その他ラブロマンス&ハートブレイク諸々。
そんな今年ももうすぐ終わり。いろいろあったなぁと休日、ココアを飲みながら家で寛いでいたら、家の電話が鳴った。
「もしもし、高橋で……」
『あたしだけどマック集合』
「……はい?」
『急いでねー、じゃ』
たったこれだけで切られた電話。もう声とその無遠慮さでわかるけれど、顔が見えない電話ではちゃんと名乗って頂きたい。
ずっとクローゼットにしまい込んでいたコートで身を包み、指示された通りのマックへ向かった。…家を出た瞬間、クリーニング屋さんのタグが付いてるのに気付いて、取るのにちょっと時間がかかったけど。
「おっそい!」
「…す、すみません」
Lサイズのジュースを持ちながら、カリカリした様子で彼女は言った。そう、休日に伺い立てもなく無遠慮に呼びつけたのは切原さん。
…まぁ暇と言えば暇だったんだけれど。もう少しこう、急に呼び出してゴメンねとか、来てくれてありがとう的なものはないものかと。
ただ切原さんにそれを求めるのは間違いであるとはわかってるつもり。おとなしく切原さんの真ん前の席に座った。
「ど、どうしたんですか?」
「…や、なんか一人でヒマだしヒマそーなやつ誰かいないかなって」
いきなり呼びつけ到着様に文句を垂れた切原さんにしては、ずいぶんと控えめな声だった。
ふとテーブルを見ると、切原さんが持ってるものとは別のジュースのカップがあった。食べ散らかしたようなバーガーの紙も、食べ途中のポテト2個も。
「誰か一緒だったんですか?」
「あー…、赤也が。さっきまでいたんだけど」
「……」
「…呼び出されて。テニスしに行っちゃった」
誰に、とは切原さんは言わなかった。アンタ意外と目ざといね、とは言われたけど。
「これ、食べれば」
もう冷え切ってそうな、途中まで減ってたポテト。それを切原さんはあたしに差し出した。
まぁ切原さんがあたしに物をくれるなんてどうしたことかと。というかこれはきっと切原くんの食べ残しだろうと。そうも思ったけれど。
「赤也から聞いたんだけどさぁ、あの二人」
「…え」
「レギュラーになるかもって。まぁどっちか片方だけじゃないかって話だけど」
「……」
「で、特訓してるんだって。だから赤也も呼び出されて。ジャッカルも一緒にいるらしいよ」
すごいよねーと、本当にそう思ってるんだか思ってないんだか、あんまり感情を込めずに切原さんは言った。
切原さんがそんな言い方だったから、余計に。あたしは胸にこみ上げるものがあった。
さっきから切原さんは名前を出してない。ただ臭わせたいだけなのか、言いづらいからなのか。でもあたしはわかった。
切原さんが聞いたことはレギュラー云々の話だけではなくて、あたしとのこともであろうこと。
それと、丸井くんが、レギュラーを取るために頑張ってるってこと。
「……切原さんにお願いがあります」
「ん?なに」
ちょうどジュースが飲み終わったらしい。ズズズズーっという音が、この騒がしいマックで盛大に響いた気がした。
「どっち応援すんのかなって、ちょっと気になってた」
途中コンビニに寄って買い物を済ませた後、切原さんが意地悪そうに言った。
“切原くんが向かった場所、わかりますか?”
普通に考えたら学校なんだけど。もしも学校じゃなかった場合、自宅周辺以外に土地勘のまだないあたしには検討がつかなかったから。
「…切原さんも案外ぶっこんだこと言いますね」
「あたしには関係ないけど、一応気になるじゃん。でもそれ見て安心したわ」
そう言って、あたしが持ってるコンビニの袋を、強引に覗き込んだ。
「これでもかってぐらい買ってんね。アンタお小遣い足りてるの?」
「お、お小遣いは……、でももうすぐお年玉ですし!」
「ふーん。まぁ喜ぶんじゃないの、あいつ」
あんまりない、稀にあるかないか。切原さんはあたしに笑って言った。その言葉はらしくない励ましの言葉で。
きっと今日も、そのつもりで呼び出したんじゃないかって思った。…ベストフレンドを歌うにはまだ早いけれど。
結局切原くんの行き先は学校で、あたしたちもたぶん彼よりそう遅れずに到着した。
「あー、やってるやってる」
ここに来たいと思ったときはそれ程でもなかったのに。だんだんと近づくにつれてあたしの心臓は速くなっていってた。
そして着いて、ボールを打ち合う音を聞いて。
あの赤い髪が目に飛び込んできて、激しく打つ心臓が燃えるように感じた。
「どーしたの?」
急に立ち止まったあたしを、切原さんが振り返った。たぶん切原さんでもわかるぐらい、足が震えてると思う。
「…行かないの?」
顔は、視線は何とか切原さんに向かっていたけど。その先の視界の隅っこに、赤が見える。
丸井くんがいる。あの日以来、会ってもないし見かけもしなかった。会いたかったと言えば会いたかったし、会いたくなかったと言えば会いたくなかった。
自分の中の矛盾に足が動かない。
「渡しといてあげよっか、それ」
「……」
「ま、気持ちはわかんないでもないし。でも」
嫌になるよ、自分が。そう言われた。
いつから切原さんもこんなに優しくなったんだっけ。いや、無理矢理何かに付き合わせたり、普段から数々の暴言を吐かれてますが。
あたしのための言葉をくれてる。思いやるって、恋愛だけじゃないんだ。
“優しいやつなんじゃな”
仁王くんだって優しい。切原さんも優しい。丸井くんも。
あたしだけだ。
「……だ、大丈夫です」
「へ?」
自分を追い越し突如走り出したあたしを、きっと切原さんは唖然と見送ったと思う。
「……ま、丸井くん…っ!」
コートを囲むフェンスに張り付いて、目一杯叫んだ。久しぶりの雄叫びのせいかカラッとした季節のせいか、一瞬喉が痛く感じた。
でもそれより胸の方が痛い。ドキドキしてるから。
ラリーが続いてたみたいだけど、奥側のコートの丸井くんは、すぐにこっちを見た。返せなかったボールが、コロコロと転がっていった。たぶん手前のコートの切原くんも、審判してる桑原くんも、こっちを見てる。
「れ、練習頑張って!……これ、差し入れですっ!」
コンビニの袋の口をささっと結んで、思い切りよく上に投げた。力はそんなにない方だけど、無事にフェンスを越えそう。
その瞬間、あたしは致命的なミスに気づいた。丸井くんは奥側のコートでそこそこ遠い。いきなり投げたアレを受け取れるはずがない。
…やばい!このままじゃ勢い良く地面に叩きつけられてしまう!丸井くんの好きそうなお菓子の数々が粉々に……!
ゆっくりと放物線を描くコンビニ袋を見ながら、その行く末を案じていたとき。
手前の切原くんが、猛ダッシュで駆け込んできて見事キャッチしてくれた。けっこうな衝撃だったようで、うおっ!という痛みのある声がした。
「ご、ごめんなさいぃ!」
「へへっ、ナイスキャッチっしょ!…あれ、姉ちゃんもいるじゃん」
切原さんもいつの間にかあたしの少し後ろに来てた。
「いやー裕花がね、ぜひとも応援に来たいって」
「へー、よかったっスねー丸井サン!」
「これでもかってぐらい丸井のお菓子買ってさー、あたしは一銭も出してないけど。あ、赤也の飲み物も入ってるよ。ついでにジャッカルのもね」
「お、丸井サンの分だけじゃないんだ!ごちそうさまっス高橋サン!」
たぶん親御さんの遺伝か教育の賜物かなんかだろうね。このご姉弟はほんっっっと、空気が読めない。
でも、切原さんが一緒に来てくれたこと。切原くんが受け止めてくれたこと。感謝しなきゃ。
そこでちらっと、コートを見やると。台に乗って審判をやってた桑原くんは、悪いなって言いながら降りてこっちへ向かってて。
でも丸井くんは、まだそのまま同じ場所に立ってた。固まってる、唖然としてるように見えた。
急に、やっちまった感溢れる恐怖があたしを襲う。
…丸井くんはあたしに、会いたくなかったんじゃないか。よく考えてみればそうだ。当たり前だ。
大和撫子になりたいと思ってた。しとやかになりたい、外見も中身も。立海の人にもいろいろとバレてて、残念だって思われてるだろうけど、これからでも頑張ろうって。
でもあたしは今、たった今だけは、“サムライ魂”が欲しくなった。逃げない心意気。
そう思ったのは他でもない。動かない丸井くんと、やっちまった感溢れる恐怖から逃れるため。再びダッシュで、その場を去って行ったから。
ちょっと裕花ー!と、後ろで切原さんが叫んだ。
何秒か空いた、その後だった。
「ありがとな!」
振り向かなくともわかる声。耳に届いたのはもう校門をくぐる瞬間だった。それからまた止まらない足が進んだところで、あたしの頭に響く。心に留まる。ようやく足も止まった。
…さすがにもう戻れないなあ。一人だけど、自分のバカさ加減に笑えてきた。同時に視界もぼやけた。緊張と、自分のバカさ加減と、それとうれしさもあった。
もう二度と話すことは出来ない気がしてたけど。一歩、本当に小さな一歩だけど、前進出来るのかなあ。
翌朝、切原さんからデコピンを食らった。それは行きたいって言ったくせに勝手に逃げ出したからではない。
あたしが勢い良くあのコンビニ袋を投げ込んだため中に入ってた炭酸飲料がシェイクされ、それを開けた切原くんも桑原くんも、…もちろん丸井くんも。
ジャージや靴がびしょ濡れになって練習どころじゃなくなるという事態になったらしい。
…前進したような気がしたのは気のせいかもしれません。