あたしの足元にはその雪たちが、所狭しと地面を埋め尽くしていった。地面だけじゃなくて、そのうちあたしの足も埋まりそう。
丸井くんと別れてから、あたしは部室に戻ってとことん泣いた。丸井くんがいなくなる寂しさと、たった一言でも丸井くんを傷付けてしまうことを言った後悔から。
でもふと思った。ほんの少し引っかかること。
あたしは、丸井くんがいなくなることが悲しいのか。傷付けてしまったから苦しいのか。今の気持ちは、本当にそれだけなのか。
そしてしばらくして涙も一息ついた頃、帰ろうと思った。けれど、ちょうど雪だからと早く終わったテニス部の帰宅時間とぶつかった。
咄嗟に逃げ戻ったあたしは、校舎を出たところで座って待ってる。テニス部みんな帰って、電車とかもみんな乗って帰ってからでないとあたしは動けない。
今は、丸井くんはもちろん、他の誰とも顔を合わせられないから。顔がぐちゃぐちゃだから。
…そういえば切原さんどうなったかな。うまくいったのかな。
あたしは、プレゼントに関してはまぁ渡せたから良しとしよう。
切原さんに連絡してみようかな………。そう思って携帯を出したところ。
「…いてっ!」
あたしの体、左肩にボコっと、何かがぶつかった。というかぶつけられた。
何!?と思って目で追うと、コロコロ黄色いテニスボールが転がっていた。目を凝らして見ると、“女子テニス部”と随分な達筆で書かれてある。
「ストラーイク」
笑いを含んだ高い声。顔を上げると、幸村くんがいた。
「ボール。忘れ物だよ」
「……」
「その字は蓮二が、失くさないようにって。別に男子部の使ってもいいってみんな言ってるけど、俺だけ反対してるからね」
「……」
立ち上がってその転がるボールを取りに行きたいけれど。足が固まって動かない。
「雪だるまにでもなりたいのかい?」
「……」
「いつまでいる気?構ってほしくてそうしてるんだろ?」
「……」
「面倒臭い人だね」
幸村くんはいつもと変わらず、相変わらずズバズバあたしを責める。
でもいつも幸村くんは間違ってない。正しくあたしを責める。
構って欲しいなんてつもりなかったはずだけど。誰にも会いたくなかったはずだけど。きっとどこかで誰かに構って欲しかった。
こんな幸村くんでも、あたしの嫌いな幸村くんでも、ここに来て、悪態吐きながらもボールを拾って隣に座って、涙が溢れた。
「ああ、言っておくけど、俺は消去法でここに来ざるを得なかっただけだからね」
ポーンポーンとボールを上に投げて遊びながら、幸村くんは言った。
「ブン太がめちゃくちゃ沈んでてね。これは誰かさんと何かあっただろうって、蓮二が言い出して。気付かなければいいのに」
「……」
「仁王がね、勝手に練習抜け出してそっちの部室覗きに行ったらしいよ。君は号泣してて気付かなかったろうけど。ほっとけばいいのに」
「……」
「でもその仁王は君と二人きりは避けたいみたいだし。ジャッカルはブン太担当だし。真田なんているだけ邪魔だろ。結局俺が」
「……」
「君さ、うちの部員を手篭めにするのはいいけど、俺まで巻き込まないでくれる?」
こんなにキツいこと言ってるのに。こんな文句ばかりならなにも来なくたっていいのに。幸村くんなんて今はいない方が。
「留学の話、聞いたのかい?」
ゆっくり深く頷くと、そっかって、小さく呟いた。
いない方がいいはずなのに。幸村くんのその声が、やけに優しく感じて、またポロポロ泣いた。
仁王くんもだけど、幸村くんも知ってたのか。きっと他のテニス部も知ってたんだろう。
丸井くんが、大事な夢に挑戦することを。
何か幸村くんが言葉を繋げるかなと思った。あたしからは何も出せなくて、でもずっと横に座ってるから。これじゃ彼の言う通り雪だるまになっちゃう。あたしだけじゃなくて、幸村くんも雪だるまになっちゃう。
そう思っていたら幸村くんは、言葉じゃなく、クスッと笑った。泣いてるあたしがおかしいのかしら。ざまあみろとでも思ってるのか。
でもその予想は、すぐに否定された。
「ちょっと思い出してね。去年の夏の大会を」
「……夏の大会?」
ようやく声を出せた。ただ聞き返しただけだけれど。
「俺たち、君の大好きな青学の連中に負けたんだけど」
…また何やら引っかかる言い方を。
でも黙って、幸村くんの話に耳を傾けた。
「やっぱりみんな、俺のこと恨んでるかなって思ったんだ」
「…なんでですか?」
「なんでって、最終的に負けたのは俺だから。部長だし、途中離脱もしてたしね」
「……」
「負けた後、みんな誰も何も言わないし。だからかな、負けてんじゃねーよって、お前のせいだよって、勝手に聞こえた気がした」
幸村くんは、あたしと出会ったときはもうすでに元気有り余るぐらいに復活はしてた。だから話を聞いたところで、あの彼が?床に伏せてた?弱音を吐いてた?嘘だぁって。そう思った。
でも彼がそうだったのは事実で。あたしが聞く以上に彼はきっと絶望の淵にいたはず。
彼だけじゃない。テニス部のみんなも。
「荷物持って表彰式に行くときだったかな。みんな黙ってた中、ブン太がいきなり言ったんだ。今日こそ焼き肉行こうぜって」
「…焼き肉?」
「ああ、うちの部は肉食が多くてね。でも試合後ですら練習があったし、しばらくみんなで焼き肉屋に行ってなかったんだ」
「……」
「そしたらジャッカルが、お前空気読め!ってつっこんで。ブン太は、全力でやったから腹減ってんだよって言い出して」
「……」
「幸村くんもあんだけ全力でやり切ったんだから、肉食いたいだろぃ?って」
まぁ俺は魚が良かったんだけどね、そう幸村くんは付け足した。
「ブン太らしいよね。お疲れ様って、言われた気がした」
幸村くんはそう言って優しく笑った。無理もない。あたしもそう思って、思ったからこそ。さっきまで大泣きしてたのに、今は口元が緩んでる。丸井くんの丸井くんらしい話を聞いて。
後で、幸村くんがどうとかじゃなくて、単純にみんな呆然としてたから無言だったって聞いたそう。丸井くんの拍子抜けするような言葉で、みんな平常に戻ったんだって。
きっと感謝してるはずなのに。所々皮肉も滲ませて。幸村くんも幸村くんらしいよ。
「俺が君のこと嫌いな理由わかるかい?」
「ええええ!?嫌い!?」
「嫌いだよ。気付いてなかった?」
薄々気付いてたけれど。あたしも嫌いだ苦手だなんて思ってたけれど。直球で来られるとけっこう傷付きますね。
「そのときの俺と一緒だからだよ。他にもあるけど」
「……」
「受け身で被害者ヅラしてる。相手の言葉を待ってる。君は自分から、ブン太に好きって言ったことある?」
「……」
「当たってるだろ?」
頷くことも言葉で肯定することも出来ない。出来ないけど、そうだと思った。あたしは結局は自分のことしか考えてない。
丸井くんがいなくなることが寂しい。傷付けてしまったことが苦しい。それだけでなく。
「ブン太は別に順位なんてつけてないよ。君のことも大事だって、わからないのかい?」
丸井くんの一番大事なものにあたしはなれないと、そう思った。さっき引っかかってたのはそれだ。あたしにとって、それがきっと一番悲しかった。なんて自分勝手。
丸井くんはレギュラーにもなりたかったし、パティシエも、この先迷うぐらいなら今やれることをやりたいって。
あたしを抱き締めてそう言ってた。あたしを自分の腕の中に収めて。でもあたしはその腕を離した。
あのときの丸井くんの心は、言動の意味は、単純過ぎるもののはずなのに。
「………ってるよ」
「え?」
「わかってるよバカ!」
丸井くんがどれだけあたしを大事に思ってるか。
八つ当たりはやめろよなって、幸村くんはフフッと笑った。
八つ当たりじゃない。これはあたしの幸村くんへの感謝だ。一応。
その後幸村くんは、今月末に、丸井くんの言ってた留学実力考査があるってことを教えてくれた。
だからあたしもそうなんだと。
丸井くんが大事なんだと。それまでにそう伝える決心をした。出来た。
ありがとう幸村くんと、口からはまだ何となく素直に出せないけれど。あたしにとって彼も、立海に来てからのかけがえのない大事なものの一つなんだって、思った。
「…裕花?」
いい加減帰らないとコートの件白紙にするよって、幸村くんに脅され、渋々二人で帰途についた。
ちょうど駅に着いた頃だった。あたしの名前を呼ばれて、聞き覚えのある女子の声に振り返った。
「切原さん!?」
「あれ、幸村も一緒…」
切原さんは、あたしたちと同じく雪の中、傘もささずどこかで宿ることもしなかったのか、雪を被ってた。
いつもと違う。元気のない様子。
隣の幸村くんから、チッて深いどす黒い舌打ちが聞こえた。
「裕花…」
「切原さん…」
「「うわぁぁん!」」
何となくお互い何も言わずともわかった。だから抱き合って泣いた。幸村くんが面倒臭いなぁって漏らしたことはこの際どうでもいい。
「柳生くんがね、やっぱり学業に専念するからって…!」
「丸井くんがですね、夢を追っかけるそうで…!」
「順番に愚痴りなよ」
「「うわぁぁん!」」
そうかそうか、裕花も大変だったねぇとか、切原さんも辛かったですねぇとか、俺もう帰るねとか、ちょっと幸村待ってよとか、3人それぞれの一方通行な言葉が行き交った。
雪も冷たいし寒いし、幸村くんも冷たいけれど。抱き締めてくれる切原さんや、相変わらず悪態吐く幸村くんに、心から励まされた気がした。
ただ丸井くんの背中を見送るだけじゃない。受け身じゃないあたしの、あたしの気持ちをあたしの言葉で、丸井くんに伝えよう。