たまたま。本当にたまたま、行った先のコートを囲むフェンス近くに丸井くんがいた。だから思わず声をかけたわけだけど。
丸井くんのビックリした顔を見て、ちょっとしまったと思った。泣いてたし、そう言えば付き合うって話になってから話してなかった。お互い他の人との噂があってお互い知ってたけれど、それについても話してなかったから。
「高橋……え泣いてる?どーした?」
気まずいって思われちゃうかと思ったけど。それよりあたしの涙をまずは心配してくれたようだ。すぐにフェンスに駆け寄ってきた。
「あの…」
「なに、何かあったのか?」
「丸井くんは違いますよね?」
「え?」
ああ、また言葉足らずだ。ちゃんと説明しなきゃ丸井くんだって答えようがないのに。
あたしがフェンスを掴むと、その上に丸井くんも重ねてきた。あたしが来るまで激しい運動をしていたせいだろう、息も弾んでるし指先まで熱い。
「違うって…城崎さんのこと?」
「あ、いえ、そうではなくて」
「じゃあなに?」
わかんないんだけど。そう言って丸井くんはぎゅっと手に力を込めた。何だかその行動と話し方が、怒ってる…とまではいかないけど、もどかしそうな苛立ちを含んだように感じた。
ついさっき、あたしを心配したんだろうことは勘違いではなさそうだけれど。
これは……この場で、あたしのこと中身も含めていいと思ってるんだよねって、聞いていいものなのか。
そのために来たはずだったけど、迷いが出てしまって黙り込んだ。そしたら丸井くんが続けた。
「…俺も聞きたいんだけど」
「は、はい…」
「湯布院…は置いといて。仁王のこと」
ああそうだった。仁王くんとのことは、あたしですら耳に届いてて、当然仁王くんも知ってるんだろうなぁなんて思ってたけど。
それならもちろん、丸井くんにも届いてるよね。
「手、繋いでたって」
「……」
「ほんとかよ」
丸井くんの手がさらに強くなった。
それは本当だ。この、確信してる丸井くんには嘘をつくことも出来ない。というより丸井くんに対して、嘘はつきたくない。ついた後が怖いから。どれだけ自分が罪悪感に苛まれるか、簡単に想像つくから。
あたしが軽率だったのは間違いない。でもあのときそれを十分わかっていたとして、仁王くんの手を振り払えたかと言えば、出来なかったと思う。あれは彼のあたしを励ます優しさだったから。
事実、もしかしたらただの余興だったかもしれないあの折り鶴でさえ、開くことが出来ていない。
「…もーいい」
「ま、丸井くん…」
丸井くんは力無く手を離した。そしてこの現場を見つかったらまずいんだろう、ちょっと辺りを見渡した。
一番厳しいと有名なあの帽子系男子、真田くんは運良く遠くのコートで試合中。
「で、お前の話は何」
ぶっきらぼうだけど、こんなときでもちゃんとあたしの話を聞いてくれる。さっきも心配そうだったし、優しいのは変わりない。
「…その、丸井くんは、あたしのこと」
「……」
「外見で選んだんじゃないかと、言われて」
「誰に」
「お、温泉たちに」
「温泉…?」
丸井くんはちょっと考えたようだったけどすぐに、あーって、頭に浮かんだようだった。
「で、それを信じてると」
「い、いえ!違うって、思って……思いたいんですけど」
何でだ。何でこんな気弱な言葉しか出ないんだ。違うってわかってるはずだったのに。丸井くんは、最初からあたしにうるさそうにしたりウザがったりしなかったじゃない。ずっと優しかったじゃない。そんな人じゃないって、わかってるのに………、
「そー思うなら思っとけば」
同時に真田くんの試合も終わったようだ。たぶん、ちょっと視線を感じた幸村くんや柳くんは見逃してくれてたけれど、真田くんはそうはいかない。
丸井くんは走って、練習に戻って行った。
もう終わってしまうかも………。
「いやー、それはヤバかったね」
「……」
「ちょっとその現場、見たかったわー!残念」
何だか楽しんでませんかね、切原さん。というか喜んでませんかね、この事態。
丸井くんとの修羅場(?)から一夜明けた放課後。あたしは切原さんとともに部室にいる。
丸井くんとだけではない。例の温泉三人とも修羅場があり、今日は学校に来るのが極端に嫌だったけれど。
前の席の別府さんはしれっとしていた。プリントを渡すときも変わらず、後ろを向いてはい、と。
まぁあんなことがあったのに何でしょうとその強心臓ぶりを見習いたいと思いつつ、あたしも自然に振る舞えていたようで(切原さん曰く)、なかなかだなと思う。
さて、本当だったら切原さんが心開いてくれた今、部活をしたいところなんですが……、
「ところで切原さん、進んでますか?」
「えー、まぁぼちぼち」
「……全然進んでない!さっきから一問も出来てないっ!」
「ウルサイバカ黙れ」
「す、すみません…」
「てか、この部屋暗くない?なんか電球切れそーじゃん。目悪くなっちゃう」
「す、すみません…部費が足りなかったので」
進んでるかって言うのは数学と物理と英語の課題。何と切原さんは先のテストで赤点だったのだ。しかも全然ギリギリというラインではなく、余裕の赤点。そして各担当の先生から課題を出され、クリアしなければならない。
サード先生に依頼され、こうしてあたしが教えることとなったわけ。
中間でこれなんて…期末なら冬休みの講習や追試もあるのに。大丈夫なんだろうか彼女は。
「でもさぁ、ちゃんと謝ったほうがいいよ」
「え?」
「丸井に。仁王とはなんでもないってさ」
それはそうなんだけれど。何だかあのときは言葉に詰まって、というか丸井くんの気迫?もしくはあたしが動揺してたせい?で、何も言えなかったんだ。あれは事実だったし。
「まさか仁王もいいなぁとか思っちゃってない?」
「まままさかまさか!それはないです!」
「怪しいなぁ。気をつけたほうがいいねコレは」
「…何がでしょう?」
「仁王の、乙女のハート鷲掴みスキルは半端ないから」
何だその歌舞伎町ホストの必殺技みたいなのは…!
聞くと、中学の頃は大半の女子が一度はそれにかかってしまったらしい。実は切原さんも危なかったとか何とか。
おまけに仁王くんは、どんな手を使ってでも相手に告白させるそうで、本当ならただ仁王くんが軽いだけになるのだが、告白されちゃうものだからただの優しいモテ男に錯覚させられるとのことで。
「あ、あたしは大丈夫ですよ!お互い恋愛対象にないはずです!」
「どうだかねぇ。やだよあたし、一カ月後にアンタが仁王に告るとか。丸井とのことも知ってんのに、気まずいにも程がある」
あたしだってそうです。そんなことしたら立海にいられなくなる。最近ようやく自分の居場所が出来たような気がするのに。
…と、切原さんは、机の物をバタバタと片付け始めた。
「…あれ?切原さん?」
「ん?ああ、もう18時だから」
携帯画面をパッと見せられた。待ち受けは弟の切原くんとのプリクラ。黒目がデカくて天使みたいだ。
…というか、ほとんど課題が進んでないけどいいんだろうか。
でも切原さんを説得するのは無理だし。しょうがない、あたしも帰る準備をするか。
そのとき、部室の扉をコンコンコンって、弾むようにノックする音が。昨日は仁王くんだったけど、今日は…?
すぐにあたしは立ち上がって真正面の理科準備室を見た。その勢いに切原さんがビクッとなった。
向こうはもう廊下の電気も消えてて真っ暗。当然扉も閉まってるから例のあいつがあのままあそこにいるかどうかはわからない…!
「…何動揺してんの?」
「え!い、いえいえ!」
「はーい、今開けまーす」
切原さんは少なからずサード先生を期待していたと思う。さっきも、もしかしたら様子見にくるかもーなんて浮かれてたから。
でも切原さん…その先には人体模型がいるかもです……!
「…あれ、アンタどーしたの?」
扉を開けるのを阻止しようと、あたしの体が動いても遅く。切原さんはさっさと開けてしまった。
そして扉の外にいた人物に、驚きを見せた。
振り返ってあたしを見た切原さん。微妙に口元が緩んでる。楽しんでるのか、よかったねということなのか。
「じゃ、あたしはお先に帰るから〜」
そう言って、鞄を掴んであっという間に出て行った。そのとき、アンタ何持ってんのそれ?って、彼に聞いたのが聞こえた。
訪ねて来たのは丸井くん。
切原さんの言う通り、何か持ってるんだろう、両手を後ろに回してる。
「…昨日はごめん」
その両手から差し出されたのは、小さな花束と袋。
受け取ると、花束はピンクの草花。袋の中にはケーキらしき箱が入ってた。
“ケンカした翌日は、花束とケーキを買ってきて仲直りしたり!”
あの話、覚えてたんだ。思わず言ってしまったことだったのに。
鼻の奥が痛くなったと思ったら、目も熱くなってきた。
「…ほんとごめん」
「……っ」
もらった花と袋を抱きしめたその上から、丸井くんはあたしを抱きしめた。本当なら、あたしも手を回したいけれど。大事なものをもらっちゃったから。
「…ひっく!」
あたしのバカデカい嗚咽に若干、丸井くんはビクッとした。耳元だったからかなり響いただろう。申し訳ない。
「…ぶ、部活は……」
「終わってソッコー着替えてここ来た」
「じひゅれんは……」
「休んだ。明日、今日の分もやる」
それより話したかったから。
そう言って体を離した丸井くんは、すぐにゲッて顔をした。
花束が潰れてる。あたしが抱きしめてたからと、その上から丸井くんが抱きしめてたから。
「あああー!」
「ご、ごめん!ついぎゅってしちまって…」
「い、いえいえ、あたしも強く持ち過ぎたので…っ」
せっかく初めてもらった花束なのに。くれた丸井くんにも申し訳ない。
ダイアンサス、って言うらしい、この花。幸村くんに花が欲しいって頼んだら、これを勧められたって。
撫子だけど、この種類は園芸用の外来種。…外来種なんて、幸村くんの軽い嫌味のような気もするけれど。
その花言葉は……、
「忘れた」
「ええええー!」
「でもお前にピッタリだと思った、気がする」
何だろう、気になるけれど。
丸井くんとのこれからが、もっと大事なことだ。