07.降っても

この浴衣は史上ベストチョイスだと。鏡に映る自分は、出どころ不明なものすごい自信に満ち溢れている。


「8時半までには帰ってきなさいよ」

「はーい」


母親のそんな声を後ろに聞きつつ、下駄を吐き外へ出た。いつもなら夜ご飯までには帰って来なくちゃダメだけど、今日はお祭りだということで、ちょっとばかし猶予を与えられた。

カランコロンととても風流な音に酔いしれながら、待ち合わせ場所である公園へと急ぐ。…丸井先輩ももう向かってる頃かな。

公園に着くと、同じように待ち合わせをしている人たちがたくさんいた。女子の集団や、親子、あたしと同じく彼…いやあたしは違うけど、ようするに相手待ちの人など様々で。


「あれ、綿谷?」


早く来ないかなーと思いつつ、わかりやすいようにと公園の入り口ど真ん前に立っていると、見知った人らに声をかけられた。
…女テニの部長以下先輩たち。ヤバい、と瞬時に思った。


「こ、こんばんは!」

「なに、綿谷もこれからお祭り?待ち合わせ?」

「はい…まぁ…」

「へー。小木と?」


あたしと梨花子がプライベートでペアなのはこの部長たちもよくご存知のこと。当然、待ち合わせとなれば待ってるのは梨花子だという予想になるんだろう。

でも相手は丸井先輩。部長たちにウソをつくのは申し訳ないけど…あたしはハイと首を縦に振った。梨花子だと思われていたほうがこの際いい。

そして今丸井先輩は来るなと思った。さっきまでは早く来いと思ってたのに。


「じゃあまたね。また会うかもしれないけど」

「は、はい!お元気で!」


あたしの賭けみたいなウソは成功したようで、部長たちはお祭り会場へと歩いて行き。
ギリギリセーフ。入れ違いのように丸井先輩がやって来た。…ヤバい、私服ちょーカッコいい。


「悪い、遅くなって」

「いえいえ全然。こんばんは」

「こんばんは。…えーっと…浴衣だな」

「え?あ、はい、浴衣です」

「その…」


丸井先輩はあたしの目の前で立ち止まったまま、なんだかそわそわしている。というかあたしもそわそわしている。丸井先輩の言葉を待ちながら、視界の端にいた部長たちが完全に消え行くのを見守っているから。


「……やっぱ何でもない」

「?」

「そ、そんじゃ行こうぜ」

「あ、ちょっと待ってください!」


急ぐように足を踏み出した丸井先輩の腕を掴み、ストップをかけた。もう部長たちは完全に消え去ったけど、今行ってしまうとあっさり会ってしまうかもだしヤバいし…。一応、丸井先輩には報告しておこう。


「あのですね、実はさっき」


言いかけると、丸井先輩はあたしの腕をするりと外し、そのまま手をぎゅっと握った。あったかい。


「さっき?」

「…え、えっとですね」


私服でデートで手を繋ぐなんて、まるで彼氏と彼女のようで。肝試しのときも繋いだけど、あのときは体調不良だったしいろいろあったし、繋ぐことに違和感や緊張感もあまりなかった。

でも今は二人きりのデートだ。余計にドキドキしてくる。おまけにいつの間にか指先を絡めるいわゆる恋人繋ぎになった。
だから口ごもってしまって。そしたら丸井先輩が口を開いた。


「…あのな、俺もさっき言おうと思ったんだけど」

「?はい」

「それ、すげーかわいいな」

「…それ?」

「浴衣。かわいい」


照れ臭そうに笑う丸井先輩を見て、胸がきゅーんとした。すごい、笑顔だけでこんなに人をときめかせるなんて。やっぱり丸井先輩はすごい……。

いや、丸井先輩のすごさって言うよりも、きっとあたしが。


「…あ、ありがとうございます。先輩もカッコいいです」

「そうか?その…サンキュー」

「…今さらだろって言わないんですか?」

「え?あ、そうだな、今さらだな」


あたしも丸井先輩も、お互い直球で褒めることはなかなかない。もちろんあたしは心の中では先輩すごいなぁとかカッコいいなぁなんて思うけど、実際口に出すことは非常に稀で。

お互いきっと照れてるしナンダコレって感じだろう。すごくくすぐったいっていうか。


「んじゃ…、行くか」

「はい!」


そのいつもはないくすぐったさのせいで、肝心なことを伝えそびれてしまった。

歩きつつ思った。丸井先輩とはこうして何度か歩いているけど、いつもゆっくりめだ。丸井先輩自体が歩くの遅いのかなって思ったけど、言っても男子だし、やっぱり合わせてくれてるのかな。今日は下駄だしちょうどいいとも感じる。

よく、楽しい時間はあっという間だと言う。丸井先輩と一緒の時間は楽しいけど、あまりあっという間には思えない。
それはこうやってのんびりと歩かせてもらってるからかな。


「まずどこ行きたい?」

「そうですねー…わたあめとか?」

「お、いいじゃん行こう!」


程なくして着くなり、うちらはわたあめ屋を探した。なぜあたしがわたあめ屋を提案したのか、それはもちろんわたあめが好きだからというのもあるけど。

実は事前調査済みである。丸井先輩の今欲しいものナンバーワンは、わたあめ機であると。つまりわたあめをこよなく愛しているわけで。だからこそのこの提案。どうですか丸井先輩、こいつとは気が合うってさらに思ったんじゃないですか?さすが綿谷だぜ!ってまたあのカッコいい笑顔を見せてくれるんじゃ…。


「あったぜわたあめ!並ぶぞ!早く!」

「あ、待ってください…!」


あたしのそんな打算は丸井先輩には通じなかったらしく、わたあめ屋を見つけるやいなや先輩は手をぐいぐい引っ張り駆け出した。
…わたあめ屋は別に逃げないし、さっきは歩くスピードを合わせてくれるなんてやっぱり男前、なんて思ったけど。


「俺二つ頼もーっと!」

「食い過ぎっすよ」


でも、こんな丸井先輩のほうがらしくていいかな。さっきのくすぐったさもいいけど、こういう丸井先輩もやっぱり……。


「…あ」

「ん?どうした?」


うれしそうにわたあめを心待ちにする丸井先輩の顔を見つめていると。その背景に、見知った連中が。

隣のからあげ屋に、部長たちが並んでいる…!やだ、丸井先輩はわたあめなのに女子部はからあげとかカッコいい……。
そんなのん気なことを考えつつ、丸井先輩の手を掴みそこから走り去った。下駄のせいで足がもつれそうになる。


「おい、どこ行くんだよ!」

「ちょっと人気のないところまで!」

「はぁ?」


舞い上がっててすっかり忘れてたけど、今日はあの連中に合わないように細心の注意が必要だったんだ。

出店の並ぶ人混みから外れ、文字通り人気のない、というか人が寄り付かなさそうな倉庫みたいな建物のところまでやって来た。


「なに、いきなりなんだよ」


ハァハァと息切れするあたしとは違い、丸井先輩はけろっとしている。ただ、ご所望のわたあめを直前で反故にされ、ちょっと不機嫌そう。


「いえ、あのですね」

「なに」

「言いそびれてたんですけど、さっき丸井先輩と会う前に、部長たちに会って。女テニの」

「女テニ?」


ようやく伝えると、丸井先輩は来たほうをくるりと振り返った。ここからは見えないけど、人混みぐらいは見える。その中に彼女らがいることを今、想像しているんだろう。


「見つかったらまずいってこと?」

「はい。…さっき、小木と待ち合わせしてるってウソついちゃって」

「なんでウソつくんだよ。会うかもしんないのに」

「いやーだって…」


別に丸井先輩といることを知られるのが嫌ってわけではない。嫌ってわけではないんだけど…。

恥ずかしいから?照れるから?たぶんそんな気持ち。でも、丸井先輩が全然そんなつもりはなくて、まったく共感してもらえなかったらどうしようって焦った。…でも。


「…まぁそりゃそうか。俺も今日のこと、ジャッカルにすら言ってねーし」


納得したようにそう言いながら、丸井先輩は建物に背をもたれながらしゃがみ込んだ。あたしもその隣に座り込む。新しいこの浴衣が下につかないよう気をつけながら。


「すみません。わたあめ食べたかったですよね」

「食いたいけど。でもしょうがねーよ」

「すみません」

「それよりさ、ちょっと聞きたいんだけど」


しゃがんだまま丸井先輩はあたしの手を取り、また恋人繋ぎになった。
さっきから普通に繋いじゃってて、なんでうちらがこんなことって、そうも思うけど。
ドキドキするし、なんだかすごくうれしい。


「たとえばの話な。たとえば、お前が誰かと付き合うことになるとするじゃん?」

「…は、はい」

「そしたらさ、付き合ってることを周りには秘密にしたいって思う?」


丸井先輩のそのたとえ話は、あたしの中ではあくまでまだ想像だけど、すごく身近な、すぐそこの未来のように感じられた。…ちょっと自惚れ過ぎかな。


「そうですねー…、あえて秘密にしたいってわけじゃないですけど」

「うん」

「まぁ3月の卒業とまでは言わないですけど、やっぱり引退するぐらいまではーとは思いますかね。大会中だし…」


そこで、あれ?と思った。この答えって、その付き合う相手が丸井先輩っていうのが前提になってない?自惚れ過ぎだと不安になってたくせに、めちゃくちゃ自惚れ発言?


「すみません!なんか変な回答だったというか…」

「なるほどな。よし、わかった」

「え?」


あたしのめちゃくちゃ自惚れ発言というか妄言に、丸井先輩はどこか納得したように頷いた。


「一応はっきり言っとくけど、俺は彼女ができたら周りに言うぜ。一緒に帰ったりしたいし、他の男を近寄らせたくねーし」

「…はぁ」

「で、お前は引退するまでは秘密にしたいタイプだと」

「まぁそんな感じで…」

「だからつまり、この大会が終わったらってことだ」


なにが?…そう白々しく聞くのは恥ずかしくてできない。
だって、さっき感じたすぐそこの未来が、頭の中に鮮やかに浮かんできたから。優しく笑う丸井先輩の顔も、繋がる手にも、胸が今まで以上にきゅーんとした。

と、そのとき。なんだか周りの鬱蒼と茂る草や木から、音が聞こえてきた。パサパサ、って感じの音で。
それが雨だと気づいたのは、自分の顔にもぽたぽたと降ってきたからだ。


「わー雨かよ」

「わー最悪…浴衣が」

「お前ほんと雨女だな」

「すみません」


とりあえず、今いる倉庫のような建物の狭い軒下へと移動し、立ちんぼのまましばし雨宿りをすることにした。


「せっかく新しい浴衣なのに、汚れちまうかな」

「や、どうせクリーニング出すんで」

「そっか」


丸井先輩のためにっていうと自惚れどころか恩着せがましいけど。でも今日のデートでかわいいって思ってもらいたくて選んだ浴衣。多少汚れたとしても、期待した通りに丸井先輩がかわいいって言ってくれたから、それだけで満足だ。

そんなことを考えていたら、丸井先輩があたしの浴衣の袖をぐいっと捲った。


「どうかしました?」

「いや、これどうなってんのかなって」


兄弟も男子のみだし、そんなに浴衣を目にする機会がなくて珍しいのか。確かにおはしょりの部分とかは知らない人はよくわからない構造なのかも。

そう思っていると、先輩は今度は身八つ口に触り…。ていうか、そこの先は普通に脇とかが見えちゃうんだけど。


「ちょ、ちょっと先輩」

「え?」

「なんか…そこ脇なんで、くすぐったいっていうか」


ぶっちゃけエッチ変態見ないでと思い始めた瞬間、丸井先輩の顔が目に入った。その顔は、ニヤーっと笑ってる。


「くすぐったいの?」

「いや…その…」

「ここ?」


素肌、ではなく下着の他にもう一枚着てるけど。限りなく危うい身八つ口付近をくすぐられ、純粋なくすぐったさはもちろんのこと、恥ずかしさというか、とにかく体が熱くなる感覚。


「ちょっと先輩!」

「いいじゃん、人もいないし」


何がいいんだかそんなことを笑って言いのけながら、丸井先輩は手を、あたしの脇腹を通り越して腰に回した。ぎゅっとそれこそ帯みたいに抱きつかれる。


「嫌?」


嫌なわけはない。ただ恥ずかしさというかなんというか…。とりあえず首を曖昧に横に振りつつ、どこへやったらいいかわからない自分の両手を、先輩の肩に添えた。
丸井先輩のゆっくりとした呼吸に、今度は耳元がくすぐられる。


「くすぐって悪かったよ。ほんとはこうしたかっただけ」

「…先輩って積極的ですね。肉食系」

「俺も男だからな。こんなやつってわかって嫌になる?」

「…いいえ」


嫌じゃない。むしろうれしいの部類に入るだろう。こんなにドキドキして、呼吸もうまくできない。これ以上は無理だと、早く離れて欲しいとさえ思うのに。

でもこのままでいて欲しいとも思う矛盾に、胸がいっぱい。肩に添えた手をぎゅっと握り締めた。
ただ、この胸いっぱいな状態はすぐに終わってしまう。それは丸井先輩も思うところあってのことだろう。


「安心しろ、今日はここまでだ。あとは大会が終わって、俺もエンドロールが流れてから」

「……」

「そんときは、シクヨロ」


体を少し離して軽く微笑む丸井先輩の顔は、すごくカッコよかった。
その言葉にあたしが頷いたあと、もう一度だけぎゅっとされた。


「やっぱり先輩エロいっす」

「そのうちこんなもんじゃなくなるぜ」

「あらまあ!」

「なんだそのリアクション。嫌なのかよ」

「いえいえ、光栄?です」

「疑問系で余計ウソくせーぞ」


少しの間笑い合ったあと、気づけば雨は止んでいて、様子を探りつつわたあめ屋に行くことにした。こないだの肝試しのときもすぐ止んだし、むしろあたしって雨女じゃなくて晴れ女だったり?

いや、たぶん丸井先輩が晴れ男なんだと思った。見たまんま明るいし。つまりあたしと丸井先輩は、きっとどんなときもバランスよくいられるんじゃないかなーなんて。
早くも浮かれモードのあたしは、家に着くと門限を過ぎていて親にしこたま叱られた。

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