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優しいなぁ丸井くん。ほんとはあっちに戻らなきゃいけないはずなのに。急に一人になった私に、気を使ってくれて。
「俺もなんか頼もっかな」
「あ、まだ頼んでなかったんだ?」
「や、さっきオムライス食ったぜ」
「…へー」
やっぱり丸井くんの胃袋はすごい。いや、丸井くん自身すべてが素晴らしい人だけど。
私も丸井くんもメニューを眺めてしばらく考え、小さなケーキを頼むことにした。よくよく考えたらお家でもご飯が用意されてるし。
そしてケーキが来て食べ始めたとき、ふと思った。丸井くん、お腹空いてなかったんじゃないかって。
だって、こんな小さなケーキ、丸井くんだったらすぐにペロリと食べるはず。なのに、私としゃべりながらだからっていうのもあるだろうけど、極端に遅い。私よりも遅いくらい。
やっぱり、私に気を使って……、
「…は順調?」
「え?……順、調?」
いろいろ考えてて、うっかり丸井くんの質問を聞き逃してしまった。何の話だったろうとぽかんとしていると、丸井くんはぷっと吹き出して笑った。
「体育祭の練習の話だよ」
「あ、練習の話…」
「成海、走るの苦手なんだろ?大丈夫?」
そうなんですよ。一番苦手なのはマラソンだけど、全力疾走も得意とは言えない。だから、体育祭自体はそこまで楽しめなかった。今までは。
でも今年は丸井くんがいる。丸井くんのことを応援できる。それだけで楽しみになっちゃうんだ。
「苦手だけど…、みんなの足は引っ張らないように頑張るよ」
「ははっ。ま、頑張り過ぎてケガってのだけは、気をつけろよ」
なんて優しいの…!明るく笑いながら、ようやく丸井くんは、ケーキ最後の一口を食べ終えた。ちなみに私はとうに食べ終わってしまってました。
「私はあれだけど、丸井くんは活躍しそうだね!」
「んー、まぁ俺っつーか、うちのクラスは足速いやつもけっこういるしな」
「そうだよね、B組はなんかすごいもんね。…あ、でも個人の優秀賞も、丸井くんだったら狙えるんじゃないかな?」
「優秀賞かー…」
「うん!応援してるよ!」
私のその言葉に、丸井くんは少しだけ、ほんとにほんの少しだけ、表情が固まった気がした。
でもそれは気のせいだって思った。すぐに丸井くんは、ニコッと笑ったから。
「じゃあさ、俺がそれ取ったら、なんかご褒美ちょうだい」
ご褒美…?ってなんだろう。賞金…なわけないよね。何か今欲しいものとか、私のおこづかいの範囲で買えるものならいいんだけど。…いや待ってよ。もっと丸井くんらしい、ご褒美と言えば。
「お菓子とか?私が作って、とか」
「おー、いいなそれ!」
「あとは…、お弁当をちょっと豪華にするとか?」
「それな!そっちもいい!」
結局は食べ物に収束してしまうのが引っかかるものの、丸井くんは喜んでる。よし、それならお菓子かお弁当か、なんなら両方でも、何とかお母さんにアドバイスをもらいつつ……。
「ちなみに、リクエストってのはあり?」
「リクエスト?」
「そう。お菓子も弁当もすっげー捨てがたいんだけど」
そう言いながら丸井くんは、テーブルの上に乗せている私の手を、そっと握った。
店内があったかいから丸井くんの手があったかい、そういうわけじゃない。丸井くんの手は、いつでも優しくあたたかく私の手を包んでくれる。
「も、もちろんリクエストでも…」
「よっし!じゃあ…」
ここからは見えないけど、向こうにはB組の人たちがいる。厄介な仁王くんもいる。この席はトイレにも出口にも近いし、見られてしまう可能性もある。
そんなハラハラ感と、単純に手を握られているドキドキ感の中で。丸井くんの口から出た言葉は、私の心臓を追撃した。
「こないだの観覧車の続きがしたい」
すぐに頭が回らなくて、瞬時に意味はわからなかったはず。なのに、先に心臓がドキドキドキドキ、加速した。
“あれ”だって、頭より先に体が理解したみたい。
「ダメ?」
「…ま、まさか!全然!ダメじゃないです!」
思わず敬語になるほど動揺してしまった。力んでしまった。だってそんな…そんな…!
照れるし、何だか恥ずかしいし、でもうれしさもある。けして悪い意味ではなく、頭がこんがらがる。
そんな私を丸井くんは、堪えきれないって感じで、笑った。
「はーよかったぜ。嫌がられなくて」
「そんな、嫌がるわけないよ…!」
「でもびっくりしたんじゃね?」
「う、うん。ちょっとだけ…」
「俺もびっくりした。自分に」
「自分に?」
「すっげー必死になるんだなって思った。真帆のことになるとさ」
あ、あとテニスもだけど。そう笑いながら付け足した。さっきの話だけじゃない、丸井くんはいつもこうやって私をびっくりさせる。ドキドキさせる。
一つ、名前。もう一つ、必死だってこと。端的にしか頭は理解できてない。
でも、この上なく幸せな、うれしいことだとわかる。
そんないい意味で衝撃的な話は一段落し、そろそろ私は帰ることになった。丸井くんだって、クラスのみんなのところに戻ったほうがいいだろうし。
駅まで送るって言われたけど、さすがに申し訳ないからと、お店の外までのお見送りにしてもらった。
「あのさ」
「うん?」
「くだらないことなんだけど」
そう前置きをしつつ、丸井くんは少し口ごもった。
話は気になるものの、ふとお店の窓を見てみると。…仁王くんがこっちを覗き見してた。そして私と目が合うなりそそくさと奥のほうに引っ込んだ。
相変わらず下世話な…!でも今日は感謝しないと。今日だけ感謝。
「今日のこと、気になんなかった?」
「今日のこと?」
「今日俺、クラスのやつと遊ぶって言ってなかったじゃん。部活が休みだってことも」
言われるまで気にならなかった。気づいてなかった。別に丸井くんと付き合ってるからといって、逐一予定を把握しているわけじゃない。
でも、そうか。部活が休みなら、それを知ってたら私と…っていう選択肢もあったはず。…私から誘えるかは置いといて。
「ううん、全然大丈夫だよ」
「……」
「今まで私とも一緒にいてくれたし。…うれしかったよ」
やっぱりこういう言葉を伝えるのって、すごく照れるし恥ずかしいし。でも思った以上にすんなり口から出た。
それは、丸井くんに言われてから急に湧き上がった、モヤモヤした変な感情を意識したくなかったから。
B組の誰がいるかなんて細かくはわからない。ただ、確実に女子の姿は見えてた。だからこそ余計に向こうには行きたくなかったから。
嫌だなぁ、こんな気持ち。
「そっか。変なこと言ってすまん」
「ううん。今日はありがとうね」
「ああ。…体育祭、頑張るから」
さっきの話をしていたとき、少しだけ丸井くんは神妙そうな顔だったけど。今はニカーッと笑ってる。よかった、いつもの丸井くんだ。
大丈夫大丈夫。今日一緒にいられたのは、私のワガママを聞いてもらったようなもの。これ以上自分の勝手な気持ちは、表に出すべきじゃない。
それよりも体育祭だ。ちょっと憂鬱だけど比べものにならないぐらいの楽しみとなった。