駅前で待ち合わせしとったら、どういうわけか俺より先に着いてた葵。今日は槍でも降るか。
「あたしのが早かった。あははー。」
「ハイハイ。お待たせしてすまんの、先輩。」
もうこいつは先輩じゃなくなる。他校の人になる。寂しさも込めて、そう呼んだ。
「今日どこ行くの?」
「どこでも。お前さんの行きたいとこ。」
「あたしの卒業式だもんね。じゃあね──…、」
今日は立海大附属中卒業式。葵もほんとは席はあるんじゃけど、つまんないから出ないって聞いて、じゃあその日二人でプチ卒業式やらんか?ってなって、今に至る。
今日は葵の行きたいとこ全部連れてくつもりだった。渡さなきゃいけないカバンの中のボールを一時は忘れて、二人でいる楽しさを満喫しようと。
「雅、プリクラプリクラ!」
「はいよ。」
「あの服可愛い、あのお店行きたい!」
「ハイハイ。」
「次はカラオケー!」
「それは…、」
「あたしの行きたいとこ行くんでしょ?」
「…ハイハイ。」
「雅には尾崎豊の卒業歌ってもらうからね。」
「そんな昔の歌知らん。」
「やだね、一個しか変わんないのに若者ぶって。」
しばらく勉強ばかりで遊んでなかったせいか、ずいぶんと体力が有り余ってる感じ。
きっと、周りのやつらから見ればこれは仲良しカップルのデートなんじゃろな。つないでる手に、自然と力がこもった。
ずっと今日が続けばいいのにって、らしくないことを考え続けながらあっけなく、時間は過ぎる。
「次はどこ行くんじゃ?」
ぐるぐる回って戻ってきた駅前。近くで買ったたこ焼きを頬張りながら葵は考えこんだ。そういえば付き合う前、確か初めて二人で遊んだ日、ここでこうやってたこ焼き食ったな。あのときは雨が降ってきて…、ああ今日は降ってくれんのかな。降ったらまた、家に行けるのに。
でもそしたら別れが辛くなるか。
「ねぇ、雅。」
「ん?」
思えば俺は自分のことしか考えてなくて。こいつと離れるのは寂しいだの、好きだから辛いだの、そればっかり。
肝心のこいつ自身の気持ちを、聞いとらんかったと、今さら気づいた。
「ほんとはね、雅と二人だけの誰もいない、どっか遠くに行きたかった。」
初めて見た。こいつの辛そうな顔。いつもヘラヘラし過ぎてて気づけなかった。
こいつもいっぱいいっぱい、辛かったんだ。
「…なんて、冗談だよ。」
「葵、」
「さぁさぁ、次は…、」
「葵…っ、」
気づいたら抱きしめてた。久しぶり。こんくらいの背だった。こんなに柔らかかった。こんな匂いだった。忘れてたこと全部、蘇ってきた。
進めないのに。もう終わりなのに。なんでこんなイイ感情ばかり込み上げてくるんじゃ。
「タイムアップだよ。」
「え?」
「もう帰る時間。」
「まだ…、」
「雅は今日も部活があるでしょ?」
俺の胸を力いっぱい押した葵は笑ってた。いつものあの、頭悪そうな笑顔。
「じゃあね!見送りはいいから。」
傾きかけた太陽を背負った葵は、いつか見た後光に包まれているようで。
言わないと。まだ大切なことを伝えてないのに。
好きだった。本当に好きだった。まだ離れたくない。ずっと一緒にいたい。テニスだってやめてもよかった。葵さえいれば一人でもよかった。俺が彼氏兼友達やってやる。いじめるやつは俺がぶっ飛ばしてやる。
言えなかった。
だって笑ってるのに、いつもみたいに笑ってるのに、目にいっぱい涙が溜まってる。
いつかみた、元カレにフラれたときのしょんぼりした肩と違って、シャンとして、胸はって頑張るって気持ちが痛いほど伝わってきたから。
「テニス、頑張ってね。」
声だけが震えてた。どうしても泣きたくないってこいつの気持ちを汲んでやることしか、俺にはできない。
「ああ。絶対、全国制覇するぜよ。」
「約束ね。」
「おう。…葵、」
「うん。」
「卒業おめでとう。」
出来る限りの卒業祝い。ありがとうと笑う葵に負けないように、俺も精一杯笑った。
だから、さよならって言葉さえ言えなかった。この笑った顔がきっと、台無しになるから。
振り返り、葵に背を向けて歩きだす。
瞬間、吐き出すような葵の最後の泣き声が聞こえた。
こうして俺の、たぶん初めてだった本気の恋が終わった。
好きになるってスバラシイことだとわかった反面、疲れた。
舞い上がることも傷つくことも。もどかしい自分も精一杯な自分も。体力持たんよ。
「…恋は当分したくないのう。」
自嘲するように笑った。
─数日後
「あ、先輩たち、帰るんスか?」
部活がミーティングだけで終わった今日、せっかくだし帰りどっか飯食いに行くかってなって、俺とブン太で帰る途中だったところ、赤也が追いかけてきた。ちなみに赤也は英語の補習でミーティングは欠席だったという。
「よお。これから飯行くけどお前も行くか?」
「行くっス!」
おいおい、補習の件で真田に呼び出されとったじゃろ。まぁいいか。
てことで、三人で帰ることになった。ジャッカルは金ないとかって欠席。オヤジさん、今無職って話じゃし。不景気って大変じゃのうと思った。
「仁王くん。」
下駄箱についたところで女に呼び止められた。誰だっけ。知らんな。ジャージの色で同じ二年ってことはわかったけど。また告白か何かか面倒じゃなーと思った。
仁王先行ってるぜって、内心きっと冷やかしてるくせにブン太と赤也は先に行った。
「あの、あたし二年で、野球部のマネージャーやってるんだけど。」
野球といえばもう。条件反射で心臓が速くなる。
人が別れた途端、告白してくるやつらもうざったいが、こうやってあいつをちらつかせられるのもうざい。
俺のイライラ度は増していった。
「あのね、これ。」
「…?」
その女は俺に紙を差し出した。なんだこれ。
余談だが、このシチュエーション、前に真田が俺にボールを渡したときと似とる。てか結局ボール渡せなかったけど。
よく見ると、その紙には住所っぽいのが書かれてた。
「これね、山下先輩ん家の引っ越し先の住所。」
「は?」
「山下先輩、仁王くんには言わないって言ってたけど、そんなの寂しいと思って。お節介とは思うんだけど。」
わかっとるならすんな。
引っ越し先の住所。あいつが引っ越したと耳にしたのは他でもない、噂からだった。あいつ自身からは聞いとらん。
でも別にそれに対してムカついたとか傷ついたとかはなかった。あいつは俺と離れて一人で頑張るって決めたんだから。別れたんだから。当然じゃろ。
だから、余計な真似するこいつが実に気に入らなかった。もちろん、ただの八つ当たり。他から見ればまぁなんて優しい気の利く女の子ってなるじゃろうし。
「どうも。」
とりあえずは受け取った。神奈川県じゃないってのだけは見えたけど、後の部分は見る気はしない。あいつの気持ちが無駄になるから。
「仁王くん、あれでよかったの?」
あれってなんじゃ。お前さんがあいつに何を聞いたか知らんが。人の恋路に口出すやつは、大嫌い。
「もう終わった話じゃ。くだらんことしとらんとボール拾いでもすれば?」
俺はその紙をグシャグシャにして、近くのゴミ箱に捨てた。うわー俺最低だ、と心底思う。
目の前のそのマネージャーさんは、ごめんなさいっと頭を下げた。
わかっとるよ。こいつは何も悪くない。むしろ親切。たぶんいいやつ。
でもうまく、今自分をコントロールできん。
悪い。とだけはなんとか口から出せて。複雑な顔したマネージャーさんを置いて、ブン太たちの後を追った。
ちゅうかこの二人今の現場見とったじゃろ。明らか俺に気使っとる。機嫌悪いからって。
まったく、お節介なやつばっかじゃのうとため息をつきつつ空を見上げた。空は夕日に包まれて赤かった。
あいつとよく屋上で見てた空。あのときは青ばっかりで。
いつものように質問責めにあったとき、好きな色を聞かれて。なんとなく屋上からの空を思い出して青って答えたっけな。
「仁王は見たか?」
「ん?なにが?」
「ほら、柳先輩にもらったやつっスよ。真田副部長の幼なじみのデータ。」
ああ、そういやそんなもんもらったな。たしか、その真田の幼なじみが今度から一人暮らしになるからって、俺らにも面倒見てやってほしいって話。そんで柳がいろいろ集めたデータをもらった。
でもちっとも見とらんかった。面倒じゃき、仲良くなれるやつならいつか仲良くなるじゃろ。とかマイペースに思っとった。
「俺まだ会ったことないっスけど。確かジャッカル先輩と同じクラスでしたっけ。先輩たちも知り合いなんスか?」
「いや、俺もまだチラッと見ただけだな。」
「へぇ。どんな感じっスか?可愛い?」
「んー、顔ははっきり覚えてねぇけど、スカートが短かった。」
「どこ見てんスか。変態。」
「ちげーよ!スカート短いからってこないだ風紀委員に呼び出しくらってたんだよ。仁王もいたろ?」
どっかで聞いたようなやつじゃな。確かに俺もこないだ呼び出しくらったけど。
「覚えとらん。」
「え!あの強烈な女を?」
「なになに、強烈ってなんスか?」
「それがよ、スカート短いのは自分のせいなのに真田に逆ギレするし蹴飛ばすし。」
「あの真田副部長を!?すげー!尊敬するっス!」
ああ、いたかも、とうっすら思い出してきて。
とりあえず家帰ったら柳のデータを見てみようかと思った。
昨日を引きずる俺の新しい出会いは、きっとここから始まってたんだ。
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