08.晴れても

「ゲームセット、ウォンバイ…ー」


審判の声が響いたあと、会場に割れんばかりの歓声が湧き上がった。立海は応援団もたくさんいたし、他にも立海の全国3連覇を願って観戦していた人もたくさんいたはず。

でも途中から、王者を破ろうとする挑戦者に期待を寄せる目や声が増えていったように思う。しまいには会場全体がそんな雰囲気に感じて飲み込まれていった気がした。
それは気のせいじゃなく、実際にうちを倒した青学には、期待を寄せていた会場全体から、耳が張り裂けそうなほどの歓声と賞賛の嵐が送られている。
ただそれを、俺は見るだけだ。

…でも仕方ない。もう敗者だから。俺らの夢や目標は、叶うことなく破け散った。


「丸井先輩」


表彰式後、みんなで固めていた荷物を片付けている最中に、綿谷が寄ってきた。もちろん制服姿で、カバンとその他にも大きめな紙袋を持っていた。


「お疲れ様です」

「おー、お疲れ」


しゃがんでたから立ち上がったけど。正直、あんまり綿谷の顔は見れなかった。
好きだと気づいてから俺の気持ちは変わっちゃいないけど。なんていうか、それとこれとは別で。


「あのー」

「?」

「ちょっと」


向こうのほうを指差しながら、あっちへ行こうと誘ってる雰囲気だった。

ただ、綿谷には悪いけどあんまり乗り気じゃなくて。まさにそんな気分になれないってやつ。変に感じ悪い態度取っても申し訳ないし、どうしようか断ろうかと迷っていたら。


「10分程度なら時間もあるぞ」


近くにいた柳が、涼しい顔して俺らにそんなことを言い出した。


「お気遣いありがとうございます!お借りします!」

「えっ、ちょっと」


綿谷は柳に深々とお辞儀をすると、俺の腕を掴んで走り出した。

もう帰り始めている観客たちの波を縫いながら、休憩所みたいなベンチに辿り着いた。


「いやー柳先輩ってすごくお節介ですね」


さっきは笑顔でお礼を言ってたくせに、今は笑顔でけろっと毒を吐く。…まぁこいつが調子いいのはいつものことか。

自分の試合にしても他のやつらの試合を見守るにしてもすげー体力を使う。気持ちが沈んでるばかりじゃなく、体もヘトヘトで、ベンチにどっかりと腰を下ろした。


「すみませんね、連れて来ちゃって」

「いやいいけど。なんでこんなとこ?」

「人気のないところに行きたかったんで」


そう言いながら綿谷は俺の横に座った。

人気のないところに連れて来るってことは、当然あの話になるんだろう。それはうれしいし、俺も試合終わったらすぐにでもその話をしなくちゃって思ってたけど。

でも今は、すげー自分が情けないから。惨めに感じるから。


「このあとどっか食べに行きますかね?」

「どうだろうな。そんな話出せる空気じゃなさそうだけど」

「よかった。じゃあこれ」


綿谷は、持ってた紙袋からアルミホイルに包まれた塊を差し出した。


「なにこれ?」

「おにぎりです」


開けると、中には確かにおにぎりが2つ入っていた。これを俺にくれると。


「お前が作ったの?」

「はい。真心いっぱい込めて作りました」

「へー。サンキュー」

「ついでに手垢もいっぱい」

「んなこと言うなよ、食う気なくなんだろい。…食うけど」


そうは言ったものの、なかなか口をつけられない。いや、手垢がどうのじゃなくて。単純に食欲がなかった。腹は減ってる気がするんだけどな。


「食べてくださいよ。先輩が元気になるようにって、中に愛情込めたんで」

「…具は?」

「だから愛情です」

「ただの手抜き塩むすびかよ!」

「うちには具になりそうなの塩辛しかなくて。夏なんでやめました」


まぁそれは正解だな。余談だけど俺が最も恐れている体調不良は、インフルエンザでも気管支炎でも骨折でもない。胃腸炎と食中毒だ。飯食えなくなるからな。

さぁ早く時間ないから!と綿谷に急かされ、ゆっくりとそのおにぎりを食べ始めた。けっこう大きめのそのおにぎりは、言われた通り具ナシで。


「綿谷」

「はい?」

「塩いっぱいつけた?しょっぱい」

「めっちゃ汗かいただろうし、多めにつけたかもです」

「うん、しょっぱい。うまいけど」


具はなく味もねえのかなって思ったけど。多めにつけた塩のおかげか、さっぱりとしてて、冷たいご飯でもご飯の味をよく感じられるおにぎりに仕上がってた。
なかなかうめーじゃん、と思いながら、2つ目のおにぎりをかじった。これも同じようにしょっぱいのかな。

ふと、夏の合宿を思い出した。具体的にどの場面ってわけじゃないけど、暑くて、めちゃくちゃ汗かいて、風邪も引いて一時引きこもってたけど、中学最後の合宿、充実してたなーなんて。

そしたら急に、おにぎりの味がしなくなった。上を行く手抜き具合で、2つ目は塩つけてねーの?って、聞こうと思った。…けど。


「胸貸してやりましょうか?」


シクヨロも大丈夫も言えない。喉が詰まっちまって。味もしなけりゃ口の中のご飯も飲み込めない。

ただ俯く俺の頭に手を回した綿谷は、無理矢理引き寄せた。おかげさまで俺の情けない顔は、綿谷の胸に隠された。

おにぎり持ったまんま、俺も腕を綿谷の背中に回す。よしよしと、頭を撫でられて、負けたばかりじゃなくこんなことまで、情けない気持ちがどんどん膨らんでいく。


「全然…、敵わなかった」

「イケメン度では会場内でナンバーワンでしたよ」

「俺、たくさん練習して、新しい技も編み出したのに」

「そういえば腹チラしてましたね。セクシーでしたよ」

「もう…、あいつらとの夏が終わっちまった」

「仁王先輩と友達やめるチャンス!…あ、クラス一緒か」

「お前ふざけてんの?さっきから」


せっかく俺がセンチメンタルにこの熱くて儚い感動の夏を振り返ってたってのに。空気を読まない綿谷の発言に、涙は一旦引っ込んだ。

そして体を離して半ば睨みつけるように綿谷を見ると。
綿谷の目にも、いっぱいの涙が溢れていた。


「なんで…お前が泣いてんの」

「先輩が泣いてるから。先輩が悲しいときはあたしも悲しい」


引っ込んだ涙が再び目にいっぱい溜まって、同時に鼻水も飛び出そうだったけど、それは勢いよくすすってなんとか堪えて。

今度は俺から、キツく綿谷を抱きしめた。綿谷も、同じくらい抱きしめ返してくれた。

それからしばらく一緒に泣いた。お互いの嗚咽が相乗効果になり、余計に止まらなかった。
もしかしたらもう、柳に言われた10分は過ぎてるかも。探しに来られてこんな泣いてる姿を見られたら恥ずかし過ぎる。

でも、今日のそのまんまの俺を、綿谷に見てもらえてる。恥ずかしさも情けなさもあるけど、なぜか場違いなうれしさもあって胸がいっぱいになった。


「綿谷ー」

「はい」

「俺は今日で引退だけど」


もうそろそろみんなのところに行かねーと。顔は見えないけど、お互いの呼吸でだいぶ落ち着いてきたのはわかった。


「お前にはこれからも一緒にいてほしいんだ。俺と、付き合ってくれ」


さっき綿谷は、俺が悲しいときは自分も悲しいって言ってくれた。それは俺にとってもそうだと思う。綿谷が悲しいときは、俺も悲しい。

それならきっと、俺が楽しいときは綿谷も楽しくて、綿谷が楽しいときは俺も楽しい。
引退して学年も違うし、確かに部活の先輩後輩としたら接する機会は減るんだろうけど。

だからこそ、やっぱり綿谷と一緒にいたい。だって俺は…。


「丸井先輩、先に言うこと言ってないっすよ」


耳元で、笑い混じりのちょっと鼻声な綿谷の言葉が聞こえてきた。
先輩の告白にケチつけるなんてよ。まぁ綿谷らしい。


「好きだ。綿谷のことが好き」


どうよ?うれしいか?とばかりに、少し体を離しながら、俺はめちゃくちゃ満足気に綿谷の顔を覗いた。

その綿谷の顔は、ニンマリ。してやったり、の表情だったかもしれない。


「あたしは“ごちそうさま”のつもりだったんですけどね」

「…は?」

「でも丸井先輩の気持ちが聞けてうれしいです。先輩はまだ悲しいかもですけど、あたしは急にハッピーです」

「……」

「あ、さっきの答えですけども、聞きたいですか?」

「お前、ハメやがったな!」


怒りの俺に綿谷は、たまに見るアレ、きょとんとした間抜け面を見せたかと思うと、吹き出して一気に笑い出した。


「いーじゃないですか!ハッピーエンドで!」

「よくねぇ!俺めちゃくちゃ恥ずかしいやつじゃん!」

「全然!ちょー男前!」

「……そうか?」

「今さらですか?」

「…そーだぜ、今さら!」


ケタケタ笑う綿谷を見て、俺の怒りもだんだんと鎮まってきた。

腹も立ったけど。恥ずかしいしやっぱり情けないけど。
こんな綿谷と、いつまでも一緒にいたいって気持ちに、変わりはない。


「で?」

「はい?」

「答え、聞いてねーけど」


もう10分なんてきっととっくに過ぎてる。でも、今のこの瞬間をあっさり手離したくない。

お祭りのときにやったみたいに、綿谷の腰に手を回してぐっと引き寄せた。
早く教えて、と耳元で囁くと、くすぐったかったのか照れてなのか、綿谷の笑った吐息が俺の耳にも降りかかる。


「あたしも好きです。同じ気持ちです」


それを言い終わる前に、ほっぺにキスをした。すると綿谷はちょっとの抵抗のつもりか、俺の肩をぐいっと押した。これはアレだ、さっきの仕返しってやつだから。


「もーちゃんと聞いてください!」

「聞いてるぜ。続けて」

「…いや、もう終わりですけど」

「まだいろいろあんじゃん。いつから好きだった〜とか、先輩のこんなとこが好き〜とか、そういうの聞きたいんだけど」

「うーん……また今度考えときます。恋に落ちた設定とか」

「設定ってなんだよ!」


相変わらずの調子の綿谷だけど、でもやっぱり楽しいから。ぎゅっと締め付けるように再び腕の中に綿谷を戻して、ああ幸せだと感じた。

こっからはもう当然、合宿のときもお祭りのときも叶わなかった悲願を。手を顔に添えると、綿谷は軽く俯いてはにかんだ。


「やっぱ先輩エロいっす。手早いっす」

「好きなんだから当たり前だろい」

「仁王先輩の悪影響?」

「いーや、俺の本能。お前が…芽衣がかわい過ぎるから」


言い切った俺の言葉に、綿谷はいつものケタケタ笑いではなくちょっと大人っぽい、でもやっぱりかわいい笑顔を向けてくれた。

ゆっくりと重なった唇は、ちょっとムードぶち壊しになる程度にはしょっぱかった。
でも気持ちは甘く、胸のドキドキは堪らなかった。



そしてその後みんなのところに戻ると……。立海は誰一人いなかった。


「え?置いてかれた!?」

「うわー、薄情ですね先輩方」

「マジ薄情だなあいつら!…ん?」


そのとき、俺のスマホにLINEが。送り主は柳だった。


“皆、学校近くの焼肉屋に向かった。お前と綿谷も二人きりの時間が惜しいとは思うが是非参加して欲しい。”


ちなみに黙ってるのは今回限りというのを合宿んときに使ったからって、今回はみんなにお前たちのことは報告しておいた、だとよ。


「やっぱ柳先輩ちょーお節介!」

「つーか、まさかさっきの俺らのやつ見られてたんじゃ…」

「え!?」


もしそうだとしたら恥ずかしい通り越して死にたい。綿谷も同じ気持ちだったらしく、しばらく二人で悶えてたけど。


「…とりあえず、みんなのとこ行くか。あんま行きたくねーけど」

「…はい。…あ、あたしは帰ろうかな」

「ダメだ。一緒に行く。絶対連れてく」

「えー!」

「もうバレてんなら開き直って俺の彼女だって自慢してやる!」


さすがにみんなの前では恥ずかしくてできなそうだけど。というか綿谷がそれは勘弁って真顔で言うから。


「じゃあ、行きましょうか」


差し出された綿谷の手をぎゅっと握った。もちろんみんなと中学最後の大会の打ち上げへと急ぐけど、なるべく二人の時間が続くように、心なしかゆっくりと。


「今日も雨降んのかな。めっちゃ晴れてたけどお前といるし」

「大丈夫ですよ、あたし気づいたんです。丸井先輩たぶん晴れ男です。もう見た目からして晴れです」

「そうか?晴れっつーなら俺よりジャッカルじゃね?太陽的な」

「確かに。…いや、それでも丸井先輩は晴れ男です。だからあたしとぴったりです」

「まぁ相性はバッチリだな」

「はい!」


俺の夏はこれで終わり。でも終わりであって終わりじゃない。目に映る沈みかけの太陽が、また明日の朝昇るように。

頭の中にはエンドロール。主演はもちろん丸井ブン太と綿谷芽衣で、監督はー………思いつかないからパイレーツ・オブ・カリビアンの人で。

でもエンディングソングはラブソング。俺と綿谷改め芽衣との、始まりの歌になるだろう。


END

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