「は…うん!」
「一人だと寒いだろうし、湯たんぽ使ってお茶飲んであったかくしてろよ」
「は…うん!ありがとう!」
朝のHR前の時間。丸井くんは近頃この時間によくE組まで来てくれる。クラスも違うし、またあたしは男子コートの隣で練習を始めたけれど会話は出来ないし。
というわけで比較的時間に余裕のあるこの時間帯にこちらへ来てくれるのだ。帰りも一緒だけど、出来れば他の時間も会いたいねって、なったので。
「ずいぶんとラブラブじゃないか」
るんるんで席に戻ると、隣の幸村くんがそう言った。嫌味ですかね、それとも微笑ましく見てくれてるんですかね。
どちらにせよ彼の言葉通り、丸井くんとラブラブなのは事実なので、そう他の人からも言われることはうれしいこと。
「こないだまでは複雑だったけど無事解決したので!」
「ふぅん。それはよかったね」
「はいっ!」
「ブン太もここまで入ってくればいいのに。二人きりがいいのかな」
嫌味ですかね、それとも微笑ましく見て頂けてるんですかね!
近頃、この幸村くんでさえあたしに優しくなった。つまり先程の言葉は幸村くんも喜んでくれていると解釈します。まぁ丸井くんが幸村くんの友達だからというのもあるんだろうけれど。
というか、幸村くんの言葉はそれその通りだと思った。せっかく同じテニス部の二人がいるのに。もしかして別府さん(あたしの前の席)がまだ嫌だとか?それとも幸村くんの言うように、あたしと二人が?
「…あれ、仁王くんはまだですか?」
ふと振り返ると仁王くんが、まだ来ていなかった。
「朝練にはいたけど。ふらっとどこかへ行っちゃったよ」
「へー…」
「あ、あたし見たよ、仁王」
いまだ息を弾ませたままの切原さんが答えた。切原さんはついさっき教室に駆け込んで来たばかり。遅刻寸前だと思ったのか、あたしと丸井くんの間をわざわざ駆け抜けてきたんだ。実際にはまだ時間はあって、切原さんは早速、携帯を弄ってる。
…仁王くんを見たと?
「なんか女子と歩いてたな。たぶん先輩の」
「先輩ねぇ。校内でデートでもしてたのかい?」
「さぁ?告白の呼び出しでもされたんじゃないの。知らないけど」
余談だけど切原さんは近頃、SNSとやらにハマっているそうで。あたしは携帯を持ってないから仕組みはよくわからないけど、何とそれを使うと、もうどこに住んでいるかも知らないような、かつての級友たちを簡単に探せるらしい。この情報社会も発達したものね。
そうこうしていると渦中の人物、仁王くんがやって来た。うちのクラスのサード先生は、他のクラスよりも少し教室に来るのが遅い。今日の仁王くんのようにギリギリであっても、うちの先生よりは早いんだ。切原さんは諸々の事情で絶対遅刻はしないと決めてるみたいだけれど。
「…何それ仁王。風邪?じゃないよね」
幸村くんが怪訝そうに聞いた理由。それは仁王くんがマスクをしていたこと。幸村くんは今朝練習でハッチャケている仁王くんを見たばかりだったらしい。風邪とは思えないぐらいに。
「ちょっとな」
「へー。…あ、そう言えばさっきから高橋さんが心配してたよ、仁王がなかなか来ないから」
ね?って笑顔で同意を求められると、あたしも首を横に振るのはおかしい。
いやいや、確かに仁王くん遅いなとは思ったけれど別に心配なんて…!
近頃、丸井くんともラブラブだし、仁王くんも幸村くんも優しくなり、切原さんはポツポツと練習のお付き合いもしてくれるようになり。
あたしとしては立海入学以来、これ以上ないぐらいの順風満帆な近況であるからして。その仲間(勝手に入れてるけれど)である仁王くんに異変があればやはり気になるから、かな。
「あ、そのー…、風邪ならこれをどうぞ!」
あたしはポケットから飴を出した。丸井くんからもらったもの。のど飴ではないけど、きっと喉を潤してくれるに違いない。
「どうも」
受け取ってはくれたものの、仁王くんは食べずに内ポケットにしまった。…今はそんな気分じゃないのかな。元気は確かになさそうだけど。
それからHRや午前中の授業を過ごすうちに、やっぱり変かもと思った。後ろの席の仁王くんからは、咳やくしゃみや鼻水鼻詰まりといった感冒諸症状の気配がなかったから。
…まぁあたしは前の席だから気付かなかっただけかも。
そしてお昼休み。今日は切原さんと女子テニス部の部室でランチ。本当は部活時間外は使用禁止されてるんだけれど、というかそれを条件にサード先生から頂いた部屋なんだけど。切原さんがどーしてもと、相談したいことがあると言って聞かなかった。
「でね、どーしようか悩んでるってわけ」
「その人とデートするかどうかですか?」
切原さんの悩みはこうだ。先程言ったように切原さんはSNSというものにハマってて、そこで現在の同級生だけでなく、小中時代の友達とも再会できたそうで。その中にかつて好きだった人がいるらしく、メッセージのやり取りをするうちに、暗にデートを誘われた、ということらしい。
「行ったら良いじゃないですか!」
「でもさーいきなり二人ってなんかねぇ。てかハッキリ誘われたわけじゃないし、あたしからいつにするー?とか切り出すのもなんか」
「昔好きだった人となんて、素敵ですよ!」
「うーーーーん」
切原さんは意外にも慎重派なのかな。サード先生に操を立ててるとか?フラれたけれども。
というか、さっき言ったけど、昔好きだった人とデートなんて素敵だと思った。あたしだったら英二くんと、になるのかな。今は丸井くんがいるし、英二くんもたぶんまだあの子と付き合ってるだろうからそんなことはあり得ないけれど。少し大人になってからかつて好きだった人と、と言うのは今後誰でも経験し得ることなんじゃないかしら。
…そんなこと言うとまるで今後丸井くんと別れるかのような感じだけど。今のところそれはないし。万一別れたとしても、あたしがきっと会いたいと思えるのは英二くんではなく丸井くんになる。というか丸井くんに会いたいと思って毎日過ごすことになりそう。あーしーたーの〜、いーまーごーろーにーはぁ〜…………なんて、
「そんな切ないのは嫌だ!」
「な、なにいきなり!?」
「…あ、ごめんなさい!何か変な妄想が膨らんじゃったので」
丸井くんと別れるだなんて、ただの妄想でも悲しい。別れてからの自分が想像出来てしまう。
大事に大事に、していきたい。
「…あ、電話」
「え?」
「ごめ、ちょっと出る!」
自分の悲惨な妄想に何とかストップをかけ、さぁ切原さんの後押しをしようサード先生はもう諦めなさいと言おうと思ったところ、切原さんの携帯に着信あり。
…あの慌てふためく姿を見るに…、例の人かしら。切原さんにも春が来て欲しいですね。
しかし。いくら昼間であっても、この部屋にひとりぼっちにしないで欲しい。幸い明るい今、理科準備室はよーく見えるし、扉もぜーんぜん開いてない。
…もうちょっとよく確認しようかな。
やはり恐怖は拭えず窓に近寄って確認。うん、やっぱり大丈夫。丸井くんとともに軽い心霊体験したけど、あの日はそれ以上のことをしたから全部吹っ飛んだ。
…あー、あたしもついに大人の仲間入りしたんだなぁ。丸井くん、あったかくて優しかったなぁなんて。
そのとき、ふと下を見てドキッとした。あたしの頭の中をいっぱいにしていたその人、丸井くんがいる。校内に二人といない赤い髪のおかげで、顔を見なくてもすぐ彼だとわかる。
その真正面には………、女子だよねあれは。
どうしよう。窓を開けて耳を済ませれば会話も聞こえるかもしれない。でも窓を開けて、その音で上を見られたらバレる。…いやバレるってよくわからないけど。別に丸井くんは浮気してるわけじゃないし。疚しくないよ全然。ただ女の子とお昼休みに二人きりでいるだけで………、
“告白の呼び出しでもされたんじゃないの”
今朝の切原さんの言葉が頭を過る。
今は11月。寒くもなってきたし来月はクリスマスがある。彼氏彼女が欲しくなる季節だという意見に異論がある人はそうそういないだろう。もしかしたら一年のうちで、新学年新クラスメイトと出会う4月5月並みに告白実施率が高いのではないか。むしろウィンウィンの関係から成就率は上ではないか。
丸井くん、その女子は誰ですか……!
「あーあ、気分悪い眺めじゃのう」
突然、横から声がして、驚きのあまり窓に頭をぶつけそうになった。
その声の主は、誰ですかなんて聞かなくてもわかってる。仁王くんだ。
「な、なななんでここに!」
「扉開いとったから」
「開いとっ…………切原さんっ!」
せっかくこっそり密談のお付き合いをしていたというのに、切原さんは余程電話に夢中だったんだろう、扉を開けっぱなしにして姿を消していた。
こんなところを先生に見られたら大変なのに!没収されてしまう!
…というか、
「仁王くん!?」
「うるさいのう。部屋狭いから響くじゃろが」
「そ、その顔は何ですか!?」
まじまじと見てビックリした。仁王くんは、今朝はマスクをしていたけれど、今は外している。そして思った通り風邪ではなかったようで、それなのにしていたマスクの意味がわかった。
口元に痣がある。唇には切傷も。
「殴られた」
「誰に!?」
「女の先輩」
それは今朝、切原さんが見たという人だろうか。つまり切原さんが見た直後、仁王くんは殴られたと?
「大丈夫ですか?痛そう…」
「もう平気」
「アイスロンはないし…保健室行きますか?」
「今朝行ってちょっと冷やしたから平気じゃき」
そうか、だから遅かったのか。単に呼び出されただけではなくて、そういう理由だったのか。
痛々しい口元の仁王くんに着席を促して、あたしも座った。丸井くんの動向は気になるけれど…。
「何で殴られたんですか?」
こっちも気になる。
仁王くんは、最初は意地悪だったものの、文化祭以降は目に見えて優しくなった。丸井くんとのことがあったときも、励まして応援してくれた。
丸井くんを手放しにしてしまうことになるけど、それは丸井くんを信じているということと、
仁王くんには恩があるということ。それがあるから。それだけ。
「ヤリ捨てひどいって」
「ヤリ捨て…とは?」
「一回だけやったんじゃ。でも付き合えんって言ったらグーで殴られた」
「なるほど!それは難儀ですね」
「グーで殴られたの初めてじゃき、むちゃくちゃ痛かった」
「そうですよね、せめてパーですよね!」
「パーも痛い。真田の制裁とか頭吹っ飛ぶぜよ」
「ああ、確かに彼はとても力が強そう………ってええええー!?」
「ようやく?」
あたしのツッコミもとい絶叫を待ってたんだろうか。仁王くんは笑った。さっきはうるさいって言ってたのに。きっと自分でもおかしいとわかってるんだ。
「それは仁王くんが悪いです!」
「裕花ちゃんならフォローしてくれると思ったんじゃが」
「出来ませんそれは!そもそも好きな人とじゃないとそういうことはダメなので……っ」
言ってからしまったと思った。
あたしはきっと、余計なことを言ってしまった。
それ以上に余計にも、あたしはまずいって顔をしてしまった。
「そうか」
「あ、えーっと…」
「それなら俺は当分やっちゃダメじゃな」
また笑った。また、待ってた?この反応を。
たぶん今のでもうわかってる。バレてる。
「“でも応援しとるよ”」
「…え?」
「書いとったじゃろ。それも本心」
仁王くんは立ち上がってあたしのすぐ横に来た。
まずいかも、そう思っても、体が動かない。
仁王くんはあたしの頭をぽんぽんと撫でた。よくやられることだ。
「お前さんが悩む必要は一切ない。俺の勝手だから」
そう言って仁王くんはもう一度笑った。そしてポケットからマスクを取り出して付けて、部屋を出て行った。
悩む必要はない?本当に?仁王くんの勝手って、それでいいの?
少しホッとしたあたしは性格が悪いのかもしれない。それはあたしの都合だけのことで。仁王くんに対しても、丸井くんに対しても、どちらにせよ何もいいことはないかもしれない。
仁王くんは気付いた。あたしがあれを見たことを。
もらった二枚重ねの折り鶴。一枚目は丸井くんの電話番号、
二枚目は仁王くんの、気持ちだった。
あの日、丸井くんとここで結ばれた日、その夜に丸井くんに電話がしたくて堪らなくなってあれを開いた。ようやく開くことが出来た、が正しいのかもしれない。
そのとき、あたしは単純にうれしさも感じたし、まさかそんななんて意外にも感じた。
同時に、見てないことにしようとも思った。
丸井くんと仁王くんは友達だから。それが理由だけど。
それは二人のためになのか。自分のためになのか。はっきりわからない。
外見も中身も美しくなんてなれない。