気付いたこと

「おはよう」



朝、テニスコートのフェンスに、他の女子生徒に紛れて張り付いていたら。目の前に背の高い人が突如現れた。彼は菩薩像系男子の柳くん。

あたしの左右にも人はいたけれど、真正面から声をかけられそのターゲットはあたしだと、ワンテンポ置いてから気づいた。…どうもな、柳くんは目線がわかりづらいので。



「…お、おはようございます!」

「今日は休みだと聞いているぞ」

「休み……とは?」

「風邪だ」



風邪………、そうそう、あたしは今朝ちょっと早めに着いたのでテニスコートに来たんだ。丸井くんの様子を見に。

昨日から体調悪そうで、夜電話したら出なかったんだ。だから大丈夫かなと。………風邪で休みかぁ。



「ええええー!」

「38度6分、だそうだ」

「さんじゅう……?」

「熱の話だ。物分かりの悪いやつだな」



話の流れが速かったからか、柳くんの話が端的だからか、あたしは追いつくのが精一杯。さらっと嫌味と侮蔑の目を向けられた気がしたけど、そんなことはこの際どちらでもいい。…ちょっとショックだけど。

丸井くんは風邪だと確かに言ってたけれど、そんなに熱も高いなんて…!昨日夜電話しちゃって迷惑だったかなぁ。



「わざわざありがとうございます…」

「いや」



あたしが見えてきっとわざわざ伝えに来てくれたんだろう、柳くんにお礼を言って、教室へ向かった。
そのとき、なんだか視界の斜め前のほうにこっちを見る姿を感じた。足は止めずにそのほうを見ると。

仁王くんと目が合った。
昨日、お昼休みに話してからは特に会話なし。仁王くん………。

ちょっと距離は離れているけど、おはようって叫ぶべきか。でも仁王くんは叫ばれるの嫌いだから、にっこり微笑むべきか、ただ手を振るべきか。どうしよう、そう迷ったのは確かなんだけど。

あたしはプイっと、顔を背けた。
何でか、自分でもわからない。ただ仁王くんに、距離はあるとはいえジッと見つめられて、そのままは耐えきれなかったんだと思う。

こんな態度を取ってしまうなんて、すぐに後悔してまた仁王くんのほうを見たけど、もう彼は違うところを見ていた。

鞄をぎゅっと握り過ぎて手が痛くなった。



「おはよー」

「おは……あれ、切原さん!早いですね!」

「アンタだって早いじゃん」



あたしが教室へ着くと、すでに切原さんが席に着いてた。珍しい。遅刻はしないものの、いつもギリギリなのに。



「ちょっとさー、アンタにお願いがあるんだけど」



切原さんはどちらかと言うと人使いが荒いほうなので、今までに何度かこの台詞を聞いたことがある。そして大抵は厄介なことなんだけれど。

その今回のお願いは、さほど厄介でもなかった。…今日でなければ。



「きょ、今日はちょっと…」

「なんでー?アンタ部活以外やることないっしょ。部活もあたしがいなけりゃ出来ないっしょ」

「それはそうなんですが…!」



切原さんのお願いとは、簡単に言うと“今日放課後付き合って”というものだ。単に放課後ちょこっと用事を済ませる、だけならすぐにオッケーしていたけれど。

どうやら本日、切原さんは例の人と会う約束があるらしい。例の人っていうのは、SNSというもので再会した中学時代に切原さんが好きだった人。そして一人は嫌なのであたしを誘ったと。

うれしいですとも。切原さんの決戦の金曜日に他の誰でもなくあたしをお供に選んで頂いたことはとてもうれしいですが。

…今日は丸井くんのところに行きたかったんだけど。



「じゃあ、一旦ウチ帰って16時に駅前集合ね!」

「ええええー!?」

「安心してよ、あっちも一人じゃなくてもう一人連れて来るからさ」



それは安心なのか?むしろ2対2のダブルデートではあるまいか?それはまずいのではないか?

そう思ったけれど、切原さんは今日という日がとても良き日なんだろう、今までにないぐらいの希望に満ちた顔をしていたので、もう水は差せなくなっていた。

まぁでも明日から休みだし、もし今日ダメなら明日丸井くんのところに行こうかな。
それは楽観的過ぎたと、後々思い知らされる。

そしてその放課後。



「おっそいよ!」

「す、すみません!」

「アンタさぁ、真面目っぽいフリしてるけど、けっこう時間にルーズだよね」



切原さんには言われたくない。…この場では言えないけど。
確かに今16時5分。なんやかんや準備をしてて遅くなってしまったんだ。その前にもちょっとやることがあって……。



「あれ?例の人はまだいないんですか?」

「いや、もういるはず。お店で待ち合わせなんだよね。なのにアンタ遅いから」

「す、すみません!」



……というか切原さん、また一段と化粧が濃く……いや、これもこの際言うまい。

駅前からちょっと歩いたところにあるカフェでお茶をしようって話になってるらしい。カフェでお茶なんて、何だか上品そうな人なんだろうなぁと思った。切原さんが好きだったぐらいだし、サード先生みたいな兄貴分っぽい人かと思ったんだけれど。



「ところで切原さん、なんやかんやお誘いするの早かったですね」



ちょっと前までどーしよーって、悩んでいたのに。切原さんに春が来ることはあたしも喜ばしいけど、まだやっぱりサード先生を引きずってるのかと思ってた。



「まぁね。中学同じだし、共通の知人ってもんがいるじゃん」

「なるほどー!…ということは、今日来るもう一人の方も同じ中学だった人ですか?」

「同じ中学ってゆーか……、あれ、アンタ聞いてないの?」

「はい?」

「あいつから、今日来るって」

「あいつ……とは?」



「切原さん!」



あたしが切原さんに疑問を投げかけたと同時ぐらい。少し前のほうから、彼女を呼ぶ声がした。

そちらを見ると、一人の男子が手を振ってた。眼鏡でビシッとした髪型に服装。
というか、あれ、あの制服。県内でもめちゃくちゃ頭のいい私立、K高校の制服ではないですか!?何、切原さんが好きだった人って、めちゃくちゃ優等生?



「柳生くーん」



サード先生に対してもだけど、切原さんの声はいつもより3オクターブぐらい上がってた。かわいい声なんだけど、裏というか本性を知っているだけに、ちょっと寒気が。



「お待たせ!ごめんねー、この子が遅刻しちゃって!」

「いえいえ、問題ありません。お久しぶりですね」

「ね、久しぶりー!」



いや、サード先生に対して以上だこの猫被り様。でもその目の奥底ではきっとヒョウのようにギラギラこの彼を狙って……、



「はじめまして、柳生比呂士と申します」



横の切原さんを、文字通り珍しい生き物を見るような目で見ていたら。

目の前の彼、柳生くんが自己紹介をしてくれた。眼鏡の反射で目はよく見えないけれど、とても柔和な微笑み。…きっといい人だ!



「は、はじめまして!高橋裕花です!」

「今日はよろしくお願いします」

「こ、こここちらこそよろしくお願いします!」



何緊張してんのよって目で切原さんには見られたけれど。でも緊張するよ、今日は切原さんの決戦の金曜日なんだから。あたしが変なことをしてしまったら破談してしまうかもしれない。

そう、あたしは切原さんにも春が来るべくしっかり切原さんの数少ない長所をアピールしないと……、



「仁王君ももう中にいますよ」



挨拶もそこそこに。柳生くんはお店の扉を開け、先にあたしたちに入るようエスコートしてくれた。うわー、いい人っていうかジェントルマンだこの人!紳士的だわー………、

……あれ?今何と?
先程の柳生くんの発言を頭で噛み砕きながら足を進めると。

案内された席にいたのは。



「仁王くん!?」



しまった、あまりの衝撃で店内に響き渡るぐらいの叫び声を上げてしまった。これは明らかに失敗、というかやらかしだということに気づいたのは、切原さんにこっそり足を踏まれたのと。

視線の先の仁王くんの顔が、いつも通り不快そうに歪んだから。…いやいつも通りではないかな、久しぶりだったかな。最近彼もだいぶ優しくなってきたし。



「彼が来ること、ご存知なかったんですか」



柳生くんだけはクスクスと笑ってくれた。もしかしたらこれも侮蔑の一種なのかもしれないけれど。

柳生くんの笑った顔を見たら、恥ずかしい心が少し和らいだ。誰かに似てるなぁって、そうも思った。



「仁王、裕花に言っとくって言ってたじゃん」



早速猫被りが崩壊してるようですが切原さんは、文句を言いながら仁王くんの斜め前の席に着いた。柳生くんはなかなか座らず、あたしに奥へどうぞというように手で合図した。

勧められるがまま、あたしは仁王くんの正面に座った。



「忘れとった」

「ほんとー?どうせ裕花を驚かせようって魂胆だったんでしょ」

「さぁな」



仁王くんはすでにコーヒーを飲んでいた。柳生くんはまだ待っててくれてたみたいで、切原さんとともにこれからレジのほうに買いに行くって。あたしの分も買ってくるって。早々と二人して席を立った。



「……」

「……」



気まずい。そう思ったのは二人の背中を見送った後。やっぱりあたしも行けば良かったと。でも今更席を立つのも、何だか仁王くんに失礼な気がして。

こっそり仁王くんに目を向けると、仁王くんと一瞬、目が合った気がした。気がしたっていうのは、すぐに仁王くんは別のほうを向いたから。本当にほんの一瞬だったから、彼があたしを見ていたのか、たまたま視線が移動中だっただけなのか、わからなかった。



「……に、仁王くん」



沈黙に耐え切れずようやく口を開くことが出来た。その直前、レジのほうを見ると、夕方だからか混み合ってて、まだまだ時間がかかりそうだったから。



「…きょ、今日、部活はどうしたんですか?」

「今日はレギュラーとOBの試合じゃき。自主練だけ」

「へー、そーでしたか…」



会話が続かない。ああ、こんなに気まずいなんて。

理由はもちろんわかってる。仁王くんもきっとわかってる。
ただ、あたしからは何も言えないし、仁王くんからも何か言えることはないんだろう。



“俺の勝手だから”



そう気を使って言ってくれたけど。
どうしても、あの文字が忘れられない。



「避けとる、よな」



あたしが黙っていると、仁王くんの口が開いた。目線はテーブルの上のコーヒーに向かってる。



「…え」

「俺とは会いたくなかったじゃろ?」

「……」



そんなことはない。あたしは今、立海入学以来の順風満帆な生活だし。その一部でもある仁王くんとは、これからも仲良くしていきたいって、本当に思ってるから。

でも気まずいのも事実。避けたいんじゃなくて、避けてしまうんだ。体が勝手に。

嫌とかそんなんじゃない。ただ。
これ以上近づくのは、ダメだって。体がそう判断してるんだと思う。



「……言わなきゃよかったかのう」



仁王くんの不愉快そうな顔、不機嫌そうな顔、最近は優しく笑う顔、それを見てきて。

悲しそうなこんな顔は初めてだったし、初めてなのに、もう見たくないと思った。



「そんなことない!」



またしても叫んでしまった。レジのほうにもきっと届いた。切原さんや柳生くんにも聞こえただろう。でも周りの目を気にしている余裕はなかった。

目の前の仁王くんから目は離せなかった。



「…少なくともあたしは、うれしかった」



さっきの声とはかけ離れてるほどの小さな声。小さいだけじゃなくて、苦しかった。さも苦しいような声だった。
あたしでもこんな声が出るんだなって、そう思った。



「…俺だって、そんな顔させたかったわけじゃない」

「……」

「ただ…」



その先は繋げず、仁王くんはテーブルの上に置いてあるあたしの手を、自分の大きな手で包んだ。ずっとコーヒーカップを握ってたからか、もともとの温かさよりもずっと熱い。

顔は笑ってる。さっきみたいな悲しそうな顔じゃない。言葉はもっとずっと、悲しみを帯びてるのに。

さっき感じた柳生くんの笑った顔。誰かに似てると思ったのは、仁王くんだった。

丸井くんのキラキラした笑顔は、あたしをドキドキさせるし、あたし自身を笑顔にさせてくれる。同時に、大丈夫って言われているようで心も安らぐ。

仁王くんの笑った顔は、安らぐというのとはちょっと違って、何だかいい意味で感情が鎮まる。和らぐと言うのかな。たぶん、優しい笑い方なんだろうって、たった今気付いた。



「あたしは…い、いつも通りがいいので、いつも通りにするので」

「ああ」

「仁王くんも悩まないで」



こんな仁王くんに悩まないでなんて酷な話だったかもしれない。

それでも仁王くんは、また優しく笑ってくれた。
つられてか、和らいだからか、あたしも笑った。

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