私がみんなと離れてから随分と時間が経ちました。初めは、新しい学校である立海の人たちと、上手くやっていけるのかがとても不安でした。その不安通り、アクの強い立海ではなかなか馴染めず、私の未熟さもあり、落ち込む日も多かったです。
ですが、きっかけは忘れましたが私は今、とても幸せです。大好きな人やいつの間にかかけがえのない存在となった立海の友人たちと、青学で過ごした日々と同じように、ともに成長し大切な時間を築いてきました。
私は今幸せで、とても元気であるということを、みんなに声を大にして伝えたいと思います。
どうかみんなもそんな幸せな日々を過ごしてください。いつかまた会いましょう。
追伸。近々あたしの夢がついに叶います。その折また連絡しますね。草々。
「うん、完璧だ!」
今日出す予定の手紙を再度読み直し、かつての盟友たちである青学テニス部への気持ちをしみじみ思い返した。
書いてある通り、初めはこれここでどうしようと思ったけれど、たくさんのことを乗り越え、こうしてあたしは今、幸せだとハッキリ言える。
あたしの夢。それがもうすぐ叶うんだ。
そう、あたしの夢とは、丸井くんのお嫁さん。それはあのとき丸井くんがくれたもので。まだまだ高校生、そこから何があるかわからない。そもそもそんなものは将来の夢なんて言えない、人生そんなに甘くはないと笑われるかもしれない。
ただ、そのときのあたしにとっては、何よりも大事な想いだった。叶えたい夢だった。
絶対叶えられると信じた夢だった。
「丸井くん、お弁当鞄に入れるの忘れてるよ!」
ある朝、忙しなく仕事へ行く準備をする丸井くん。洗面所で髪の毛を整えてる。
「おーサンキュ。…てか、お前そろそろその“丸井くん”って言うの、やめろよな」
「…つい、クセで」
「お前だって丸井なんだからさ。丸井裕花だろぃ?」
言われた通り、あたしの名前はもう丸井裕花。入籍してからも式を挙げてからも、なんやかんや丸井くんを丸井くんと呼ぶクセが抜けない。ブン太、とそう呼ぶのも、今更照れる。
「…ブン太、くん」
「そうそう。もうすぐそれも呼ばれなくなっちまうんだから、今だけでもそう呼んでくれよ」
「え?」
「来月からは“パパ”だろぃ?」
そう言って丸井くんは、優しくあたしのお腹を撫でた。そのあたしのお腹は膨らんでる。
「…パパ?」
「なんですかー、ママ」
「あたしがママ?」
「そりゃそうだろぃ。ここにウチらの赤ちゃんがいるんだから」
………あれ?あたし、いつの間に赤ちゃん出来たっけ?
というか、いつの間に丸井くんと結婚したっけ?
入籍した日も人生最大に幸せであろう結婚式の日も、記憶にない。それどころかそれまで丸井くんとどんな風に付き合ってきたのか、全然記憶にない。あたし、大学通ったっけ?就職出来たっけ?
未来への時間が一瞬で過ぎ去ってしまった?
でも丸井くんは目の前にいる。昔と変わらない……というか、高校生まんまの丸井くん。いってらっしゃいと送り出した、あの高校2年の春とまったく一緒。
これは一体…………。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…なんか、今度はうなされてんだけど」
ごくごくペットボトルのコーラを飲みつつ、桜が呆れたように言った。
その視線の先には、裕花。
空港到着ロビーのソファーにて横たわってる。つーか寝てる。
「さっきまでむちゃくちゃニヤけとったのにな」
「悪い夢でも見てるんスかね」
仁王と赤也はさっき、小腹が空いたっつってカフェに行き戻ってきた。戻ってきてもいまだ起きない裕花に、やっぱり呆れてる。
「高橋さんなんてとっとと殴り起こせばいいだろ。真田、やれ」
「…いや、女子に手を上げることは…」
「じゃあ蓮二」
「俺も遠慮する。おそらく今高橋は、人生最大のピンチに窮しているはずだ。是非乗り越えて欲しい。夢の中だが」
「じゃあジャッカル」
「無理だって。つーか殴ったりなんかしたら俺がブン太に殺される」
「さすがよくわかってんじゃねーかジャッカル」
「早く丸井サンのおかえりパーティーしたいんスけどね」
そうだ。俺は留学を終えて今日ついに帰国した。裕花はもちろん、他のテニス部のやつらも、俺を迎えに来てくれた。みんな待っててくれたんだってうれしかった。…けど。
イッチバン肝心なやつ、裕花は、ここで眠りこけてる。時差があるから到着が早まるかもしれないからって、昨日からここに泊まり込んでたらしい。時差の使い方がズレてる。時差だけに。
「あ!いいこと思いついたっス!王子様が目覚めのキスしたらいいじゃないっスか!」
「はぁ!?」
「そうじゃな。ラブラブっぷりを見せられるのはウザいが、それしかない」
赤也のふざけた提案から、みんなしてキース!キース!の連呼。真田だけはふしだらなことはやめろ!って止めてくれてるけど。…いや、中学んとき海でナンパした女にいきなりキスかまそうとしたのはどこのオッサンだよ。
別にする気はなかったけど。みんないるし。
でも久しぶりだし。裕花の寝顔なんて初めてだ。たったの3ヶ月だったし、何も変わっちゃいないけど。
しゃがみ込んでその顔を覗き込んだ。
…やっぱかわいい。かわい過ぎる。最高。
「お、覚悟決めたんか?」
「なわけねーだろぃ」
「じゃー俺がやっちゃいますよ!」
「なんでお前なんだよ!バカ也!」
振り返って仁王赤也に一喝し、また裕花の寝顔を見たいと思って顔を戻した。そのとき。
「……パパ?」
騒がしい空港内で、周りにはうるせーやつらがいるってのに全然目は覚まさなかった。
でも、さすがに耳元付近で叫んだ俺の声は届いたんだろう。ぱちくりまん丸く目を開けた裕花と、目が合った。
…なんだパパって。
「おはよ」
「おはようパパ…」
「なに、パパって。寝惚けてんの?」
「……」
でもパパって呼ばれるのも悪くねーな。いずれそう呼ばれちゃったりして。まぁでも、ブン太って呼ぶのが先のはずで。
そう思ってたら、裕花はガバッと起き上がって俺に抱きついてきた。
いや、飛び込んできた。前みたいに、潔く。当然俺は尻餅ついて、後ろにひっくり返った。
再会出来て、俺もうれしいけど裕花もめちゃくちゃ喜んでる。それがかわいくて、頭をよしよしした。ひっくり返ったままだけど。
「丸井くんだ!丸井くんだ!」
「おーそうだぜ。どーした、怖い夢でも見てた?」
「はい!それはもう恐ろしい夢で…!」
裕花が言うにはその夢では、俺といつの間にか結婚してて、赤ちゃんも出来てた、そこまではまぁ良かったらしいけど。
その後、産まれてきた赤ちゃんはなんと、赤也だったらしい。
「なんで俺なんスか!」
「知らない!でも産まれた瞬間丸井くんが、“なんでお前なんだよ!バカ也!”って叫んで」
「目が覚めたわけ?」
「はい!あー恐ろしかった!」
夢って、目が覚める直前は何となく現実とリンクしてることがあったりするけど。俺のツッコミがリンクしてた。
いやーでも確かに、それは恐ろしい。
「…それよりお前たち」
「「ん?」」
「そのふしだらな格好はやめろ!」
ちょっと顔の赤い真田。ふしだらな格好って言うのは、俺の上に裕花が跨って抱きついてる状態で俗に言う…やめとこう。
「す、すみません!」
「そんなことより早く移動しよーよー。あたしお腹減っちゃった」
「そうだな。次の列車まで時間もあまりない。急ごう」
相変わらずマイペースなみんなは、さっさと駅に向かって歩き出した。
俺も立ち上がって、座り込んでる裕花に手を差し出した。
「ほら、早く行こうぜ」
「は、はい!」
先にみんなもいるし、久しぶりでちょっと照れ臭い。でも裕花の手は俺の手に、驚くほどピッタリはまる。
この手をもう二度と、離したくない。
「さっきの、うらやましいぜ」
小走りでみんなを追いかけた。白状なあいつらは、でっかい荷物のある俺に何の気も使いやしない。ジャッカルは手荷物のほう持ってくれてるけど。
「さっきの?」
「俺も、裕花との新婚の夢見たい」
「え!赤ちゃん切原くんですよ!?」
「それは嫌だ」
留学中は、どんなに願ったって裕花が夢に出ることはなかった。なんでかはわかんない。毎日必死で、夜はただ寝るだけだったからかな。
でも、代わりに起きてるときはずっと裕花が頭にいた。今この目の前にいる裕花と変わらない、キラキラした笑顔を思い浮かべてた。
「…あれ、そういえばあたし、手紙は…」
「手紙?」
「今日出す予定で…」
裕花はまだ寝惚けてんだか、自分の鞄をガサゴソし始めた。
「手紙って、俺に?」
「いえ、青学のみんなに近況を」
「あっそ」
すぐ不機嫌になった俺に気付いたんだろう、裕花はすみませんって謝った。
なんだよまーだ青学青学言ってんのかって、再会早々イライラしちまって、結局俺は成長してねーのかもって思いかけた。
「丸井くんと結婚するって書いてたので…たぶん夢ですね」
「ふーん」
裕花が見たものは紛れもなく夢なんだろうけど。
その夢は夢で終わらせない。もしかしたら俺は成長出来てないのかもしれないけど、いや、お菓子作りの腕は確かに上がってるけど。
絶対掴み取ってやるって想いは、日増しに大きくなってる。
そんな俺の心の声に重なるように裕花は言った。
「夢だったけど、いつかそうなりますよね!」
「……」
「…あれ、ならない…ですかね?」
3ヶ月、何も変わってないと思ったのは気のせいだった。裕花は前にも増して素敵になった。それは外見だけじゃない。こんなにドキドキさせやがって。
「なるに決まってんだろぃ。それはもう絶対そうなってやる」
「はい!よかった!…あ、丸井くん!」
「ん?」
「おかえりなさい!」
ずっと待ってたと、そう言いながら笑った。繋ぐ手に力がこもった。もうすぐそこにみんないるし、周りに人もたくさんいるけど。
「ただいま」
ちょっと腕を引っ張って、ぎゅっと抱きしめた。足も止まってもしかしたら俺らだけ電車に乗り遅れるかも。
でもいいや。きっとどこかで待っててくれるし。裕花がそばにいるし。
数秒だけ抱き合った後、また手を繋いでみんなを追いかけた。足が軽くて弾んで、未来に、夢に向かって走ってるようだった。
終わり♪
最後までお付き合い頂きありがとうございました!2015.05.18 モコ