「…おー、サンキュー」
今日、というか先週ぐらいから、休み時間になっちゃ同じクラスや他のクラスの女子が俺のところまで来て、お菓子を供えていく。
教室だけじゃない。部室だとか図書室だとか今いる空き教室だとか、なぜか逐一俺が勉強してる居場所が広まってて、わざわざそこにやって来る。先回りしてたやつもいるぜ。
一応、励ましてもらってるわけで、みんな俺を応援してくれてるということで、嫌な顔するわけにはいかないんだけど。
昼休みの時間始まって俺がこの席ついてから、とにかくひっきりなしにやって来る。一向にペンどころか問題文読むのすら進まない。
ため息を吐きつつ再び机に、ペンを持って向かい合ったところ、また人の気配。顔を上げるとジャッカルだった。
「ようブン太、頑張れよ」
「…おう」
「これ差し入れだ。ちょっと買い過ぎちまったぜ。ま、なんせ今日は本番だからな。頑張れよ!」
「……」
「つーか、もう差し入れけっこうもらってんなぁ。なんせ今日が本番だもんな。頑張れよ!」
「………せぇ」
「は?」
「うるせーよ!さっきから!」
この空き教室にいるのは俺と、今はジャッカルだけ。叫んでも問題じゃない。ビクついてるジャッカルには申し訳ないけど。
でももー限界だった。みんなしてなんなんだよ!
女子やジャッカルだけじゃなくて、ついさっき柳と真田コンビも来た。差し入れっつって、柳は日本茶と冷えピタ、真田はその良さがちっともわかんねーぐちゃっとした字の書初めみてーなもん置いてった。仁王からは電話だ。全然関係ない最近一押しだっていうGカップタレントの情報を延々語ってた。赤也からはLINE。スタンプばっか送るから通知オフにして未読スルー中。
有難いよ。応援どうもありがとう!って全校生徒にお礼言ってやるよ、機会があればな。
「な、なんか神経質になってんな」
「そりゃなるだろぃ!」
「まぁなんせ今日が本番だから…お?ここに冷えピタあるじゃねーか、貼ったほうが…」
「そうじゃねーよ!あのなぁ、ずーっと先週からずーっと、俺が勉強始めりゃ差し入れだなんだってやって来るんだぜ?」
「……」
「頑張れって言うくせに俺全然勉強できねーじゃん!」
「す、すまねぇ…そりゃそうだな。ほんとすまねぇ」
いきなり捲し立てられて、しょんぼりしちまったジャッカルにはさっき以上に申し訳ないけど。
そのジャッカルが言った通り。例の、留学実力考査は今日の放課後ある。
俺は今一応レギュラーだし、大会も選抜の全国が来月ある。影響したら悪いしテニス部のやつらには年明けに言ってあった。
そしたらこれだよ。どうしたらこんなに広まったのかっつーか、普通に柳や仁王辺りが言ったんだろうけど。
「とにかく邪魔すんな!」
「あ、ああ、ほんとすまねぇ…」
「ここはもう立ち入り禁止な!」
落ち込んだジャッカルが踵を返そうとした瞬間。その先の、入り口の扉に人影が見えた。顔半分だけこっちを覗いてる。ほとんどおでこ辺りしか見えねーけど。
「……お前は待て!」
すぐさま席を立って入り口にダッシュした。
その人影は、気付かれたことで焦ったのか、単純に俺の猛ダッシュが怖かったのかわかんねーけど、逃げかけた。
でもちょっと行ったところですぐ捕まえた。腕を、ちょっと強引にだけど掴んで。
「……はぁ…はぁ…」
「お、お邪魔してすみませんでした!!」
振り返った、高橋は、即座に深々と頭を下げて謝罪をした。
俺は…、思わず捕まえちまったけど。
そもそもどう接していいのか、頭ん中で整理出来てなかったのに。弾んだ息も加わって、ちょっと無言になった。
それが、俺が怒ってると思わせちまったんだろう。また高橋は、何度も頭を下げた。
「幸村くんから、ここにいるよって教えてもらったので…様子を伺うだけのつもりだったんですが…!」
「……」
「本当にすみません!」
「……ちげーよ」
「え?」
ようやく息も整った。ビックリもあったし、やっぱり高橋を見ると心臓が速くなるしで時間かかったけど。
ちらっと後ろを見ると、今度は空き教室内からジャッカルがこっちを覗いてた。高橋には聞こえないように、あっち行けと口パクで追っ払った。
そのジャッカルが廊下の反対側に慌てて走って行くのを見送り、今度こそようやくひと息。
「あ、あのー…」
「俺のこと心配で来てくれたの?」
「え!…あ、あの、心配というと失礼かもしれませんが…!その、影ながら応援したかったので!」
「そっか、サンキューな」
空き教室だとは言え、隣の教室やジャッカルが向かった方、逆側の廊下にだって生徒はチラホラいる。
まだ掴んだままだった腕を軽く引っ張って、元いた空き教室に戻った。…また誰か来るかもしれないけど。
俺が警戒して、扉から廊下をキョロキョロ見てたら。高橋はトコトコ歩いて、俺の座ってた机の前で立ち止まった。
「もう追い込みっていう感じですかね」
「ああ、まぁな。今日だし」
「丸井くんなら絶対いけますよ!絶対!」
明るい声で、きっと笑ってはいるだろうけど。
今も、実はさっきも、目が合ってない。高橋が逸らしてんのか、俺が逸らしてんのか、わかんない。
俺のノートを覗き込む高橋の後ろ姿は、すぐそこ数メートルしか離れてないのに。遠い。
「邪魔して本当にすみません」
「いや、邪魔じゃねーよ」
「で、では、あたしもそろそろお暇…」
そう言って振り返る寸前。きっと振り返ったところで高橋も俺も、下向いてるだろうし。たぶん今は目を合わせることは出来ない。
何か世間話も出来そうもない。そもそも俺は勉強があるんだけどな。
でも離したくない。捕まえたかった。だからぎゅっと後ろから抱きしめた。
「まだ行くなよ」
「……」
こうやることでこの空気が好転するとは思わないし、また俺はこいつにこういうことしかしねーんだなって、嫌にもなるけど。
そっと、俺の回した腕を掴む高橋に、今だけ甘えることにした。
「…丸井くん」
しばらく経ってから、高橋は俺に抱かれたままくるっとこっちを向いた。目線は俺のネクタイ付近にあるんだけど。
前までだったら、こういうとき高橋は、俺の腕を外そうとしてた。
だから今は、めちゃくちゃ近いわけ。
「あたし、丸井くんに、そのー…言いたいことがあって」
「うん」
「ずっとずっと、言ってなかったというか、言いそびれていたというか」
「なに?」
なに?とか聞きつつ、俺の目、つーか意識は全部、高橋の唇に向かってる。
丸井くん、とか、一音一音動くその唇に、胸がどんどん熱くなっていった。悪いけど今から何を話すか、それよりも。
「……あの」
「うん」
「えっと、あたしはですね」
「うん」
どんどん顔を近付ける俺に、高橋は慌て始めた。早く言わなきゃって思ってんだろう。俺がこれからキスするってわかってるんだろう。その前に言わなきゃって。…でも、そんなかわいい高橋を前に止まらないわけで。
先にほっぺたにキスをすると。諦めたのか、観念したのか、高橋は目を伏せて口を結んだ。
こないだ久しぶりにして、付き合ってないのにまたこんなことして。
「ま、丸井くん、ちょっと…」
「ん」
ダメだなー。高橋がなんか言おうとしてるのに。ちゃんと聞いてやんなくちゃ。
でも、拒否するどころか背中にキツく回した手や離れない唇から、たぶん言いたいことはわかってきた。
一緒なんだよな、俺とお前。きっと。
ただ。俺は高橋と違って、もう一言言わなきゃいけない。今日の試験が終わったらって考えてたけど。
「…チャイム」
「…戻るか」
高橋が来てからそんなに経ってないのに、実に空気読めないチャイムの音が鳴り響いちまった。
パパッと机のものを鞄にしまった。…つーか結局全然勉強しなかったんだけど。ジャッカルのせいだ。落ちたらどーしてくれんだよ。
その後、二人で教室までの廊下を速歩き。高橋はさっき何か言いたがってたけど、その間は無言で。先に手前にある高橋のクラス、E組で別れた。
後で聞かないと。俺も言わないと。
でも、こないだやさっきのことで。きっと俺と一緒なんだって。同じ気持ちなんだって、ホッとするような気がした。
前だったらきっと不安になってまた逃げたいとか思ってたんだろうけど。俺も後がないわけで、覚悟を決めないと………。
「丸井くん!!」
その先の俺の教室、C組の入り口前。突然後ろから名前を呼ばれてビックリした。
いや、ビックリしたのはでっけー声で名前を叫ばれたからじゃない。
後ろから抱きつかれたからだ。
顔だけ振り返ると、もちろん相手は高橋。ガッチリ、俺の腹周りをホールディングしてる。
「…え?」
「あの!あたし、ずっと丸井くんに言ってなかったんですけど!気付いてなかったかもしれないですけど!」
「……」
「あたし、丸井くんのことが、好きです!」
「……」
「ずっとずっと、大好きです!」
そう言って、俺の背中に顔を押し付けた。加えるならば胸も当たってる。…いや、そういうんじゃなくて。
心臓のドキドキが伝わってきた。というかこのドキドキは俺のか?顔も体も全部全部、カーッと熱くなった。
…もちろんその熱くなったことは、さっきのと違う意味合いもある。
「…あのさ、高橋」
ガッチリホールディングされてたけど、何とか振り返った。顔を上げた高橋は、ちょっと涙目で。
頑張って伝えてくれたうれしさ。やっぱり俺と一緒の気持ちだった安心感。少し不安気な表情の高橋のかわいさがあって。
ぎゅって、このまま俺も抱きしめ……たかったけど。
「もちろん気付いてたっていうか、ちゃんとわかってたから」
「…ええ!丸井くん鋭い!」
「いやいや、鋭いっつーか…天才的だからな俺」
「あ!そうか!そうでしたね!」
「うん。…けどな」
「?」
「ここ、ウチの教室の前なんだけど」
俺の言葉に高橋は、ピキッて音が聞こえるぐらい、固まった。いつもみたいなデカい声で絶叫することすら出来ないんだろう。顔もみるみる真っ赤に。
ちゃんと言ってくれた。こんなあり得ない場所だとしても告白してくれた。
俺はズルいし自分勝手で、すぐ欲に負けて、いつだって肝心なこと言えないのに。
でも、俺は今、世界で一番幸せ者だって思えた。こんなに大好きな人が、同じように自分を大好きになってくれたんだから。それを伝えてくれたんだから。
「ご、ご、ごめんなさ…!」
「高橋」
周りにめちゃくちゃ見られてるとか、冷やかしや驚きや軽く引いてる目とか、関係なかった。
ようやく、いつも通りでっけー声で謝りかけた高橋の頭を、肩に寄せた。
「待ってて」
「…え!?」
「放課後、部室に迎えに行くから」
そう囁いて離すと、高橋はビックリしたような呆然としたような顔に変わった。
でも次第に、みるみるうちに笑顔に変わった。
キラキラ、かわいいかわいい笑顔。
そして、教室から顔を出して見てるやつら、廊下で足を止めてガン見するやつらには、見てんじゃねーよと一喝。ビビってみんな引っ込んだ。そうしたところで先生たちも、次の授業に合わせてやって来た。
「待ってます!」
そうデカい声で高橋は言って、お互い教室に入った。
放課後、大事な試験だってあるのに。今日は最後の勉強も出来なくてちょっとイラついてたのに。
足取りは妙に軽かった。今日、あいつが待ってるってだけなのに、先のことが見えた。これからの二人がイメージ出来た。
大丈夫だって、思えた。