恋人
今月から始まった新学期、新学年。あたしは今年3年生。小学校から続いた義務教育最後の年でもあり、ついでに年が明ければ、人生初の受験が待ってる。
しかし。そんなマジメな話は置いといて。
「春だね〜」
「そうだね〜」
「ねぇ、最近アレはどうなの?」
「アレ?」
「春らしく、ラブな感じの」
休み時間に教室にて、友達にそんなことを聞かれた。ラブな感じの、というのはもちろん恋愛話。この友達は、ちょっと前まで彼氏がいたんだけど。諸々の事情によりすでに破局済みでして。
「…特にないけど」
「ほんと〜?…じゃ、そのさっきから携帯ピコンピコン鳴ってるのは誰からよ?」
携帯ピコンピコン。まぁ普段から日中であっても連絡はくるんだけど、今日は一段と多い。
待ち合わせをしてるんだ、今日。仁王くんのお兄ちゃんと。
「や、今日ちょっと久しぶりに会うことになってて」
「なに、ちゃっかり進展してんじゃん!」
「ややや、そんなことないよ!」
否定したものの、疑いの目はやめてもらえなかったけど。ほんとに何もない。
…何もなくはないか。手繋いだり、なんかぎゅっとされたり、そういうことはあった。
でも具体的に好きだと言われてないし、あたしも伝えてないし。友達以上恋人未満ってやつなのかな。
「そろそろ告白しちゃえばいいじゃん?」
「えぇー…」
「別に直球じゃなくてもさ、私のことどう思います?って聞くとか」
「うーん…」
「側から見りゃ普通に付き合ってるみたいなもんだけどね。案外、あっちはもう付き合ってるつもりかもよ」
そうかなぁ。あたしはあんまりそうだと思えない。たとえ恋人と似たようなことをしているとしても。
決定的な言葉がない以上、それはないと一番感じてしまうのは、当人のあたし自身だ。
数時間後、学校も終わり、待ち合わせ場所に向かった。あたしのほうが1時間早く学校が終わるから、立海の最寄り駅がその待ち合わせ場所。今日は部活がお休みらしくて、終わったらすぐ来るって話だった。
さすが、立海最寄りなだけに、中高含め立海生が多い。制服は似てるけど微妙に違ってて、かつ、やっぱり高校生は大人っぽく見えるなぁ。
「お待ちどおさん」
駅に向かう集団に目を向けてると、いつの間にか仁王くんのお兄ちゃんはすぐそばに来てた。
実は仁王くんのお兄ちゃんの新しい制服姿を見るのは、今日が初めて。
あたしの憧れの制服なだけじゃなくて、仁王くんのお兄ちゃんが着てるとすごくすごくカッコいい!前よりさらに大人っぽい!
「こんにちは!」
「わざわざ来てもらったのに待たせてすまんかったのう」
「いえいえ、ついさっき来たばっかです!」
そう言うと、仁王くんのお兄ちゃんはフッと笑った。ついさっき、というわけではなかったけど、あたしなんかめちゃくちゃ仁王くんのお兄ちゃんを待たせちゃったことあるし(C参照)、こんなの屁でもない。
それに、ちょっと言ってみたかった。恋人っぽい台詞だ。
「どっか入るか」
「そうですね」
「ブン太がこないだうまかったって言っとった店があってな」
ブン太というのはあたしも電車で一度見たことがある、赤い髪のまるい先輩だ。聞くところによるとグルメに精通してるそうなので、信頼度バツグン。
駅の逆口まで歩いて、しばらくすると目的地であるオシャレなカフェに着いた。
「何にしますか?」
「そうじゃなー…、ナポリタン」
「あ、がっつりいくんですね」
「ああ、今日昼眠くて寝とったから、昼飯食ってないんじゃ」
「なるほどー」
どうりで、テンポがよかったメールのやり取りも、お昼休みの返事は遅かったわけだ。
あたしは夜ご飯もこのあと家であるし、とりあえずチーズケーキと飲み物を頼んだ。
そしてすぐに来たナポリタンとチーズケーキ。よほどお腹が空いてたんだな、あたしが半分進めたぐらいで、仁王くんのお兄ちゃんはもう完食間近だった。
「うまい?それ」
「はい!おいしいですよ」
「じゃあ一口」
そう言って仁王くんのお兄ちゃんは、口をあんぐり開けた。
……えええ!?これって、あーんっていうやつ?そんなことしていいの!?
“案外、あっちはもう付き合ってるつもりかもよ”
ゆっくり、多めに、チーズケーキをカットして、仁王くんのお兄ちゃんの口元に運んだ。すぐにパクッと食いついて、口に含んだまま満足げに笑った。
「うまい。名字さんに食べさせてもらうと余計うまいぜよ」
「そ、そーですか?…なんか、恥ずかしいんですけど…」
「ははっ、かわいいのう」
「え!?…あ、あの、なんか、…恋人みたいって、感じがするっていうか」
友達に言われたからってわけでもない。決定的な言葉がないからと、あたしが一番それはないと感じてたのも事実。
ただ、こういう雰囲気があたしを舞い上がらせて、口から出たんだ。でも…。
「そうなんか。俺はあんまり、じゃな」
「…え?」
「ちゃんとお互いの気持ちがわかっとるのが恋人じゃし」
「…あー、そう、ですよねー」
さらっと言われた言葉は、あたしにはすぐ理解できなかったから、無難に返した。
ただ、仁王くんのお兄ちゃんは、否定をしたと、それだけはわかった。
別に、もう付き合ってるつもりだったぜよ〜とか、じゃあ今から恋人っちゅうことで〜とか、そんな軽い言葉を期待したわけではなかった。
そのはずなのに、すごくぐっさり、あたしの胸に突き刺さった。
そのあとはたぶん、わかりやすいぐらいに落ち込んでたとは思う。
カフェを出て、家までの帰り道。わりとご近所だからずっと一緒。
「もうちょっと公園で話さんか?」
仁王くんのお兄ちゃんをめちゃくちゃ待たせちゃった例の公園前で言われた。ちょっとだけ、一人になりたい気分だった。でも返事をする前に手を引かれて。
こんなことしても、仁王くんのお兄ちゃんは、恋人みたいだとは思わないんだ。
「…ん?」
手を引かれても、あたしが動かなかったから、不思議そうな顔を向けられる。
なんでわかんないのって、ちょっと怒りみたいな気持ちが沸いてきた。お兄ちゃんにしたら理不尽かもしれない。あたしは何も言わないくせに。
でもその表情は、フリだったらしい。
「さっきのこと、気にしとるんじゃろ」
なんだ、わかってるのか。でもわかってもらったところでどうしようもない。
仁王くんのお兄ちゃんに対して、憧れも含めた純粋な恋心を持ってたはず。でも今は、これ以上一緒にいたら、この苛立ちがもっともっと膨らみそう。
「…今日は、これで失礼します」
そう言いながら手を振りほどいて、背を向けた瞬間。
ぎゅっと後ろから抱きしめられた。
大人っぽく感じたのは制服のせいだけじゃない。身長もちょっと伸びた気がする。もっと男性らしい身体つきになった気がする。
こんなことしても、やっぱり恋人みたいとは思わないの?
「…あの、ここ人が通るので」
「ほら、全然わかっとらん」
あたしがさも怒ってますって態度なせいか、仁王くんのお兄ちゃんの声は少しトーンが低い。
「お前さんが俺の気持ちをわかるまで、今日は離さんから」
お兄ちゃんの気持ちをわかるまで?ついさっきわかったばかりだよ。あたしとそんなつもりはないって。
「お兄さんだって、あたしの気持ちわかってないじゃないですか」
「……」
「こんなことばっかされて、あたしばっかり好きになっちゃうじゃないですか」
離してください。そう小声で呟くと、一瞬、腕の力が緩められた気がした。
でもそれは一瞬。もっと強くなった。苦しい。
…いやほんと苦しい。胸が苦しいとかロマンチックな感じじゃなくて、首が。チョークスリーパーだよこれ…!
「…ちょ、く、苦しんですが…!」
「好いとうよ」
「ああの、首が…!」
「好き」
「息が……え?」
「好き」
バンバンと首に巻きつく腕を叩いたおかげで、ほんの少し力は弱まった。
でも仁王くんのお兄ちゃんは、好き、という言葉を、とても小さな声で繰り返した。何度も繰り返した。その一言一言があたしの耳に入っては積もっていく。
出会いはいつだったっけ。去年の冬の始まりだったかな。仁王くんが風邪を引いて、届け物をして、出てきたのがこのお兄ちゃんだった。クリスマスや初詣でを一緒に過ごしたり、たくさん積もってきた。
今、仁王くんのお兄ちゃんが言ってるこの言葉が。
「あたしだって好きです」
「……」
「好きです」
耳元で、微かな笑い声が漏れた。続いて聞こえたのは、仁王くんのお兄ちゃんらしいリアクションだ。
「それはわかっとったぜよ」
「…はい?」
「だから、俺の気持ちをわかってくれるまで離さんって言ったじゃろ」
やっぱりお兄ちゃんらしい、この言いっぷり。見えないけど、きっと今余裕たっぷりに笑ってる。
さっきはあたしが死にそうなほど力強かったのに。今は優しく抱きしめてる。
わかってたなんて言って、お兄ちゃんももしかしたら不安だったのかも。
あたし自身が一番それはないと思ってた、決定的な言葉がないからって考えてた、それはこのお兄ちゃんも一緒だったと、気づいたんだ。
「…あの、もう十分わかりましたよ」
「まだじゃき」
「ちゃんとわかってますって、お兄さんの気持ち」
「いーや、お兄さんじゃなくて名前で呼ぶまで離さん」
「さっきと条件変わってますけど!」
ククッと楽しそうな笑い声が聞こえてきた。これはなんやかんやずっと離さないつもりなんじゃ……。
「名前もいいんですけど、その、呼びたいのがあって」
「ん?」
「…仁王先輩、はどうですか?もともと来年から、そう呼ぶつもりだったので」
そこまで言うと、やっと腕が解かれた。その隙に、くるっと向きを変えて向かい合うと。
すごくびっくりした顔をしてた。
「立海受けるんか?」
「一応、その方向で…」
解放はそのときだけ。今度は真正面から抱きしめられた。ぎゅーっと、さっきよりも強い。けど、今度は苦しくない。
「来年から一緒に通えるんじゃな」
「受かれば、ですけどね」
「むちゃくちゃうれしい」
「ま、まだ受かってないです!けっこう倍率高いので…!」
「絶対受かる。なんだったら俺が事前に問題用紙を拝借してくるぜよ」
「いやいやいや!それはダメです!」
「冗談じゃき」
少し体を離して、笑い合った。それが落ち着いてから、また改めて、今度は目を見て好いとうよと、言ってくれた。
ずっと前から恋人みたいなことをしていても、いざ今日から恋人スタートというのは、実感もまだまだ。
好きっていう気持ちのように、これからもいろんなことを積み重ねていきたいと思った。
目指すは立海大附属高校、仁王くんのお兄ちゃんがいるところまで。
END
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