愛と罪

知らなかった。切原さんの好きだった人が去年まで立海のテニス部でレギュラーだったなんて。今は全国でも偏差値上位争いの有名私立にいるそう。もう見た目からして賢そう。名前も賢そう。



「青学では、関東大会の際に大石君、菊丸君ペアと対戦しましたね」

「仁王とダブルスだったんだよね」

「そうです。仁王君の作戦が功を奏しましたが、数字には表れない接戦でした」



あたしは関東大会は観に行けなかったんだけれど、どうやら柳生くんは黄金ペアと対戦していたらしい。この仁王くんと組んで。

…あれ?そういえば、あのときの試合で、英二くんに半ば故意にボールを当てた人がいたって聞いたけど。まさかこの柳生くん?…いやーでもこんな優しげな人がそんなことするはずないか。仁王くんかな。仁王くんだろうな。絶対仁王くんだろう。仁王くんめ、英二くんに何ということを。

思わず仁王くんをジロッと見ると、それをわかっていたかのように、仁王くんはフッと笑った。
…普通かな。普通になった、かな。



「では、私はそろそろ塾に向かう時間ですので」

「あ!あたしもちょっと用事あるから、途中まで柳生君と一緒に行くよ」



まぁまぁ話も弾み、というかあたしの知らない思い出話に花が咲いたようで。日が沈みかけたところで、柳生くんはお暇すると席を立った。

…もうすでに化けの皮が剥がれていたとはいえ、切原さんもファイターですね。柳生くんの後を追って行ってしまった。



「……あ、あたしたちも帰りますか」

「ああ」



残された二人でカフェを出た。確かに今日は切原さんのお願いであり、切原さんの恋愛成就の協力をしたいと思ったけれど。

…結果的に今はとてもまずい状況ではないかと。駅まで歩く短い道のりで気づいた。



「…あたしは、こっち方面なので!」

「……」

「……そ、それでは〜」



改札を通って、本来ならあたしと仁王くんは逆方向のホーム。ここでさよならかと思ったけど。



「ブン太の家に行くんか?」



一歩か二歩。進めたところで仁王くんの声が聞こえた。

少し躊躇いながら振り返ったあたしは、どう答えればいいのかわかっていた。



“いい子ぶってる”



いつだったか、幸村くんに言われた言葉。さも今言われたように、彼の声で頭に響いた。

これは幸村くんの意地悪でも言いがかりでも何でもない。あたしの本性をつく言葉だ。

嘘でも何でも言わないといけなかった。次の仁王くんの言葉は予想ついていたんだから。



「……いいえ」

「なら送る」



例え目の前のこの人を傷つけることになっても、ここではノーサンキューと言うべきだった。ここだけじゃない、それまでにもあたしはずっと正解をわかっていただろうに。

どうして?
それは、あたしがあたしをいい子に見せたいからなんだ。うれしそうに笑った仁王くんを見て思った。

こんなので丸井くんのことで頭がいっぱいなんて、きっと誰もが笑う。



「へー、ブン太んちと近いんじゃな」

「丸井くんちに行ったことあるんですか?」

「ああ、中学のときな。ちっこい弟と遊んだ」

「あのミニ丸井くんですね!かわいいですよねー」



電車でガタンゴトン、先に丸井くんちがある駅を通り過ぎた。仁王くんと一緒に乗るのは2回目だ。前はパンケーキ屋さんに行ったとき。…あのときはあのときで修羅場だった。



「ブン太とはうまくいっとるんか?」

「あ、はい。まぁ、俗に言うラブラブな感じで」

「そうか。それはよかったのう」



この優しげな笑顔。先程柳生くんが見せてたような表情で、優しげなのはそれを連想するからかもしれないけれど。

きっと、仁王くんに思うところはあったとしても、今の言葉は嘘じゃない。それは素直にうれしい。それでも、心の中の何かがざわめく。

先に気づいたのは仁王くんだった。



「…じゃ、俺はここで」



送るとは言われたものの、本当に家までなのか疑問…というか不安だったところ。電車も降りて改札も出て、外へ出る階段も下がったから、やっぱり家までなのかなぁと思っていたら。

目の前の横断歩道を渡る直前、仁王くんは突然踵を返した。



「え?」

「じゃあな。また月曜」



そう言い残して足早に去っていった。

その様子が不自然で、さよならも一応のありがとうも言えず。戸惑いながらもともとの進行方向に視線を戻すと。



「………丸井くん!?」



もう辺りは暗くなり始めてて、少し距離はあったけど。向かいのパン屋さん前のガードレールに、浅く腰掛ける丸井くんがいた。

急いで横断歩道を渡って駆け寄る。
その間、丸井くんは高熱なのに大丈夫なのかという心配に加え、さっきの仁王くんを見ていなかったか。そんな心配までした。



「ど、どうしてここに?」

「……」

「体調は大丈夫ですか?熱があるんじゃ…」



おでこに手をかけようとした瞬間。丸井くんはあたしの手を払った。

熱のせいか、少し赤い顔と目が、あたしを鋭く捕らえる。



「…なんで一緒にいんの」



仁王くんが気づいただけじゃなかった。丸井くんも気づいてた。

そのことにまずいと思ってしまうこと、それはもうやましいからに他ならないのかもしれない。



「……切原さんに、誘われて」

「……」

「柳生くんっていう中学のとき立海にいた方と、お茶するから一緒にって」

「……ヒロシ?」



ああそうだった。柳生くんは中学ではテニス部レギュラーで。当然、丸井くんも知り合い、というか、この呼び方からするに親しかったわけだ。

丸井くんは、不満そうにしながらも、一応あたしの話は聞いてくれた。切原さんには申し訳なかったけれど。仁王くんが来ることは知らなかったと、そうも言った。

事実だけど。必死の言い訳みたいで。
自分が心底かっこ悪かった。



「じゃあ、仁王と二人で遊んでたわけじゃないと」

「もちろん…!」

「そーかよ」



丸井くんは力無く俯いた。俯かせたのはあたしだ。何をやってるんだろう。一番大事な人を、こんな悲しませて。



“そんな顔させたかったわけじゃない”



今度は仁王くんの声が聞こえた気がした。

あたしだって、いくら自分がいい子に見られたいからって。だからと言って、丸井くんを悲しませたいわけじゃない。

丸井くんは、ただ俯いただけかと思ったけれど。本当に具合が悪そうに、そのまま前に倒れ込みかけた。



「ま、丸井くん!」

「あー、大丈夫…」

「大丈夫じゃないっ」



こんなときまで大丈夫だなんて。あたしへの配慮だとしたら、それは今は胸が痛くなるだけだ。

悲しませただけじゃなくて、体調悪いのに心配かけて。



「とりあえずウチに」

「え…」

「親が帰ってきたら、車で送ります!」



本当に心から心配なんだ。申し訳ないことしたとも思ってる。
ただ、口にするのは白々しくて。嘘だって、それも言い訳だろって、そう思われたらどうしようって。

何も言えず、丸井くんを家に連れ込んだ。



「横になっててくださいね」



家に帰っても親はまだいなかった。両方とも帰ってくるのは19時過ぎだ。
丸井くんをベッドに寝かせ、あたしは温かいお茶を準備しにキッチンへ向かった。
…風邪のときだからお菓子なんかは食べないほうがいいだろうしな。でも丸井くんのことだから、お腹空いてるかも。

お湯を沸かし終わったとき。あたしはあることに気づいて固まった。

そのあること、とは。丸井くんに見つかったらまずいもの。



「丸井くん!!」



自分ちだからね。ご近所さんに迷惑にならない程度なら、叫んでも問題ない。丸井くんが風邪で寝込んでるところに申し訳ないけれど。

勢い良く部屋に入ると、丸井くんはあたしの机の前に立ってた。
…良かった。アレは学校の鞄の中だから。鞄を開けられていない限り、バレてない。



「なに?」

「…い、いや。……寝てなくて大丈夫ですか?」

「ああ、今はちょっとマシ」



そう言って、丸井くんはベッドの上に座った。出来れば寝ていたほうがいい気もするけど。鞄を横目で見ながら、あたしも床に座った。

あの鞄の中にあるもの、それは。
編みかけの腹巻き。

近頃寒くなってきたし、クリスマスも近いしで、丸井くんに手編みの腹巻きをプレゼントしようと思ったんだ。腹巻きなんて色気はないけど、体でどこを優先的に温めるべきかって考えたら、やっぱり腹巻きかなぁって。
もうちょっとで完成だから。完成までは秘密にしたい。

…というか、丸井くん、机のところで何してたんだろう。別に机には特に見られちゃまずいものはなかったはず………、



「裕花」

「は、はい?」

「もっとこっち来て」



言われた通り丸井くんの前に立つと、丸井くんは座ったまま、あたしを抱き寄せた。ぎゅーっとキツく。うまく体勢を維持出来なくて、あたしは丸井くんの膝の上に乗っかった。

無言なのに、これだけで丸井くんがどんな思いなのか。痛いほど伝わってきた。
でも、丸井くんごめんと、謝ったら謝ったで別の意味を持ちそうで、言えない。



「ま…ブン太くん」

「んー」

「キスしていいですか?」



あたしの問いかけに、丸井くんは顔を上げた。少し驚いたような顔だった。

でも、ちょっと恥ずかしかった、勝手に照れてたあたしの顔を見て、すぐに笑った。いつもの、あのキラキラした笑顔だ。



「許可いらねーよ」

「あ、すみませ…!」



あたしから言い出したけど。結局、丸井くんからさせてしまった。

柔らかくて優しい丸井くんからのキスは、いつも通りあたしに安らぎとドキドキを与えてくれるのと。
今は、胸に痛みも与える。あたしはもう何も考えたくなかった。



「親、何時に帰ってくんの?」

「えーっと……19時半前後かと」

「そっか」



さっきまではフラフラで、一人で帰れそうもなかった丸井くんだけど。
もうすっかり良くなったと思っちゃうぐらい力強く、あたしをベッドに倒した。



「じゃあさ」

「ん…っ」



でもやっぱりまだ熱はありそう。あたしの舌や耳に丸井くんから熱が伝わって、溶けそうだ。あたしこそ熱が出てきたみたい。

丸井くんを体が覚えてる。丸井くんを求めてる。



「エッチしていい?」

「…きょ、許可はいらないので」

「言うじゃん」



笑う丸井くんに、その前に体調はどうでしょうと言いかけたけれど。また熱い口に塞がれた。
丸井くんはこのとき何を考えてたんだろう。こないだと同じように、幸せを感じてたんだろうか。

少なくともあたしは幸せだった。
ただ、今日のあたしにそれは相応しくなかった。



「なぁ」

「はい?」



親が帰ってくる直前だった。不自然なことはないようにと、あたしも丸井くんも制服や髪を整え合ってた。
…余談だけど、マジで敬語は禁止って言われたので、本当にほんとーに、あたしは頑張るつもり。



「仁王って、お前のこと好きなの?」



そう言えばさっき、丸井くんは立ち上がってあたしの机の前にいた。そのことに引っかかりを感じてたんだけど。
………何かしてた?



「それはないで…しょ」

「ふーん」



丸井くんに嘘をついたら、ついた後の自分が嫌になると、それこそ一番わかってたはずなのに。

今日のあたしは最低だ。

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