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3日後、仁王の姿を食堂で見つけた。同じクラスの友達と一緒にいて、普通に笑ったりしてて、あーもう大丈夫なんだなって少し安心した。

仁王と長年付き合っていた彼女が、同じサークルの別の男子に乗り換えたということは、実はけっこうな範囲で知られていることだった。あの日は知らん顔して仁王からの話を待ったけど、あたしは知ってた。…でもまさか浮気っていうか期間がかぶってるとは思わなかったな。


「柚香、そのお蕎麦好きだね」


一緒にご飯を食べている友達、はるかに少し笑われる。学校の外に食べに行くことも多いし、そもそもお昼時間に学校にいないことも多いんだけど。うちの食堂で食べるとしたら、あたしはこのお蕎麦が一番好きなんだ。


「なんかこのうっすい出汁が好き」

「変わってるね〜」


そうかもしれない。あたしは変わってるのかも。好きな人が傷心で、もしかしたらそのまま関係を持つことになったかもしれないのに、あたしはそれが嫌だった。

もちろん普通に考えたら、ちゃんと手順を踏まないと嫌だと言う女子は多いと思う。でもずっと好きだった人が、それを機に自分に向いてくれるかもしれない、自分を求めてくれるかもしれないそんな千載一遇のチャンス、あっさり捨てられる人は意外と少ないんじゃないかと思う。

関西でもないのに中が透けるほど薄い出汁を見つめながら、こないだのことが頭に蘇る。あたしをぎゅっとした仁王は、万に一つの他意はなく、ただ寂しかっただけ。わかりきってる。

そしてそれがわかりきってたあたしは、あの部屋が息苦しかった。友達として、もちろん他の友達も一緒に何度か遊びに行ったことはあるんだけど、あの夜はすごく苦しかった。
まぁ上がり込んだのは自己責任だけどね。


「…あ、お疲れー」


向かいに座るはるかが声をあげた。お蕎麦を啜り途中だったあたしも急いで口に押し込み、彼女のその視線を辿る。

そこにいたのはさっき見かけた仁王。一緒だった友達はいなくなっていて一人、あたしの斜め背後に突っ立っていた。


「お疲れさん」

「……」


その仁王の挨拶を別に無視したわけじゃない。ちゃんと頷いたし目は見つめている。そしてもぐもぐ口を一生懸命動かすあたしの状況を察してもらいたい。

はるかも同じサークルだけど、大学から立海に来たいわゆる外部生だから、仁王とはほとんど親しくない。親しくないけど、それでも高校からつい最近まで、毎日のように連れ添っていた仁王とその元カノのことなんて、入学早々知ることとなっていた。


「……まだか?」


あたしの口がいまだもぐもぐ動いているものだから、痺れを切らしたかのように仁王はそう言った。さっさと口の中を片付けて話をさせろと言いたいんだろう。別にそのまま話してくれてよかったけど、もしかしたらあたしからの言葉も必要なのかと思って、口の動きをできる限り速めた。


「ん、どうぞ」


結局半壊のままお蕎麦をごくんと飲み込み、手で促すポーズをとった。その瞬間、はるかが、ちょっとトイレと言って席を外した。…いや外さなくていいんですけど。

仁王は何も言わずにはるかの席、あたしの向かいに座った。


「どうしたの?」


自分で話しかけにきてあろうことか食事中の女子を急かしたくせに、なかなか仁王は口を開かなかった。さっきのあたしみたいに、薄い出汁の一点見つめ。


「別にどうもせんけど」

「……」

「…蕎麦、好きなんじゃな」

「うん、好き」


そんな会話がしたかった、とは思えない。思えないけど、何だかいつもの仁王と違う。あたしに対して、こんな妙な態度というか話しづらそうな雰囲気なんて今まで見たことがない。

あたしもそれに合わせるかのように少し気まずくなる。ただ、あたしはもちろん仁王もこんな感じだなんて、その理由は何となくわかる。

あたしと仁王はずっと友達。中3で同じクラスになったときからの仲だから、もうかれこれ6年近い。その間きっと仁王はあたしのことを、女として意識したことなんてなかっただろう。

その二人がこないだ抱き合ったから。正確にはあたしは抱きついてないけど、それでもそんな状況で、バレンタインにチョコを渡すというバレバレな行動をやってのけた。義理だという、彼女にフラれたから同情という、そんな言い訳もできるかもしれないけど。

あたしが仁王の腕の中にいたということは、今までなら一生あり得ない状況。それがあの夜あった。あたしだけじゃなくて、仁王も少なからずそのことを意識してると思う。


「学校、来たぜよ」


頬杖をつきながら言った。手は、はるかの唐揚げ定食白玉ぜんざい付きのお盆に乗ってる紙ナプキンを弄ってる。
そのスラリと長い指には、持ちたくない違和感がある。


「うん。知ってる。よかった」

「練習も出るぜよ。今日」

「そっか。あたしも出るよ。よかった」


言葉だけで見れば素っ気ない会話だけど、実際はお互いたどたどしく、まるで異性を意識し始めの男子小学生と女子小学生だ。

そんな空気はおかしいのに。あたしと仁王とがそんな雰囲気なんて変なのに。笑い飛ばせる絶好のネタのくせに、あたしも仁王も笑えない。


「…あのな」

「うん」

「どっか、行かん?」

「え?」

「どこか遊びに。今日か明日かあさってか、来週か再来週か、来月でもいいんじゃけど」


候補日が多過ぎてこれでノーと言える人はなかなかいないだろう。そうでなくても、仁王からのお誘いなんて断れるはずがない。


「…ふ、二人で?」

「そう。…二人じゃなくても、他のやつ誘ってもいいが」


日程の候補もそのメンバーもざっくり過ぎて。それはあたしにすべて合わせるという気遣いとも取れるし、これで断ることは絶対無理だという包囲網とも取れる。…後者は考え過ぎかな。

ただ、その話し方がやっぱり仁王らしくない。たどたどしいし、遠慮がちだし、いつも以上に声が小さい。こないだ一回だけやらせろ連呼していた男とは思えない。


「…あ、まだだった?」


そうこうしているうちに、トイレからはるかが帰還。恥ずかしながらタイミングを間違えてしまいましたとでも言い出しそうな顔。


「や、もう大丈夫じゃき。席すまん」


立ち上がり仁王が謝った。その話し方は、ついさっきまでとはガラリと変わり、愛想がいいとは言えないけど飄々としたいつもの雰囲気に戻っていた。

あたしが何も答えなかったから諦めたのかな。仁王はそのまま去って行こうとした。…けど。


「また連絡する」


あたしの横を通る瞬間、頭に触れられそう言われた。といっても仁王は前を向いてたし触れたか触れないか微妙なほどの感覚で、その手はすぐにポケットへと仕舞われていった。


「なになに、なんかいい感じな話!?」


気を利かせてくれたとはいえ、どんな話だったのかはるかは興味津々な様子。


「…どっか、行かないかって」

「マジで!?やったじゃん!」


このはるかのように明るく素直に喜べたらどれだけよかったか。こんなリアクションであれば、仁王も少なからず喜んでくれたんじゃないか。


「ついに報われるときがきたかー…長かったねぇ」


なんで彼氏作らないの?好きな人できないの?と、大学1年の夏頃にはるかから聞かれたことがある。はるか含め周りの友達にほとんど彼氏ができた時期だった。あたしにも好意を寄せてくれた男子がいた。

あたしの答えは半分イエス半分ノー。彼氏は欲しいけど、好きな人がいるからと。その好きな人にはずっと彼女がいるからと。仁王とその彼女は高3からずっと付き合っていた。

普通なら諦めるか冷める。やっぱりあたしは変わってる。想い人からのせっかくのデートのお誘いも濁そうとするなんて。


「仁王はたぶん、まだ忘れられてないよ」


呟いたあたしの言葉に、普段は明るいはるかがすごく寂しそうな顔をした。あたしの代わりにかな。

さっきの、紙ナプキンを弄っていた仁王の指の違和感にも、触れたか触れないか微妙な感覚の指先にも、あたしはうれしさと苦しさの両方を抱いていた。

また近いうちにあの仁王の部屋に行くことはあるのかな。少しの期待、それがあたしをもっと苦しくさせた。
でも正直こういう展開を待ってた
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