいところも見られちゃったし。

でも、こんな場面で大丈夫と言われることは、言われる側はどうなんだろうと、たった今思った。たった今、私は丸井くんに大丈夫と遠慮されて、悪い意味はないと思うけど、何だか…。


「…じゃ、先に戻るわ」


不自然過ぎるほど顔を背けて、丸井くんは歩き出した。

その後ろ姿を見て、やってしまったと思った。あの文化祭のときのような気分。
自分で大丈夫大丈夫と言っておきながら、丸井くんに言われた途端、それは遠慮というよりも壁を作られたような気がした。二人の距離を感じた。


「…ま、丸井くん、あの!」


靴下を履く時間はなくて、素足のまま靴に突っ込んで追いかけた。くるりと振り返った丸井くんは、怒ったような表情ではなく、どこか物悲しそうだった。

恥ずかしいとかもうそんなの考えてる場合じゃない。勇気を出すのなら今だ。


「あのね、今日って、部活あるのかな?」

「ああ、いつも通りある」

「あの…、じゃあ、部活終わってから、もしよかったら一緒に…」


一緒に帰ろうと、そう口に出そうとするも、なかなか出せなかった。なんでって、丸井くんの表情がさっきとまるで変わらないから。浮かない曇った表情のまま。

一つ変わったと言えば視線。私の目を見てくれたのはほんの少しの間だけで、すぐに下へと落ちた。
これはもはや核心を言う前に、ノーと言うだろう答えがわかった。


「…今日は赤也と、ジャッカルんちのラーメン食いに行く約束があるから」

「…そ、そうなんだ」

「悪い、また今度な」

「ううん、大丈夫…」


また言っちゃった。さっき自分で感じたばかりなのに。距離も壁もできちゃう気がするのに。
迷惑をかけたくないし嫌われたくない。そんな気持ちが余計に、丸井くんとの距離を作ってしまったんだ。

美岬に言われた、私と丸井くんには“ベタつき感がない”ってこと。それはようするにこういうことなのかもしれない。じゃあ丸井くんの言ってた、“必死になる”ってこと。どうして丸井くんは必死なのかって、考えたら…。
その原因は、気づかないうちに距離を作ってしまっていた私にあるんじゃないかって、思った。

去って行く丸井くんの後ろ姿が寂しげで、泣きたくなった。
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