「大丈夫だって。もう高校生だぜ俺」
「そーお?戸締まりは忘れないでね?」
「わかってるよ。ほら、外でとーちゃんもばーちゃんも待ってるから」
朝、我が家の玄関先にて。いつまで経っても子供扱いする母親の背中をぐいぐい押した。
「ブンちゃん、いってきます!」
「お兄のお土産ちゃんと買ってくるからねー!」
「おう、シクヨロー」
「「しくよろー!」」
かわいいかわいい弟たちに手を振り、俺の家族を乗せた車が遠くなるのを見送った。
昨日から学校は春休み。でも学校はなくても、俺は部活がある。今日も午後から学校で練習試合。もうすぐ全国選抜があるし、休むわけにはいかない。そしてそんな多忙な俺を置いて、家族はじーちゃんの墓参りがてら温泉旅行へ向かった。
ようするにだ。本日今夜俺、一人。
ニヤけながら携帯を掴み早速、電話した。
「…あ、もしもし?裕花?起きてた?」
両想いを確かめ合って、無事本格的な彼氏彼女となったものの、学年末テストにぶち当たり、かつ、俺は来月からの留学の手続きとかで忙しかった。
それらが一旦落ち着いた今、裕花との残り少ない楽しい時間を過ごしたいと思ってて。…まぁ夏には帰ってくるし、たったの3ヶ月だけど。
そんなときにこれだよ。ばーちゃんとの旅行を欠席するのは申し訳ない気もするけど、さっき言ったように部活は今日も明日もある。
おまけに。
『おはようございます!丸井くん、朝早いですね!』
「今みんな出発してさ、見送ってたんだ」
『なるほど!…あ、今日は試合頑張ってくださいね!』
「おう、応援シクヨロ」
『こちらこそ、今日はシクヨロです!』
「パジャマとかタオルとかはいらねーからな。明日の着替えと歯ブラシだけ持ってきて」
『はい!』
そうそう、これだよこれ。ばーちゃんとの旅行申し訳ないなーと思いつつ、俺は今日が楽しみで仕方なかった。
家族がいない今日がチャンス。裕花は今日、ウチに泊まるんだ。初めての、ていうか当分無理であろう、裕花との二人きりの夜だ。…やばい、今からなんかやばい。俺の中の何かがやばい。
「なんだかブン太、今日はずいぶん動きがいいね」
「え、そうか?」
「めちゃくちゃ浮き足立っとる。もう浮きそう」
「そうかー?いつも通りだぜー?」
俺の浮かれっぷりは、部活のみんなもすぐ気付いたらしい。なんだ、何があったんだ、と聞かれるけど、それは答えられねーな。ごめんだけど。何かあったんじゃなくて、これからだから。裕花との一晩は。
「やーブン太君、久しぶり」
ちょこちょこ試合をしつつ、俺は休憩に入った。そしたら後ろから、不二に声をかけられた。
ちなみに今日の練習試合は青学と。一昔前なら、菊丸がいればたぶん俺は発作みたいなイライラを発症してたんだろうけど。もうそうはならない。俺は成長したんだ。
「おう、久しぶり」
「どう?最近」
「どうって?」
「仲良くやってる?」
不二は笑いながらちらっと、コート内でボールを拾う裕花に目をやった。裕花は応援だけじゃなくて、俺らのドリンク準備したりボール拾ったり試合結果管理したり、いろいろ手伝ってくれてる。
…おいおい、こいつまさか知ってんのか?裕花が言ったのか?そういや中学のとき同じクラスだったって聞いたけど。いやでも、最近青学のやつらとは連絡とってないって話でほっとしてたけど……。
「…まぁ、ぼちぼち」
「へぇ、それはよかったね。いろいろ大変そうで心配だったよ」
前から思ってたんだけど、この不二と幸村って似てるんだよな。真田とは別の意味の怖さ。全知全能って言葉がよく似合う。去年の合宿でも二人が同じ部屋で、その部屋の前通るだけで寒気がしたもんだぜ。ジャッカルなんて拝んでたぜ。
「…つーか、お前なんか知ってんのかよ」
「それはもう事細かに。誰からとは言えないけど、うちと立海には太いパイプがあるからね」
それはアレだな、裕花じゃない。たった今仲良く罰則のいかれたジュース作ってる、あいつとあいつのせいだな。つまり俺と裕花の今までの修羅場とか失態とか全部、立海だけでなく青学にも広まってるわけ。ふざけやがって…!
「安心してよ、柳から乾に伝わった二人のいざこざを知ってるのはボクだけだよ」
「さらっとゲロったな今」
「だから彼は知らないのかもしれないね。ブン太君と高橋さんが付き合ってること」
「……彼?」
「ほら、あそこ」
そう言って不二は指差した。その先にいたのは、ボールを一生懸命拾ってた裕花と。
いつの間にかその裕花に話しかけてる、菊丸だった。
あははっと、幸村みたいな高笑いが聞こえた気がする。俺が必死でその二人のところにダッシュしたのがおもしろかったんだろう。やっぱり不二と幸村は似てる。
もうそうはならないと。俺は成長したんだと。そう思ってたし実際そうでありたい。
が、それとこれとは別だ。裕花が俺以外の男と楽しそうにしゃべるのは腹立つ。非常に不愉快。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「丸井くん、今日もお疲れ様でした!」
「おう、裕花もお疲れ」
今日もそれなりに疲れた。でも疲れたのは、裕花のせいじゃない。ただ単に、練習や試合で疲れたってだけ。
あのあと、裕花と菊丸の元に駆け寄った俺を待ってたのは、裕花のキラキラした笑顔と。
菊丸の祝福の声だった。
『お!彼氏の到着〜!』
『か、彼氏…?……はぁ…はぁ…』
『どうしたんですか丸井くん!動悸がしますか!?』
『や、違うけど…え?』
『付き合ってるんだって?高橋と!』
『……え?』
『あ、すみません!英二くんに話しちゃいました!近況を聞かれたので!』
『今日もこのあとデートだって?にゃはは、おめでとー!』
いまだに俺は丸井くん、菊丸は英二くんって呼んでること、ちょっとは腹立ったけど。
でも、俺と付き合ってること。今日もデートだって言ってくれたこと。うれしかった。菊丸だからかな。裕花はもう誰でもなく俺が一番好きなんだって、また実感出来た。
…つーかそのあと菊丸は、もともと不二からそれとなく聞いてたってゲロった。あのヤロー、ハメやがったな。
「あ、丸井くん!コンビニ寄ってもいいですか?」
「ああ、いいぜ」
部活後、薄暗い道を俺んちまで二人で歩いてると、途中のコンビニ前で裕花が立ち止まった。
「実は歯ブラシ忘れちゃったので」
「そっか。じゃあついでにお菓子でも買うか。晩飯の材料はあるから」
「はい!」
カゴ持って二人で買い物。なんかこういうのいいよな。新婚風?同棲風?今夜のためのものを買うとか、それだけで楽しい。
……今夜のためのものといえば。
「どうしたんですか?」
「え?…いやーちょっと」
裕花がスイーツコーナーにいる隙にと、俺は生活品コーナーにこっそり移動した。が、すぐバレた。
「丸井くんも歯ブラシ買うんですか?」
「いや、歯ブラシじゃなくて」
「シャンプー?カミソリ?脇汗スプレー?」
「それはデオドラントスプレーって言えよ、女子なら」
「はっ、すみません!」
俺が買いたいのは歯ブラシでもシャンプーでもカミソリでも脇汗スプレーでもない。でも、真横に裕花がいて、素直に手を伸ばせない。こんなん意気揚々と買ったら引かれるんじゃねーかなって。
「あのさ」
「はい!」
「外で待っててくれ」
「…はい?」
「俺が会計とかするから、外で待ってて」
「……え?え?え?」
実に不思議そうな裕花だったけど。なんとか店の外に追いやり、俺はこっそりあれをカゴに忍ばせることに成功。会計も、なんだか店員にじろじろ見られたような気もするけど無事成功。
ああ、これで準備は万端だ。お菓子もジュースも何もかもある。完璧過ぎる夜だ。
そうウキウキ気分で外へ出た。
出た瞬間、俺は奈落の底へと突き落とされた。
「うぃーっス!丸井サン!」
「ああ、やっぱりブン太も一緒だったんだね」
裕花を囲む男っつーか赤也と幸村。
そしてたった今俺が出たそのコンビニの自動ドアが再び開き、人相の悪い男女二人が出てきた。
「アンタさ、キョロキョロしててマジ不審者だったよ」
「言ってくれれば2、3個タダでやったのにのう。あ、足りんか」
はははっと心底下世話な笑いを響かせたのは、もちろん桜と仁王。
なぜお前らがここにいる!
「今月幸村サン誕生日だったじゃないっスか!テスト中だったし、今日お祝いしようってなったんスよ!」
「せっかくだからブン太にも参加して欲しくてね。高橋さんは帰っていいけど」
「えぇ!?」
「うるさいな冗談だよ。蓮二に聞いたら、今日君らはデートだって言っててね。尾行させてもらったよ」
「なんで柳が知ってんだよ!」
「それはもう、うちと青学の太いパイプがあるだろ」
「菊丸に今日のことを話したのは失敗だったのう。や、俺は止めたぜよ」
「一番乗り気だったじゃないっスか。あ、丸井サンの好きなケーキもあるっスよ!」
「それ俺の」
「す、すんませんっ!」
なんなんだよ、なんでみんなしてそんな口軽いんだよっつーか噂話大好きなんだよ!
ちらっと裕花を見ると、ちょっと苦笑い。たぶん俺がウザがってるのがわかってるんだろう。かと言って、みなさん帰ってください!なんて言う勇気はない。
ちなみに俺もそんな勇気はない。
「……じゃあ、ウチくる?」
「「「「行く行くー」」」」
もうそう言わざるを得ない空気、圧迫感。せっかくの俺と裕花の甘くて熱い夜が……。
でも、裕花も、きっと残念だと思ってるだろうけど(そうだと信じてる)、楽しそうに笑うから。もうこれでいっかと、思った。
その後。結局この邪魔者どもはちゃっかり着替え諸々を用意してて(ほんといつどこで情報仕入れたんだか)、みんなして泊まることになった。
ウチは俺の部屋以外にも、親の部屋やばーちゃんの部屋もあるけど。俺の部屋に裕花と桜が、リビングに男が雑魚寝することになった。
『丸井と裕花一緒に寝ればいーじゃん。あたしはこいつらと雑魚寝でいーよ』
『あ、そうか?悪いな…』
『いやいやいや!それはダメです!切原さんは女子ですよ!』
『そお?』
『そうです!見てくださいこの猛獣どもを!危険です!』
『誰が猛獣?お前?』
『ひぃっ!』
というわけだ。まっこと不本意だ。珍しく桜がいいこと言うじゃんって思ったのに。
…まぁでも、一緒に寝たらたぶんやりたくなるし、みんな近くにいんのにそれはまずいか。
でも、みんなで騒いで楽しかった。合宿以来だった、こんなの。来年俺はちょっといなくなるけど。もしかしたらその間にテニスの腕もガタ落ちして、もう二度とこいつらと一緒に戦えないかもしれない。
けど、俺はやりたいことをやれてる。好きなものを手に入れてる。先に不安があっても、今の俺は最高に幸せだ。
そう噛み締めながら目を閉じた。もう夜中で、赤也が落ちたのをきっかけにみんな寝始めた。裕花も2階の俺の部屋に。真上だけどやっぱ、寂しい。
そう思ってたら、携帯が震えた。メールだった。
“もう寝ましたか?”
こっそり、今度こそこっそり。音も一切立てず、携帯掴んで廊下に出た。俺がメールの返事をすると、すぐ、2階の俺の部屋から出てきた。あいつにしては上出来だ。扉の開閉すら音がしなかった。
目を合わせて軽く笑い合って、無言で手を引き家の外に出た。
「あたしも、またここに来たいなって思ってました」
深夜に高校生二人で出歩くなんて危険かもしれないけど。でも、季節の移り変わりの生温かい風が吹いてて、背中を押される。足が速くなる。時間がないって急かされる。
もう春。あと少しで離れ離れなんだ。
しばらくして着いたのは、いつか二人で行った、あの公園。街が一望出来る。夜中だし、前と違ってキラキラも少ない。
ベンチに座って、その少ない夜景を見渡した。夜中ってこともあるし、いつもより裕花はおとなしい。何かあって元気がないってわけではなさそうだけど。
ただ、出てきた声に元気はなかった。
「あたし、丸井くんがうらやましいです」
「俺が?なんで?」
「夢とか、目標とかがあって」
「……」
「仁王くんにもあるって聞きました。他にも、テニス部のみんなはもともと大きな目標があるし」
夢も目標も、追いかけるのは大変だ。つらいことも苦しいことも山ほどある。叶わないことだって多い。
「あたしは何もないので。入学当初は青学のみんなに、テニスの大会で会うことが目標でしたが」
「おいコラ」
「はっ、すみません!今は違います!…今は何もないです」
俺も大人になったな。裕花が青学の連中に会いたいって言っても全然動揺しなくなったぜ。ちょっと引っかかるだけで。
そうだよな。夢や目標は、なきゃないでつらく感じるやつもいる。裕花もそうなんだ。負い目を感じてる。
「みんながみんな、あるわけじゃないじゃん」
「…はい」
「これから見つかるかもしれないし、見つからなくても充実してるやつだって、いっぱいいるぜ」
「そうですよね…」
「それに裕花だって夢一つ、あるだろぃ?」
「え?」
せっかくの二人の夜だったのに、ダメになって。ほんとならこの時間は、きっとイチャイチャしてた。大好きだっていっぱい言ってた。寝る間もぎゅっとしてた。
ようするに、くっつきたい。
「俺のお嫁さん」
腰引き寄せて耳元で囁くと、裕花は俯いた。くすぐったかったのか、照れてんのか、ひょっとしたら引いたのか。…マジで引いた?
ダメだな。そんな、またネガティブなこと考えちゃ。裕花がしがみついてきてるじゃん。俺の胸に頭寄せてんじゃん。
これは喜んでるときの裕花。もうわかる。
「丸井くんありがとう。夢までくれてありがとう」
「どういたしまして。俺も裕花の旦那さんになるの、夢だから」
「大好きっ」
数えられるぐらいなんだ、裕花からのキスは。…ほっぺただけどな。
自分からするのもドキドキするけど、不意打ちはもっとドキドキするし、うれしい。
初めて気持ち伝えあったのもこの公園だった。今夢を与えあったのもこの公園。
俺が帰って来てからも、それからもずっとずっと、大人になってからも、また裕花とこうやって夜景でも見ながら、今のような幸せな気持ちを感じたい。
…しかし、あいつらマジで邪魔者だな。せっかくだったのに。おまけに夜抜け出したこともバレてて散々冷やかされた。マジで邪魔者。
でも、裕花と同じく、きっと待っててくれる仲間だ。そう思った。