先輩とデート
「北川さん」
珍しい。というか初めて、綾瀬さんから話しかけられた。今日は朝からかなりの大雨で、テニス部の練習も筋トレだけだったらしく、さとみと二人おとなしく教室に向かった。まだ8時過ぎで、来てない生徒もけっこういた。
それにしても綾瀬さんから話しかけてくるなんて。何だろう。
…実はあれ以来(仁王先輩とのあんなこと)、綾瀬さんの顔を見てなかった。ていうか綾瀬さん、こないだも朝早くに来てて、もしかして夜遊びはしてても朝は早いタイプなのかなと、勝手に思った。
「丸井君が呼んでるよ」
「えっ!」
驚いたあたしを見て、綾瀬さんはクスッと笑った。美人な綾瀬さんだけに、女であるあたしですらドキッとした。
それ以上にドキッとすること。言われた通りドアの方に行くと、丸井先輩が廊下にいた。
「ま、丸井先輩」
「おう、おはよ」
「おはようございます!」
あたしが勢い良く深々とお辞儀をしたせいか、丸井先輩は、緑色のガムをパチンと割って、笑った。
ふわっと甘い匂いがした。
「えーっと、その、ちょっと用があったっていうか」
「は、はい…」
丸井先輩があたしに用なんて。何だろう何だろう。緊張する。
“ずーっと仲良し、だってよ”
ふと、仁王先輩の言葉が頭を過った。あの、あたしが仁王先輩をバカ呼ばわりして逃げて以来(仁王先輩から逃げるのは三度目)、チャコの元へは行ってなくて、当然、仁王先輩とは話してない。だからあの話の真偽はわからない。
でも、こうやって、綾瀬さんを使ってあたしを呼んだということは、きっと仁王先輩の話は嘘ではないんだろう。
“ブン太も体だけでオッケーなタイプじゃし、ちゅうかもうやってるかもな”
あれからずっと、消したくても消せなかった仁王先輩の話。
あたしなら、好きでもない人とキスなんかしないし、ましてや体だけでなんて考えられない。
でもこの先輩たちや、うちらと同い年だけどちょっと大人びた綾瀬さんは、そういう世界にいるのかもしれない。
「あのな、そのー」
「はい…」
せっかく丸井先輩から呼び出してもらったのに。あたしは今嫌な、歪んだ顔をしてるかもしれない。
でも丸井先輩は、下を見たり横を見たり頭をフラフラ動かしてて、落ち着きがない。きっとあたしの表情は見えてない、そんな感じだった。
あたしはもちろん緊張してる。丸井先輩の前だから。
でもなんだか、丸井先輩も……緊張してる?
「………携帯の、番号を、だな」
「ケータイ?」
「教えてもらえねーかなって、思って」
ここに来たんだけど、って、丸井先輩は頭を掻きながら、少し恥ずかしそうに笑いながら、言った。
携帯の番号を?…あたしの?……丸井先輩に?……今、あたし丸井先輩に携帯番号聞かれたの!?
「いや、今日みたいに練習なかったら、そのー…練習ないぜって連絡もできるし」
「……」
「あとはー…まぁ、今度はどのお菓子食いたいって、リクエストもできるし」
「……」
「……嫌ならいいんだけど。いや、ほんとに嫌なら断ってくれていいからな。ほんと俺そーゆうの気にしねーから、大丈夫だから」
あたしも、丸井先輩も、周りの生徒がこっちをニヤニヤ見てるのに気づけなかった。
二人して、下を向いて。顔も熱い。
「も、もちろんです!」
「…いーのか?」
「もちろんですもちろんです…!」
「サンキュー!そんじゃ番号言ってくれ、登録するから」
丸井先輩の用というのが気になって、綾瀬さんに呼び出してもらったのも気になって、仁王先輩のあのときの話も気になって。
いろいろ気になることだらけで、おまけにただでさえ緊張する丸井先輩がすぐ目の前にいて、さらにそわそわ落ち着かない丸井先輩を見て、あたしもなんだかそわそわしてきてて。
全然、予想だにしなかった、この件。たとえ名前を覚えてもらっても、少しずつ話せるようになってきたとしても。
先輩の携帯番号は、入手難度SSS以上国家機密以上の価値に思ってた。
結衣、生まれて最高に幸せ事件再び更新しました…!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
日曜日。午後1時10分。俺は駅前のコンビニ前で、右を見たり左を見たりはたまた正面のロータリーを見たり、そわそわしてる。別にトイレ行きたいとかじゃない。トイレはもうここ着いてから3回は行った。いや、腹が痛いわけでもなくて。ちょっと痛いような気もするけど。
俺は今、待ち合わせしている。
デートってやつだ。
『日曜日、よかったら、遊びに行こうぜ』
番号聞いたその日の夜、さっそく電話した。
あいつが俺のファンってことはわかってたから、きっと断られることはないだろうと思った。その通り断られることもなく、もちろんですもちろんですって連発されて、今日こうして待ち合わせすることになったわけ。
断られることはないだろうと、そう思ってはいたけど、実際は誘い文句を口に出した途端、後悔した。断られたらどーしよって、かっこ悪いじゃんって。
だからか、オッケーって意味の言葉が出た瞬間、ガッツポーズした。そのほうがかっこ悪いなんて、しばらくしてから気づいたけど。
そうこうしてるうちに右のほうから、あいつが小走りにやってきた。
「お、お待たせしました!」
「おう」
「すみません遅刻してしまって…!」
「いやいや、遅刻じゃねーぜ。てかまだ待ち合わせ時間前だから」
そう、待ち合わせ時間は1時半だったんだけど。俺は1時には着いてて、こいつも15分前には着いた。
お互い早く来ちまって、逆に恥ずかしい。
「じゃあ、行くか」
「はい!」
いつも制服姿しか見てなかったから、私服姿は新鮮だ。髪の毛もいつもくくってるけど、今日は下ろしてて……かわいくみえる正直言うと。
こいつが来る前、緊張でそわそわしてたけど。
会ってからの今のほうが、なんかドキドキしてて、顔がろくに見れない。会話もあんま弾んでないような。
つまんねー思いさせちまわないかとちょっと不安になりながら、俺らは目的地に着いた。ここは、ボーリング場。
「先輩すごいです!またストライクです!」
「へへっ、天才的だろぃ」
「はい!」
俺はテニスも上手いし運動全般得意だけど。その中でも特に得意なボーリングに連れてきたわけだ。そうしたほうが俺のかっこいいとこ見せられるし。ワーとかキャーとか盛り上がって楽しめるかなって。
でもこいつはボーリングが苦手だって言ってた。
「あー惜しい!」
「また…4本残ってしまいました…すみません…」
「いやいや、今回はめちゃくちゃ惜しかったぜ!なんかカーブかかりそうだったしよ」
そこまで悪くはないけど、俺のスコアがいいだけにがっくり肩を落としてる。
これは、ボーリングに来たのは失敗だったか?なんかこいつが得意な……吹奏楽部だから音楽的なところに行けばよかったか?音楽的なところってどこかわかんないけど。
「あれか、フォームがちょっと、投げづらいのかもな」
「…えっ」
「ちょっとボール持ってみて」
ボーリングはボールも重要だけど、投げ方少し変えるだけで上手くなるし。
楽しかったっていう思い出にしてほしくて、俺はフォーム指導をすることにした。
「持ち方はいいな。…そんであっちから来て、この辺で止まるだろ」
「は、はい」
「で、こうやって、真後ろにボールを引いて…あ、腕の力抜いてくれ」
「……」
「…えーっと、手の向き、こっちな」
「……」
「親指のほうに進むからもっと、…こうだな」
「……」
「で、あの床にある三角を目印に………っ」
あれ、なんか腹減ってきたな、と一瞬思ったあと、
この状況にハッとして固まった。そういえばこいつは少し前からガチガチだった。
俺は後ろからこいつの両手を掴んでて、体もピッタリくっついてて、まるで後ろから抱いてるような、そんな体勢。
そんだけ近くにいるもんだから、こいつのたぶんシャンプーか服の匂いだかが俺の鼻に届いて。
いい匂いだって、思って。腹が減ったような気がしたんだ。
「………ご、ごめんっ!」
余計なことするんじゃなかった…!
やっぱりボーリングは失敗だった。すぐに離れたけど。こんな気安く触られて、軽い男だって思われるんじゃ……。
「…だ、大丈夫です!」
「えっと…ほんとごめん!変なとこ触ってごめん!」
「へ、変なとこ…?」
「いやいや!変じゃなかった!いいところ!」
「いい…!?」
また余計なこと、何をテンパってこんなバカなこと言っちまうんだ。こんなこと言ったら、余計軽い男だって思われるじゃねーか。
目の前のこいつ以上に、もしかしたらドキドキ、顔も赤かったかも。
「…ちょっと休憩すっか」
「…は、はい!」
仕切り直しということで。
近くの自販機で二人分ジュース買って、座って飲んだ。
いやーほんと、さっきはやばかった。あの体勢も、変なこと言っちまったことも。
チラッと横目で見ると、まだ俯いてて、さっきのことが余程衝撃的だったんだろうことがわかった。俺もだけどよ。
よく知ってるわけじゃないけど、たぶん、男とデートとか、なんか身体的な接触とか、きっとしたことなかったんじゃないかな。…悪いことしたかな。怖がってねーかな。
「…ま、丸井先輩」
あれこれと、さっきの反省プラス、これからどう挽回しようか考えてたところで、口を開いた。
「…今日は、お誘いいただきまして、ありがとうございました。あたしはボーリングが苦手ですが、すごく楽しいです」
まるで家で練習してきたみたいな台詞。
だからって感情がこもってないかといえばそうじゃない。なんか俯き加減で必死で絞り出すように言う感じ。
俺もだよ。楽しいよ。
でもなんか、また変なこと言っちまわないか心配で。あんま素直な言葉は出なかった。
「いや、まぁクッキーくれたし、そのお礼………」
そこまで言って、いやこれはまずいと思い直した。クッキーくれたからデートって。じゃあお菓子くれる女子みんなデートしてんのかって話だよな。
「ってわけじゃないから。うん」
「そ、そーなんですか?」
「ああ。……えーっと、綾瀬に言われて」
えっ…て、小さい声が聞こえた。
でも俺は、隣のこいつの変化に気づけなくて。とにかく挽回するために、なんか喜ぶようなことを伝えたかった。
「そのー…気になってるなら誘えって。で、俺もそうだなと思ったっていうか」
「……」
「あ、髪の毛下ろしてんの今日初めて見たけど、なかなかいいと…か、かわいいと思うそれ」
「……」
「またよかったら、どっか行こうぜ」
ありがとうございますって、呟いた。さっきから俺のほうはあんま見れてないってのはわかってたけど。こいつが楽しいって言ったさっきの言葉は、目合わせなくても本音だって、ほんとに楽しんでくれて喜んでるんだって、感じた。
でも、今のありがとうございますは、なんか、変だった。
そうは思っても突っ込んだことも聞けなくて。
フォーム改善したところでたいしてスコアが伸びなかったことか、それとも俺が気づけないだけで何か嫌がること言っちまったのか、
そのあとはちょっと、元気なさそうだった。
……どーしよ。
← |
→
戻る