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午前中の練習も終わり、女子テニス部はお昼休憩に入った。途中コーチに、なんかみんな浮き足立ってないかって指摘されたけど、何言ってるんですか的な目をみんなで向けて、コーチは黙ってしまった。たまに女子の連帯感が怖いって言われるのは、こういうことなのかもしれない。
「男子も休憩入ったよ!」
外の様子を見ていた美岬が部室内へと戻ってきた。ここからが勝負、とばかりに私は気合いを入れて、ガシッとお菓子の袋を掴んだ。
ふと周りを見渡すと、みんなも一様に袋を抱えている。…やっぱり男テニは人気なんだなぁ。
「うちらも行こう!」
「う、うん!」
美岬と私も駆け出した。その途中、気になっていたことを聞いてみた。
「結局美岬は朝、誰にあげたの?」
「まだあげてないよ?」
「じゃあ誰にあげるの?教えて!」
「き……柳くん」
「へぇ!柳く…」
仁王くんでもE組の人でもなかったのか。たしかに柳くんは基本的にいい人だし、背も高いし……。
そこで私の頭には再び、今朝心に刻んだあの言葉が蘇る。
“本日の要注意人物、柳くん”
「やめといたほうがいいやめといたほうがいい…!」
「え?なんでよ?」
「なんでって…」
そのお菓子は、もしかしたら違う人へと渡ってしまうかもしれない。そんなこと言っていいのかな。…あれ?よくよく考えれば、これってすごくひどいことじゃない?幸村くんも仁王くんも平然としてたけど。
たしかにバレンタインじゃないから。想いをそれに込めて渡すわけじゃない。そこに目をつけて、幸村くんたちは勝負をすることにした。彼らが悪いわけでもない。
でも、傷つく人がいるかもしれない。遊びでも、ただの季節イベントでも。
「どうしたの?真帆」
立ち止まった私を、美岬は不思議そうに見つめた。
丸井くんはそうじゃないといい、きっと違う、そう思うけど。じゃあ丸井くんだけが違ったらいいのって、それも疑問な話だ。
私は丸井くんが好きだから、少なからず想いを込めちゃってる。このハロウィンに。同じような人がいるかはわからないし、美岬だって、ただの遊びだと思ってるかも。だから、こんな風に考えるのは私だけなのかもしれない。
…そっか、仁王くんの言ってる私が頑固だって、こういうことかもしれない。足が動かない。
「真帆?早く行こ……あ」
美岬がいつまで経っても動かない私に手を伸ばしかけて、やめた。ニヤっと笑いながら手を引っ込めた。
その不自然な動作に、今度は私が不思議に思った、その次の瞬間。
私の手が、後ろから誰かに掴まれた。驚いて振り向くと同時に、その掴んだ人物は、私の手を持ったまま走り出した。男子テニス部の部室とは真逆、女子の部室のほうへ。
顔は見えない。けど、後ろから見たって誰かなんてはっきりわかる。
丸井くんだ。
そのまま部室の裏側に回り込み、建物の影へと隠れるように行き着いた。
「…ま、丸井くん…?」
そんなに距離はなかったけど、びっくりしたこともあって、すごく息が上がる。それは私だけじゃなく、丸井くんも息が上がってる。その丸井くんは制服姿で、顔も火照っていた。
「はー、キツ…」
「だ、大丈夫?今日、風邪で熱があるんだよね!?」
「ああ。だからもう早退する」
「やっぱりそうなんだ…無理しないで!」
「帰ろうと思って部室の外見たら人すげーし、こっそり窓から逃げてきた」
ふーっと深呼吸をして、丸井くんはしゃがみ込んだ。私もつられてしゃがみ込む。
すごくつらそう。初めから休んでもよかっただろうに、それでも丸井くんは来た。
もしかしたらたとえ風邪を引いてても、テニスはしたかったのかもしれない。お菓子を誰かからもらうのが、楽しみだったのかもしれない。…でも。
「丸井くん」
「ん?」
「今日のこと…どう思う?」
丸井くんは楽しみだったかもしれないし、私だってさっきまではちょっと楽しみにしてた。正直浮かれてた。おまけに丸井くんはこんなにつらそうで、そんなときにこんなこと聞くのも、おかしいかもしれない。
「私、何だか、いろいろ考えちゃって」
「いろいろ?」
「幸村くんとか仁王くんに聞いて。いいのかなぁって」
「……」
「…ごめん、なんか愚痴言っちゃって。こそこそ言うことじゃないよね」
「いんじゃね?」
さっぱりと、丸井くんは言い切った。同時に、それはそうかと納得したのとほんの少しだけ、落胆もした。
ただ私が大げさに考えてるだけ。そういうことだ。余計なことを言っちゃったって、ものすごく後悔した。
「そ、そうだよね。私やっぱり頑固…っていうか、頭固いのかも…」
「や、そっちじゃなくて。愚痴っつーか、そういう考えでもいんじゃねって」
「え?」
「俺も正直どうかとは思うけどな。お菓子を利用するとか、俺の美学には反する。でも」
「……」
「俺は真っ先に、あげたいと思った」
そう言って丸井くんは、ポケットから、小さな袋を取り出した。小さいけどきれいにラッピングされてる。
「昨日熱で死んでたけど、何とか一個だけ作れたんだ」
「……」
「遊びだしただのイベントだけどさ。俺は、お前にあげたいって、思った」
「…私に?」
自信持ってもいいんじゃないかって、仁王くんは言ってた。彼はたまーに優しいけど、今回のことでは幸村くんたちとともに、あんまりよくないんじゃないかってことをしてるって、私はそう思った。
でも、立場や事情が違えば、感じることもまた違う。仁王くんがきっと私のいいところを見つけてくれたように、私ももうすでに、仁王くんのよさは感じてきた。立場が違うからこそ、見つけられた。
今、私は自信を持ってる。小さい小さいものかもしれないけど。教えてくれたのは仁王くんだ。
「…トリック、オア、トリート」
自信なさげに呟くと、丸井くんは吹き出して笑った。
「ちなみにイタズラしていいぜって言ったら何すんの?」
「え?…なんだろう。物を隠すとか、脅かすとか、くすぐるとか…?」
「んーそっちも捨てがたいな」
「え!?」
「冗談だって。はい、どうぞ」
受け取ったそれは、小さな袋だけど、おいしそうなクッキーが入っていた。
丸井くんが私にあげたいって思って、作ってくれた。大事な大事なお菓子。
私は頑固どころか、ただの自分勝手だ。こうやって丸井くんからお菓子をもらうことができて、今日、このイベントがあってよかっただなんて、思っちゃってる。
…仁王くんたちに謝らないとな。本人たちには経緯が説明できないし、心の中で。はい、ごめんなさい。