試合に影響があったかなかったか、そう聞かれたら絶対ないって言い切れる。
ただ俺の奥底の何かが抉られるような、揺さぶられるんじゃないかって。
会っちゃいけない、そうも思った。
「雅!お疲れー。」
試合後、負けて悔しかったのと、心底自分が腹立たしかったのと、真田の制裁から逃れるために、コートから離れて上の方に座った。
そしたら声をかけられた。
まっっったく前と変わらん調子でな。普通もうちょい気まずそうにするとかなんとかしそうなもんなのに。
そんな感じはいっっっさいせず、俺の真横に座った。
「…おう。」
「惜しかったねー。青学って強いんだね、知らなかったよ。」
「ああ、関東でも負けたし。」
「へー!じゃあ青学が優勝するかもね!」
相変わらずあっけらかんとしとるっちゅうのか。たった今負けた元彼に言うかそれ。
「…なんで、」
「え?」
「なんで今日のこと知っとるんじゃ。」
ついでになんで来たんか、それも聞きたかったが。
負けてイラついてる上にそんなこと口にしたら、たぶんむちゃくちゃトゲトゲしくなる。
「柳生に連絡もらってね。」
「…柳生?」
「そうそう。仁王くんがいつまでも暗いのはお前のせいだって怒られた。」
あははーと、これも昔とまっっったく変わらん調子で。まぁ柳生が女にお前なんて言うわけない。多少脚色しとるんじゃろうが。
…柳生が呼んだんかい。余計なことを。
暗いって。俺暗いか?まぁ明るいほうじゃないが、それは元からで。
「ねぇ雅、」
「?」
「ちょっとだけ、違うとこ行かない?」
イラつく俺、気まずいはずの俺に対し臆することもなく。今は周りにまだ人がいるからマシじゃけど、二人っきりはさすがに…。
ちゅうか、試合中しかも決勝で負けた上に退席するのはちょっと。
そう思ってたら、またあははーって笑った。頭悪そうな顔じゃ。
「さっきからキョロキョロしてるよ。」
「…は?」
「見られたくないんじゃないの?」
頭悪いくせに、意外と鋭いとこがあるのも相変わらずで。
キョロキョロしとったんかな。
さすがに、元カノとのこの状況を見られたくない、そう思う余裕はなかったが。
負けて無様な姿を見せたくなかったのは確かにそう。だから、いつの間にかあいつの姿がなくて、ちょっとよかったと思っとった。
見てほしかったけど見てほしくなかった。もう十分、かっこ悪いとこは見せてるが。それでも見せたくなかった。
とりあえず葵の言うようにこっそり別の場所に移動して、ベンチみたいなところに座った。
…ちゅうか、葵はあいつとしゃべったりしたんか?試合中に一瞬見たとき、葵、真田、あいつって最強の布陣で並んでたのは目に入ったが。
真田のことじゃ、きっと俺の元カノだとは言ってないはず。葵もたぶん、わざわざ言ってないじゃろ。雅頑張れーとか、それぐらいかと。
あいつが気付いたかどうか。
…いやぁ、たぶん気付いとるな。だからいなくなった。
探すべきか。また迷子になっとるかも。もしかしたら傷ついとるかも。
そう思って、実際にそうしたいのに。やっぱり顔を合わせるのを避けたい気持ちが強かった。
それに、あいつには真田がいる。
「雅ー!」
「…ん?」
「ぼーっとしちゃって!そんなにショックだった?」
そんなにって…そんなにショックに決まっとるじゃろ。ショックっちゅうか情けないし悔しいし正直もうお家に帰りたいぐらいじゃ。
誰とも顔合わせたくない。というか、あいつと顔合わせたくない。
…変じゃな。目の前に、ずっと好きだった、引きずってたその人がいるのに。苦しかったはずの気持ちは息を潜めとる。
今ずっと頭の中に、あいつがおる。
もし葵に会ったらどうなるか、前のようにまたいろんな感情が込み上げてくるんじゃないかって思っとったのに。
ずっと好きだった人が、たった今目の前にいて。手を伸ばせば届く。あのとき言えなかったことも言える。そんな状況なのに。
何も言うことがない気がした。
あいつのことばっか考えとる、今の俺には。
「…高校はどう?」
「うん、楽しいよー。友達も3人ぐらいできたし!」
「へぇ。それはよかったのう。」
「うん!…あー、あのさ、一個聞きたいんだけど、」
今の今まで普通に、まるであの卒業式の日の続きのように変わらない調子だったのに。
急にトーンが下がった。
そんなときはきまって、微妙なことを言い出す。
トラウマってわけじゃないが、何回か経験して、その度にダメージを受けてきただけに、思わず身構える。
でも言いだしたことは全然違った、ちゅうか拍子抜けした。
「柳生が仁王くんを解放してあげてって言ってたんだけど、どーいう意味かわかる?」
いやな、俺も昔からこいつはバカだと思っとったよ。そういうところもかわいいとも思っとったし。
でもここまでとは。別に俺のことをお前も引きずってろよとは思わんが、
じゃあなぜここに来たんだと。わからず来たんか。ほんとにもう……。
「え、なんで笑ってんの?」
「いや、おかしくての。」
うん、おかしい。おかしいぜよ、こいつ。
もう何もかも変わっとらん。相変わらず。こういうところがかわいくて愛しくて、
ずっとずっと、苦しかった。
俺を縛ってた。俺が勝手に俺を縛ってた。
「まぁ柳生の話はどうでもいいか。」
「いやそれが今日来た本題じゃないんか。」
「だって意味わかんないし。それよりさ、雅、変わったね!」
「…変わった?」
「そうそう、柳生は暗いって言ってたけど、全然。明るいじゃん!」
俺はさっきから、葵が何も変わってなくて、ある意味ほっとしてた。
でもその葵は、俺が変わったと言う。
「明るいってゆーか、柔らかくなった?」
「…そうか?」
「うん。昔はもっと尖ってたってゆーかヒネてたってゆーかー…、とりあえず、雰囲気がなんか違う。」
具体的にどうなのかわからんけど。
変わったのか、俺が。
ああでも、さっきから目の前のこいつが変わってなくてほっとしてる、それがなぜなのか、うっすらわかった。
思い出だからだ。俺の中の思い出とまったく一緒だから。
「出会った?」
「?」
「なにか、新しい大事なもの。」
柳生の言ったことがわかんないと言った。たぶんほんとにわからんかったんだと思う。俺が引きずってることだってわかってたかどうだか。
“新しい”大事なもの。わかっとる。
俺とこいつはもう過去になってる。お互い思い出になってる。だからこその大事が、“新しい”もの。
「出会い…、かけかもな。」
「途中なんだ?」
「さぁどうじゃろ。」
「あははっ、雅らしいー!…そうだ、あともう一個!」
これも相変わらずじゃ。質問多すぎ。大抵のことは忘れるくせにな。
相変わらずってさっきからずっと思ってる。昔のこいつを思い返すことができてる。
苦しかった愛しい気持ちがちっとも苦しくなくなってた。
穏やかな、見つめ直せるものになってた。
もう引きずらない。立ち止まりもしない。
「あたしのボールは?」
「ボール?」
「ほら、真田から聞いたでしょ、あたしの色紙代わりの。」
うわー忘れとった。いや、いつもなんやかんや持ち歩いてたんじゃけど。ここ最近は自分ちのクローゼットに定位置を持っちまって。
今日来ること柳生が教えてくれとったら持ってきたのに。柳生め、あとで覚えてろよ。
「また今度渡すぜよ。」
「今度ー?」
「だって今日持っとらんよ。言ってくれりゃよかったのに。」
「それはしょうがないけど。雅が困るんじゃないのー。」
「困るって、別に何も。」
「え、でも…いるんじゃないの?」
いるってなにが、そう聞きかけてやめた。言いたいことはだいたいわかる。
出会いかけ。さっきそう濁した理由としては、
今ある俺の心の何かが、葵の言うそれなのかどうかがわからんからってことじゃない。葵に対して今更未練アピールをする気もない。
もう出会ってるんじゃないかと。
引き返せないものになっちまってるんじゃないかと。
その答えを出すことを避けてた。今までの、勝手に縛られとった俺は。
“今までの俺は”、な。そういうことだ。
「まぁ渡せんのも困るし、また会える日連絡しんしゃい。持ってくから。」
「そお?じゃあそーするかー…あ、」
「どーした?」
「あの子、真田と一緒にいた子!」
葵が指差した先には、走って行くあいつがいた。たぶんコートのほうに戻っていく。
ドキンと心臓が跳ねた。
「途中でいなくなっちゃってたんだよね。」
「…へぇ。」
「マネージャー?」
「まぁ、そんな感じ。」
そんな感じ。そう、そんな感じ。マネージャー(仮)じゃし。実際やっとることは立派なマネージャーじゃけど。
あいつがなんでいなくなってたのか。
わかるようなわからんような。いや、わかる。
でも今、葵と一緒にいるこの俺が、そのことを自覚しちゃいけない気もした。
でも……。
「あの子でしょ、」
「え?」
「新しいの。雅、今ちょっと体隠そうとしたもん!そーでしょ?」
隠そうとしたんかな。やっぱり鋭いのう。バカなくせに。
そりゃ見られたくはない。だって俺は。
「それはヒミツ。」
「えー!教えてよー。」
それからもブーブー言う葵を振り切って、俺も再びコートに戻った。
別れ際、じゃあなって言って背を向けた。これもあのとき言えなかった言葉の一つ。
俺を縛ってた今までの俺に、ようやくさよならができた。
そして俺の新しい大事なもの。
向こうが今どう思っとるんかわからんけど。
俺は俺で答えを出すって。そう決めた。
そうやって踏み出して考えることができた。苦しいからってフタをせずに向き合うことが、俺にはずっと必要だったんだ。
すっきりした気分で、さっきと180度違う、
あいつに会いたいって気持ちが湧いてきた。
ついでにこの機会をくれた柳生に、今日のお返しをせんとな。
次の春までに、3年分の感謝も込めて。
← | →
[戻る]