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「失礼しまーす…」


玄関からわりと近いこの保健室。辿り着くのはあっという間だった。放課後だからもう先生はいないはず。だから、誰もいないのなら鍵も閉まってるはず。

でもあっさりと開いた。予想通りだった。そして目の前の椅子に、ずっと頭の中いっぱいだった、丸井くんがいた。


「…丸井くん」

「よー、どうした」


いきなり現れた私に、丸井くんはちっとも驚いてなかった。少し笑ってる感じだけど、その、“どうした”っていう言葉は、あまり意味を込めていない気がした。

ここからさっき仁王くんと会った場所まで、ほとんど離れてないから。もしかしたら、あの会話は聞こえてたのかもしれない。

座る?そう言いながら、丸井くんは自分が座ってる椅子の、隣の椅子を引いてくれた。静かに歩いて、私も座った。


「なに、ケガでもしちゃった?」

「…ううん、ケガはしてないよ」

「頭が痛いんだっけ?」


痛くないよ、そう言おうと思ったけど。丸井くんの様子が明らかにおかしくて。私のほうは見ずに、頬杖をついて、少しぼーっとしてる。

どうしたの?…そう聞いていいのかな。うっとおしいって、思われたりしないだろうか。
なんて、そんなことを考える私は、彼女失格かもしれない。

思わず視線を落とすと。何となくだけど、この空気の片鱗が見えた気がした。


「…丸井くん、足、ケガしたの?」


丸井くんの足には、正確には足首には、包帯が巻きつけてあった。
どうしたのって聞いていいものか迷ってたくせに、こんなもの見たら、そんな迷いなんて吹っ飛んだ。


「言ってなかったけど」


そう前置きしながら、丸井くんは話してくれた。

実は二週間ほど前、部活中に足を捻ってしまったそう。軽度の捻挫だったそうで、日常生活には特に支障はないみたい。部活も、足は使わないメニューなんかをこなしてたって。

もう治ってる、そう思って体育祭も楽しみにしていた。丸井くんはリレーのアンカーもやる予定だったそうで、最後の体育祭だし、何としても頑張りたかったって。

でも今日、さっきの練習中、また痛みが再発した。治ってなかったのか、また捻ってしまったかはわからないけど。
当然、リレーのアンカーどころか、体育祭自体やめたほうがいいって。クラスのみんなから一様に言われたんだって。


「でも出たいって、出るって言った。そしたらお前ワガママ言うなって、言ってきたクラスの男と、ケンカっぽくなっちまって」

「……」

「仁王が仲裁っつーか、とりあえず保健室行くぞって連れてかれて」

「……」

「しばらく二人で、ここで携帯のゲームして遊んでた。モンスト」


……えーと最後のはどうだろう。いや、でもきっと仁王くんが丸井くんを元気づけるために、だよね。

きっとすごく出たかったんだろうな。最後の体育祭だもん。丸井くんほど運動神経もよければ、これまでも、今回も、きっとクラスを引っ張っていく立場だったに違いない。……ただ。


「私も…」

「……」

「私も、出ないほうがいいと思う」


丸井くんは大人びてる、とは言い難いけど、でもけしてワガママを押し通す人じゃない。…ジャッカルくんに対しては除くけど。
それでも出たいって言うぐらいだ、余程の気持ちなんだと思う。

でも、丸井くんにはテニスがあるから。もし無理して参加してもっと重いケガをしちゃったら、絶対後悔すると思う。丸井くん自身も、容認したクラスの人たちも、止めなかった私も。


「…やーっぱ俺、ワガママだよなぁ」


全然ワガママとかそういうことじゃない。違うよっていう否定もしたかったけど。

丸井くんは机に倒れ込み、おでこをごつんと打ち付けた。そのまま顔を上げない。
でもそのままでいい。上げないで。そのまま聞いて欲しかった。


「…わ、私が頑張るから!」


でも丸井くんはあっさりと顔を上げてこっちを見てしまった。こいつ何言ってんだ?って思ってるのかもしれない。


「個人の優秀賞…は無理だろうけど。無理とか言ってる時点でダメだけど…」

「……」

「クラス優勝はするかもしれないし!とにかく頑張るから!応援してて!」


クラス違うのに。むしろ丸井くんの抜けたB組のためにも頑張るなって感じだろうけど。

でもほんの少し、頭を過ぎったことがあって。“それ”があるから体育祭出たがってる、なんてそこまで自惚れたことは考えてないけど…。

もしこれで笑ってくれたらって。こないだその約束をしたときみたいにうれしそうな笑顔でも、お前なに今そんなこと言ってんだよーと笑い飛ばすようにでも、何でもよかった。ただただ丸井くんが笑ってくれたら。

そう思って。私がもし表彰台に上がったら、個人でも、クラスでも。
それこそ私に、あのご褒美を…って。

思い切って、勇気を出して、そう続けようと思った。


「だから、あの、もし…」

「そんなの当然だろい」

「…え?」

「自分より何より応援するって。お前のことは」


丸井くんがそう即答してくれてうれしかった。でも肝心な部分はもう口から出せそうもなかった。これじゃただ単に、私の要望を押し付けただけ。

そうは思っても、恥ずかしくてこれ以上付け足せない。丸井くんはふんわり笑ってるけど、心なしか元気がない、戻ってない。


「さーてと、そろそろ行くか」

「う、うん」

「お前も休憩時間そんなに長くねぇだろ?」

「うん、もうすぐ終わりそう。…あの、丸井くん」

「ん?」


何も不便そうでなく、スッと立った丸井くん。ほんとに丸井くんの言う通り、出ても問題ないのかもしれない。だとしたら私のさっきの話はちょっと、押し付けがましかった?


「…ううん、何でもない」

「じゃ、戻るか」


歩いて一緒に戻るときも、丸井くんは全然普通だった。痛そうにもしてないし引きずってもいない。

きっと丸井くんは体育祭には出ないだろう。それはB組の人の意見でもあるけど、私もそう押した。たぶんだけど、それが決定打となって、最後の体育祭を諦めることを決めたってこと。

なのに私は、たった数分前のことなのに、早くもこれは間違いだったんじゃないか、そう思い始めてしまった。

“足、大丈夫?”そんな当たり前の優しさすら白々しく感じて、言葉にできなかった。


「あ、真帆遅かったじゃん!」

「ごめんごめん!」


戻ったときには、美岬たちクラスのみんなはもう集まっていた。ちらっとB組のほうを見ると、丸井くんも合流してる。さっきケンカっぽくなっちゃったって言ってたけど、仲直りできるんだろうか。

そういえば丸井くんは、そもそも捻挫をしたのは二週間前だって言ってた。ということは、ファミレスで会ったときはもうすでにケガをしたあとだったはず。でもあのご褒美の話が出た。ただ何となくの冗談だったのか、そこまでケガを深刻に思ってなかったのか……。

“すっげー必死になるんだなって思った”

たった今、B組のみんなと笑ってる丸井くんを見て少し安心したけど。あのときの言葉を思い返すと、すっきりしない何かが残った。
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