甘かったけどな

不二の話はそこそこに切り上げて、とりあえずあいつを探しに行くことにした。

あいつは確か、カメラを部室に取りに行くって言ってたんだよな。部室っつーか教室な。休日でも基本他校生は入っちゃまずいし、俺は一人で校舎内に入ってった。

E組のドアを開けたら、思った通り高橋はいた。窓を開けて、外を見てる。ここはたいして眺めも良くないけど。
誰か入ってきたって、音でわかるはずなのに、ずっと、外を見てた。
その後ろ姿が、なんかめちゃくちゃ、かわいそうだった。



「高橋」

「……」

「いきなり走って消えんなよ。足はえーな」

「……カメラを、取りにきたので」



そのカメラが入ってるらしい高橋の鞄は、足元に放ってあった。

顔は見えないけど声は震えてはないし、まぁ泣いてはないかと思って。でもなかなか振り向かないから、俺も並んで窓の外見ようと思って後ろから近寄ったら。
高橋は急に、膝から崩れ落ちた。ゴーンって、たぶん膝を打った痛々しい音がした。

大丈夫かよって駆け寄ると、高橋は、痛いですって、すげー小さい声で呟きながら両手で顔を覆った。
あーヤバいこれは。これは、あれする何秒か前だ。

でも高橋は別に、さっきとそんな変わんないトーンで、話を続けた。ややホッとしながら俺も地べたに座った。
泣かねーんならよかった。…よかったのか?



「…あたし」

「……」

「英二くんのテニスが、見たかったんです」

「……」

「すごくすごく、キラキラしてるんです。テニスをしてる英二くん」



それは同調じゃねーのって野暮なことは言わない。単にこいつの、恋するフィルターなんだろうよ。
何となく俺からは何も言えなくて。でも高橋は話を続けた。

だから、青学を離れるのも嫌だったし、女子テニス部作って、また試合会場で会いたかったって。

ずっとずっと、菊丸のキラキラしたテニスを見てきたんだってさ。
だから今日は、すげーうれしかった楽しみだった日のはずなのにって。

高橋は、俺がすぐ真後ろにいることに気づいてんだか気づいてないんだか。それにも拘らず。
ゴロンと、後ろに倒れてきた。

俺は……、いや、何となく。避けちまった。
そのまま抱き止めればよかったものの。恥ずかしい気もあったり、嫌がられたらダサいしなんて、ほんとに一瞬思ったから。

おかげで高橋は、後頭部をゴンって、床に打った。膝に続いて頭も痛いだろうに。でもそんなことお構いなしに、ピクリともせず、ただ両手で目の辺りを隠してた。



「英二くん、好きな子いたんだ」

「……」

「全然、何も、知らなか……っ」



その言葉を最後に、高橋はもう、何も続けられなそうだった。ぎゅーっと結んだ口元が震えてる。

必死で目の辺りは隠してはいるけど、その横から、光る何かが見えた。



「おい」

「…いてっ」



でこをぺちんと叩くと、ビックリしたみたいで手を外して俺を見た。目いっぱいの涙。

いつもわりと笑顔ばっかで、たまにというかよく驚いた顔を見るぐらい。
たぶんこいつにとっちゃこれは稀な表情で、状況もあいまってそんな特別感満載なシチュエーションなんだけど。

ほんとは見たくはない、こんな顔は。泣き顔もきれいだとか、そんなのはどうでもいい。



「…化粧、崩れてんぞ」

「えっ!?」

「目の周り真っ黒」

「えええ!?」

「涙の跡が黒くなってるし」



ガバッと起き上がって、鞄からティッシュを出した。でも鏡は持ってないらしい。普段化粧しないからって。

きっと今日、菊丸に会うから、きれいに見せたくて、そんなふうにバッチリ整えてきたんだろうよ。バカだな。



「ほら、拭いてやるからティッシュ貸せ」

「す、すみません…」

「ったく、似合わねー厚化粧なんてするから」

「切原さんに借りたんです。これならバチバチまつ毛になるって」

「あいつはケバいだろ。真似すんな」

「は、はいっ」



高橋は素直に、俺に任せて目元を拭かせた。

ほんとに、バカなやつ。遠くなった相手に片想いし続けて、らしくねー化粧できれいになったあたしを見てって思ったのかよ。挙句が失恋?しかも自分が片想いしてたときから相手は別の人が好きだったと今さら知って。目の前でその彼女見たし?
かわいそうなやつ。



「言っとくけど慰めねーからな」

「……」

「お前今日青学ばっか応援しやがって。腹立つ」

「ご、ごめんなさい…」

「てかなに声小さくなってんの?調子狂うだろぃ。青学の応援はでけー声でしてたくせに」

「すみません…」

「慰めはしない。けどな、今なら泣いて喚いてもいいぜ」

「…え?」

「俺しかいねーし、騒いでも誰も文句言わないから、大丈夫」



見たくないけど。とりあえず、泣いて、いつもみたく叫んだりしたら、スッキリすんじゃねーかって、思ったから。

でもこいつは泣き喚いたりはしなくて。ただ目をぎゅっと閉じて、そこからゆっくりと涙が伝った。

たとえ目を閉じててもかわいい顔。油塗ったみたいにテカテカに光った唇も、泣いたせいで赤い鼻も、全部。



俺はそのとき何を思ったんだろうな。いつもみたいに騒がしくないこいつを見て。目を閉じたのをいいことに。

ただ誘われるように顔を近づけて、それに触れた。たった一瞬。

そして離れた直後、高橋は、たぶん一番のチャームポイントであるきれいな目を大きく開いた。



「……ま、丸井くん?」

「んー?」

「………あれ?…気のせい……でしょうか」

「何が」

「…いや、今、なんか口に……」

「口が何?」

「キ…い、いえ!何でもないですっ!」

「ほらよ、目の周りきれいになったぜ」

「あ、ありがとうございますっ!」



たった1秒足らず。ほんとに一瞬だった。
一瞬だったけど。許可もなく一方的なもんだけど。唇はベタつくし。

でもなんか、すげードキドキしたしきゅんときた。

ちょっと前に感じた仁王へのモヤモヤ感とか、クラスでも立海でも楽しく過ごしてほしいと思ったりとか、さっきの腹立つ気分。
泣いてるこいつを見たくないけど、スッキリしてほしかった感情。

それの答えが今の行為に出たのか。
一瞬過ぎて、自分でもわかんない。

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