嘘ついた。高橋は俺に。
それは俺が仁王と友達だからなのか。それとも違う思いがあってのことなのか。
信じたいし信じてる。あいつの気持ちは俺にしかないって。
そんなことばかり繰り返し考えて、まるで思い込もうとするかのような自分が、疲れる。
「ブン太、体調はどうだい?」
風邪も治った月曜、朝練はちゃんと出た。ここ三日間は練習出来なかったし。たった三日間でも何もしないのはつらい。テニスが好きだって言うのもあるし、それだけで置いていかれるんじゃないかって言う、焦りもあって。
たぶん幸村は、体調面とテニス面の両方を心配してるんだと思う。
「ああ、もう大丈夫だぜ」
「よかったよ。まぁ病み上がりなんだし程々にね」
「そんなこと言ってらんねーよ、金曜から練習してなかったし…」
「はは、そうじゃなくて。…それだよ」
幸村は、俺の首を指差した。
自分じゃ鏡でも見なきゃ見えないけど。金曜のアレが、まだ消えてない。俺が勝手につけたら高橋もつけたいって。
…ていうか、俺はちゃんとネクタイ締めたら隠れる位置にやったのによ。あいつは位置間違えてけっこうな堂々としたところに。うれしいのもあるけど、どっちかって言うとまだ恥ずかしい。
「病み上がりにやると振り返すって言うからね」
「え、そーなの?」
「気をつけなよ」
また風邪引くのは勘弁過ぎる。練習出来ないのもだし、やっぱあいつの言った通り、風邪のときは心身ともにやられるっつーか。嫌な妄想ばっかしちまってたし。
というわけで、もう風邪は嫌だ。やりたいかと言えばやりたいけど、あいつとはそれだけじゃないし。しばらく封印しよう。
「治ってよかったのう」
後ろから仁王の声が聞こえて、また心臓が縮んだ気がした。ここ数日で俺の寿命縮まってんじゃねぇか?
単なる心配か、金曜のことでの視察か。幸村は心配だろうけど、こいつはたぶん後者だ。
「ああ、裕花に看病してもらったから」
さっきまではこの首のやつは恥ずかしいなんて思ってたのに。幸村に指摘されたときはジャージ首まで上げようかと思ったのに。仁王が現れた途端、堂々と見せたくなった。
「へぇ。ほんとにそうなんじゃな」
「…そう?」
「あいつ言っとったよ、ラブラブだって」
あいつって…高橋が?
それはそれでうれしい。俺の知らないところで話してるのは気にくわないけど、俺とのことを惚気るのはうれしい。
やっぱり仁王とはなんでもなくて。単なる仁王からだけのものなんだ。
安心はしたけど。仁王はマジでなんなんだ。
「よかったな、ほんとに」
そう言ってどっか行こうとした。さっきまでそばにいた幸村も練習に戻ろうとした。だから、俺もそうしたかったけど。
「……嘘つけよ」
気づいたら口から出てた。たぶん中学から数えて、何度も騙してきたこいつに対して何度も言った台詞だろうけど。
今、このタイミングで言うのは、その意味はたった一つ。
「何が?」
「よかったって、嘘だろぃ」
練習に戻りかけた幸村が足を止めた。内容が気になるのもあったろうし、前みたいな城崎さんとの前例もあるから。力があるだけにジャッカル以上のストッパーだ。
「別に嘘じゃないぜよ」
「俺知ってるから」
お前が高橋に好きって言ったこと。
そこまで言っても、仁王はまったく表情は変えなかった。
まぁ正確には好きって言ったわけじゃなくて、好きって“書いた”、なんだけど。
金曜、あいつの机の上に鶴の折り紙が飾ってあって。見た感じルーズリーフ使った、ただの暇つぶしに作っただけのものかって思ったけど。
嫌な予感がした。だって、あいつはノート派だし。わざわざ破いてまで作るか?って思ったから。
じゃあルーズリーフって。考えたら、去年同じクラスで使ってたやつの顔がすぐ思い浮かんだ。ルーズリーフ使ってたやつなんて山ほどいるけど、その顔のやつはその日ずっと頭から離れなかったから。
「なに、“応援しとるよ”って。それも嘘だろ」
「……」
「うまくいってほしくねーんだろ。別れりゃいいと思って邪魔したいんだろ」
“好き。でも応援しとるよ”
開いた折り鶴にはそう書いてあった。どっちがついでかわかんねーけど、俺の携帯番号もな。
俺の番号が書いてあったってことは、前仁王が、高橋に番号教えたって言ってたときのことだろうから、俺と付き合うことになったって知ってからだ。何が応援だよ。ただの邪魔じゃねーか。
わかってるよ。好きな人に好きって言うことをとやかく言うもんじゃねぇって。
でも高橋は俺の、お前の友達の彼女だろうが。
俺自身、あいつにまだ言えてない言葉だっただけに、余計怒りを感じた。
「ブン太、仁王」
黙って聞いてた幸村が口を開いた。いや、けっこうな踏み込んだ話だから、出来れば退席してほしかったんだけど。
そう思った俺は、幸村の顔を見てゾッとした。久々に見た、すっげー怖い顔。
「今日は二人とももう練習出なくていいよ」
「…は?」
「邪魔。仁王も」
俺の心の声を代弁してくれたのかと思った。でも違う。俺に、俺のほうこそ言われた。
仁王はすぐに引き上げて部室に戻って行った。俺になんの反論もしなかったし、幸村に異議も立てなかった。
「幸村…」
「いいから。明日は今日の分まで扱くからね」
さっき見たゾッとするような怖い顔を忘れるぐらい、爽やかに笑って言われた。こっちのほうが昔はゾッとしてたんだけどな。
…ていうか、幸村に追い出されたけど、先輩がいんのにいいのかな。
俺がモタモタしてたら、というより今部室に向かったら仁王と二人きりになるから止まってたら。
幸村は、ちょっと遠くのほうに視線を送った。
その先には高橋がいた。自分が朝練してたわけじゃなくて、制服姿でフェンスに張り付いてる。
心配そうな顔。いや、悲しそうな顔だ。
あいつだけは悲しませたくなかったはずなのに。なんでだろうな。
仁王に対して以上に、自分に怒りもこみ上げてきて。やっぱ疲れると思った。
「…今日、朝練の途中でどうしたんですか?」
高橋との帰り道。結局幸村に土下座して、放課後は出させてもらえた。高橋にも、なんかトラブルがあったんだろうことは見えてたみたいだけど、細かいやり取りはわかってなかった。
…ていうか、敬語はマジやめる頑張るって言ってたのに、相変わらずだな。まぁ無理強いはよくねーけど。
というより、今のこの状況、これからされるだろう会話内容をきっと予感してて、そうなっちまってるんだろう。
「何でもねーよ」
「…う、嘘ですよね」
今朝、俺が仁王に言った言葉。ああ、図星だとすげー心臓に悪いんだな。仁王はいつもよく平気で嘘つけるよな。
こないだのこいつも。
「なんでそう思うの?」
高橋のことは悲しませたくないし、出来ればケンカだってせずにラブラブ仲良くやっていきたい。
でも今の俺には無理だと思った。
疲れ過ぎて。思いやりも持てない。
「…折り紙、見たんですよね」
「……」
「微妙に折り方違って」
「不器用で悪かったな」
「いやいや!そうではなくて…!」
そう、不器用だからじゃない。むしろ俺は器用。だから鶴なんて目瞑ってても折れる。
でも折り方には、途中二通りある。違う方で折った。ズルい俺は、俺から追及出来ないと思ったから、いつかこいつ自身が気づくかなって。
そんなことしておきながら、ほんとは気づいてほしくなかった。
気づくときはあれをまた見るときだから。こいつが仁王からの気持ちをまた目に染みつかせるときだから。
「…嘘ついてごめんなさい」
「……」
「あたし…もちろん丸井くんが一番なんですが。でも」
「……」
「仁王くんにも、…いい顔しようとして」
だから黙ってたって。嘘をついてまで。
あーそういうことか。俺と仁王が友達だからってわけじゃなくて。単にこいつが仁王を傷つけたくなかったわけか。自分と仁王のためにか。
「でもあたしは…」
「聞きたくない」
もう聞きたくねーよ何も。
幸せになると、幸せだと思ってたのに。ずっといろいろあって、今度は同じテニス部の仁王。おまけにシャレにならないこいつの心情も聞いちまって。
ズルいから、もうどんな言葉だって聞きたくなかった。
聞いて、それは嘘なんじゃないかと疑うだろう自分が嫌だった。信じてたのにって、どこか思ってるから。
「俺はほんとにお前が好き、だった」
「……」
「でも…俺自身の問題だけど。付き合ってから、疲れる。だから」
終わりにしようって、言うべきか言わないべきか。迷った。高橋の涙を見て。
ほんとズルいな俺は。ようやくやっと言えた言葉なのに。こんなときにしかも嫌味ったらしく過去形でさ。疲れるのも単なるヤキモチじゃん。全部そう打ち明ければいいじゃん。
不安なんだって。俺だけを見ててほしいって。
「…じゃあな」
何も出なかった。俺自身も泣きそうになってたから。ただ今一緒にいるのは無理で、ちょっと曖昧な突き放すことを言った。
足を進めた俺を、別に高橋は呼び止めなかったし、追ってもこなかった。そうしたところで俺は振り向かないし、もう話したくなかったから、都合はいい。
さっきのじゃあなを、あいつがもし別れの言葉と受け取っても、それはそれでもういい気もした。
好きって、ようやく言えたのに、何もうれしくなかったから。
今さらになって、仁王の言ってたことがわかった気がした。
“恋愛は疲れる”。嫉妬したり不安になったり、全然、楽じゃない。思いやりなんてちっとも持てない。
早くあいつが欲しいって思ってたくせに、ただの恋に止めればよかったかもなんて、思っちまった。
ズルいだけじゃなくて、自分勝手なんだ。