あたしはまだ何もない4畳半ほどの部屋を見渡しながら、何を配置しようか検討中。
そう、ここは部室。女子テニス部の。顧問のサード先生から頂いた部屋だ。
『喜べ高橋。ついに空き部屋が出来たぞ』
『空き部屋…とは?』
『お前部室欲しがってただろ。そこを女子テニス部の部室に使っていいぞ』
『…部室……えええ!本当ですか!?』
『ほんとだ。“月刊ジャンピーを考察する会”っていう同好会がなくなったから、そこが使ってた部室が空いたんだ』
『やったー!』
月刊ジャンピーって一体何なのか不明だったけれど、どうやら廃刊になったそうで、その同好会もなくなることを余儀なくされたらしい。
…ていうか、あたしの女子テニス部も廃部の危機だけれど、そこはサード先生が頑張ってくれたらしい。本当、いい先生ですね!
ただ、一つ難点が。
「……うーん、見えないなぁ」
そう、与えられた部屋は旧校舎の一番上の一番奥。華やかな新校舎と違って所々黄ばんでるし、何よりここからは真正面に理科室前の廊下があるだけで、窓から身を乗り出してもテニスコートは見えない。
おまけにもう一つ問題が。
「……さっきは閉まってなかったっけ、あの扉」
目の前の理科準備室。少し開いた扉の向こうに、何だか人影のような……というか、人体模型が見える。
人体模型が夜中に動き出す。なんて七不思議があるとかないとか。
…ちょっと立地が悪いような。いやいや、でもそんなワガママは言ってられない。せっかく部室を頂いたんだから………、
その折、コンコン…と、静かに扉をノックする音がした。
「ひいっ!」
まだ昼間、というかお昼休みなんだけれど、突然のノックに心臓爆発とともに一気に鳥肌が…!
ゆっくり振り返るともう一度ノックの音が聞こえた。
まままさかあの人体模型がやってきた…!?いやいやいや、ちゃんと人体模型はあっちに………、
「……ないっ!」
正確には見えない。いつの間にかあっちの扉は閉まってる。
まさかまさか、本当に人体模型……!?
うーう〜きっと来る〜的な!?
「裕花ちゃーん、まだおるじゃろ?」
扉の向こうから、何だか仁王くんみたいな方言が聞こえた。まさかまさかまさか、人体模型は仁王くんと同じ出身地………、
なわけない。ああ、ちゃんとした人間の仁王くんだ。良かった。
ほっと一息ついて扉を開けると、仁王くんはいきなり吹き出した。
「その顔」
「え!あ、何でもないです!」
「変な叫び声聞こえたんじゃけど」
「ちょっとした心霊体験を…」
「なんじゃそれ」
仁王くんはスタスタ中に入り、窓から外を見渡した。
「さっきここの部屋に入っていくの見かけたんじゃ」
「あ、ここ、今日から女子テニス部の部室になったんです!」
「へー。景色悪いのう」
その通りです。最上階のくせに新校舎の影に隠れて、とても景色が悪い。おまけに理科室と向かい合わせなんて。
何でこんなところで仁王くんに見つかったのかと言うと、そう言えば屋上への階段が割と近い。また屋上に行ってたのかしら。
外を見る後ろ姿の仁王くんは、同年代の中でも背は高い方。長いし派手に染めてるのに全然傷んでないんだな、髪。
ジッと見つめていたら、急に振り返った仁王くんと目が合って、ドキッとした。
「あのよ」
「は、はい…!」
もしかしてジッと見てたこと怒られるかな。最近は優しいとはいえ、以前はとても当たりが厳しかったし。
それ以上に、何だか変な感覚があった。
仁王くんとあたしは、例の件から付き合ってるという噂が広まった。切原さんの言う通り、湯布院くんなんて目じゃないほどの超絶スピードで中高問わず広まった模様。
でもそれに関して仁王くんとは別に何も話してない。あたしが知ってるぐらいなんだから、当人の仁王くんも知ってるはずなんだけど。
何言われるんだろう。ドキドキする。それが、変な感覚。
「あそこなんじゃけど」
そう言って仁王くんは、理科室の方を指差した。
「さっき閉まってたんじゃが、ちょっと目を離した隙に」
「ま、ままままさか…!」
あたしの言葉足らずの反応に、仁王くんはコクッと無言で頷いた。
徐に窓へ近寄ると、…確かに開いてる。
その向こうに人体模型は………、
「ギャーーーー!ないっ!!」
「や、あるじゃろ」
「……え?」
「ははっ、やっぱりあの模型にビビってたんか」
仁王くんはケラケラ笑いながら、よく見ろとあたしの腕を持ってちょっと、背伸びをさせた。
本当だ。よく見ると普通にある。ていうか背伸びをしたら向こうに先生がいるのが見えた。ちなみに理科の先生は小柄な女性。そして新校舎の方が若干天井が高くて、同じ階数でもここより高いわけで。
つまり、さっきから普通に先生が開け閉めしてたのね。背の高い仁王くんには先生が見えてたと。
「ひどい!」
「やー、さっき叫んどったし、たぶんそうかと思ってのう」
「騙すなんてひどいです!バカ!」
「お前に言われるとは心外じゃって」
その台詞はいつかも聞いたな。というか、ラケット持ってないのにあたしも言うようになったな。この仁王くん相手に。
…ふと、仁王くんはあたしの腕を掴んだままというのに気付いた。
「…あーすまん」
あたしの視線に気付いたんだろう。仁王くんは手を離した。
だって仁王くんが言ったから。こういうのはダメって。なのに頭撫でたり手を握ったり、今も掴んで。
「折り紙」
「…はい?」
「鶴。開いた?」
仁王くんからもらった折り鶴。丸井くんの携帯番号が書かれてるというもので。
実は開いていない。丸井くんの番号を知りたいのは山々だったけど。
仁王くんがたぶん、あたしを励ますつもりで折った鶴を、あたしは開けなかった。
…これは丸井くんへの裏切りになっちゃうのかなぁ。
「…ひ、開きました」
「……」
「で、でも、緊張して丸井くんには電話、かけられなくて…」
「ふーん、そっか」
仁王くんがもし、丸井くんから何か話を聞いてたらまずいので、開いたものの電話はかけれなかったということにした。
嘘をついた。仁王くんに。丸井くんに対してとは別の、罪悪感とはハッキリ言い切れない気持ちが湧いてきた。
「じゃ、俺は行くぜよ。またあとで」
「…え、あ、はいっ!後ほど!」
仁王くんは、前までは本当、あたしにはウザそうな顔か意地悪そうな顔しか見せなかったのに。少し笑ってこの場を去った。
でも少し違和感。
“開いた?”
丸井くんに電話をしてないと知っていたのか知らなかったのか、それはわからないけど。今のこの状況ならきっと仁王くんは、何でしないんじゃーとか、やっぱりなーとか、話を繋げそうなものだけど。
何かもう一つ、あるような気がした。書かれているのは、本当に丸井くんの番号なんだろうか。
その日の放課後。あたしはいい加減ハッキリさせないとと思って、湯布院くんの元へ行くことにした。
意外にもあの幸村くんが教えてくれたんだ。“ブン太、ちゃんと断ってたよ”と。
そして事の真相も。
だからハッキリ言わないとって。まさかあたしの前の席のいい人そうな別府さんも厄介なことやってたなんて、信じ難かったけれど。
調べたところ、湯布院くんはI組らしい。…I組って、どっかで聞いたことあるような。
「いやー、ほんと誤算だったわ」
よくよく考えたら放課後に残ってる可能性の方が低いのに、会えなかったらどうしよう、部活とか行方を聞きたいけど誰もいなかったらどうしようと思っていたら。
I組から声が聞こえてきた。
こっそり覗くと、湯布院くんと別府さん、それに丸井くんにラブレターを渡した城崎さんの三人がいた。
ラッキー!事の元凶厄介三強がいる。
……誤算?
「ほんとショックー。噂広まれば丸井くんも付き合ってくれるかなぁって思ったのに」
「デートまでしたのにね。それより今度は高橋さん、仁王くんとだよ!あたしの方がショックだし」
「いいじゃん、別に事実じゃないんだし。俺もなー、高橋さんみたいな彼女だったら勝てると思ったんだけど」
「あはは、湯布院くん、去年仁王くんに好きな子取られたもんね〜」
「うるせーよ!」
「でも仁王くん、あのときもすぐ別れてよかったよ。あたし的には」
あたしがいるとは知らず、中の三人は事実何だかよくわからない、事実だとしたらとても非情なことを話していた。
それに驚きのような、少なからず知ってる人たちだったのでショックのような。
そう思ってるあたしをよそに、別府さんがさらに非情な話を続けた。
「まぁ、丸井くんもそう思ってるからだと思うんだよね」
「え?」
「同じクラスの桜から聞いたんだけど、もともと高橋さん、青学じゃん。去年全国大会で見て、丸井くんとかがかわいいって言ってたらしくて」
別府さんはいい人だと思っていたけれど、今はただの噂好きなご近所のおばさんに見える。
…というか、丸井くん、去年からあたしのことかわいいって?そう思ってたの?
「丸井くんも高橋さんのこと、外見でいいと思ってるだけでしょ」
「確かにそうかもー。中身はけっこう残念って話だしねぇ」
「そうそう、けっこううちのクラスじゃヤバいよあの子」
見た目はいいのに中身は残念。そう言われることには慣れてる。多少ショックや悲しいことではあるけれど、あたし自身も自覚出来てるつもり。
でもこれは……、この三人が言ってることは………。
“丸井くんも高橋さんのこと、外見でいいと思ってるだけでしょ”、その言葉は。
あたしだけじゃなくて、丸井くんまでもバカにしてる。
「…し、失礼します!」
三人で楽しそうにしているところ申し訳ないけどね。あたしだって言われるばかりじゃない。言うことがあるから、ここに来たの。
思った通り、いきなりあたしの出現に、三人は目を丸くして驚いた。そしてすぐに気まずそうな顔になった。
「湯布院くんに、お話があって」
「…え、お、俺?」
何故ビックリしてるんでしょうか。返事はまた今度と言ったのはあなたでしょうが。
そう、声にも出てたみたい。三人は驚き以上に狼狽えた。さっきの話をバッチリ聞かれたことに気付いたんだ。
「あたしは、丸井くんと付き合っているので、あなたとは付き合えません」
「……」
「城崎さん。丸井くんも、あたしと付き合っているのであなたとは付き合えないでしょう」
「……」
「別府さん。仁王くんはわかりませんが、あなたみたいな人と付き合って欲しくないです、個人的に」
では失礼します。
そう言ってI組から走って逃げた。
怖かった。あんなことを言っちゃう人たちにあんなことを言ってしまって。どんな反撃があるだろうって。
それ以上に自分も怖かった。あの三人にそれぞれ今一番キツいことを言った。
例えば幸村くんがあたしの痛いところをついてくるとき、誰かから残念なやつって言われるとき。あたしは少なからず傷付いてた。
その傷を知っていながら他の人にそういうことをしたんだ、あたしは。
泣きそうだと思ったときには遅くて。でも足は何でかテニスコートに向かっていた。
丸井くんは違うって、あたしの中身も含めていいと思ってくれたって。信じたいのに信じきれない。
確かめたかった。