昨日すでに病院に行ったレギュラー以外は、えっ!?とか、そんな!とか、文字通り騒つく。
ただレギュラーだけは、驚くほど静かだった。こんな非常事態に騒がないわけない赤也でさえ。無表情に真っ直ぐ前の真田を見つめ、真田もそれはそれは淡々と話し、どんな状況になろうとも全国三連覇は成し遂げる!と締めくくった。
ひそひそ近くのやつと話しながら練習にとりかかる部員たち。レギュラーだけは相変わらず口をきかない。いつもより静かな練習。
誰が一番初めに口を開くか、そんなくだらないことを考えとる俺も、誰にも何にも言わなかった。
誰も何も考えとらんかも。ちょっとだけそんなふうに感じた。ただレギュラーのイスが一個増えただけ。そう思っとるかも。
そんな中沈黙を破ったのはレギュラーでもない。部員でもない。フェンスに張りつく、女だった。
「赤也くん、幸村先輩が倒れたって本当?」
赤也が近くを通りすぎたとき、話しかけたらしい。赤也の友達かなんかかの。静かな練習のせいで、丸聞こえじゃった。
─そう!昨日練習中にいきなり!マジビビった。
─倒せる相手がいなくてやりがいねーなぁ。
─ま、立海が負けることはねーっスよ。
そんなふうに会話すんじゃろなって勝手に想像した。
でも違って、耳に響いたのは怒鳴り声じゃった。
「テメェに関係ねーだろ!」
びっくりして、レギュラーだけじゃなく他のやつらもそっちを見た。女は、すごくビビっとる。俺もちょっとビビった。
赤也は一瞬やべって顔をして、気まずそうに下を向いた。
予想外の赤也の反応。
ああ、赤也も俺と同じく現実逃避派か。
「赤也!練習に集中しろ!」
真田の一喝も入り、赤也は申し訳なさそうにスンマセンと小さな声で呟いて、フェンスから離れた。
チラッと比較的近くにいたブン太を見たら、ブン太も俯いとった。初めて見た、この前向き男の下向き。ふさふさな髪に隠れて見えんかったけど、右腕で挟んどるラケットが、ほんの少し震えてた。
…泣いとる。その横のジャッカルが、ブン太の頭をぽんっと叩いた。
俺は何をすればいいかわからず、特に誰に何を声かければいいかもわからず。
こんなにもみんなの心を揺さぶる存在が、うらやましく思った。不謹慎すぎるか。
「真田、」
微妙な空気が流れたまま朝練は終わった。教室に向かう途中、真田を呼び止めた。
昨日、俺に話があるって言っとったし。逆に、俺も聞きたいことがあった。
「昨日言っとった話、なんじゃ。」
「…ああ、」
真田は珍しくも口籠もった。何じゃ、今聞いたらまずかったか?やっぱり恋愛相談?
「…俺も、」
「?」
「お前さんに話、あるんじゃけど。」
数秒、沈黙が流れる。空気を察してか、さっきまで近くにおった柳生はいつの間にか消えた。
「では、お前の話を先に聞こう。」
さぁ、言え、と言わんばかりに仁王立ちで構えた。
さっき自分の話に口籠もったやつとは思えん態度。えらそーに。
「もしもの話じゃき。」
「ああ。何だ。」
いーから早く言えと、急かされとる気がした。まぁ待て、ここから先は雑に話していいもんでもない。
そしてふと、なんでかこないだ焼き肉行ったときのことを思い出した。
自然と、拳をぎゅっと握った。手のひらに爪が刺さって痛いほど。
「俺がテニス部辞める、って言ったらどうする?」
試すように聞いて悪い。でも本心のようで本心でもないようなこの言葉、着飾れんかった。
さっきの一件。幸村は、本当に部員、特にレギュラーから慕われとると思う。ちゅうか俺もあいつが好きなぐらいじゃし、みんなあいつが好きに決まっとる。おまけに実力はNo.1。だからあいつが一時でもテニス部からいなくなるのは、他の誰とも比べようのないほど意味が大きい。でも、
俺はどうよ。
そんなことないじゃろ?
レギュラーとしての代わりはいくらでもいるし、別に幸村みたくみんなに好かれとるわけじゃなか。むしろ嫌われとるじゃろ(あ、ちょっと悲しい)。
だから、いなくなっても大丈夫じゃろ。
これで俺はひとり。
でも、アイツはひとりじゃない。俺がいる。
こんなクダラナイ理由でなんて、きっと真田は怒る。
「辞めたいと、そう思っているのか?」
返ってきた答え、つか質問は、なんとなく予想がついた。
まぁ辞めたいっちゅうか、テニスを辞めたいわけじゃないが、なんちゅうか俺にもイロイロあってのう、ちょっと追い詰められとって、どーすればいいかわからんし、もしこれですべて解決するなら一番手っ取り早くなか?テニス部辞めたらイザコザもなくなるじゃろ。何よりずっとあいつのそばにいられるし。
という頭を駆け巡る言葉たちは、出てこない。
だってふざけすぎてて。不純な動機って、まさにこのこと。
「事情はどうあれ、俺は引き止めん。」
俺が黙っとったら、真田が続けた。
ああ、別に期待しとらんかったけど、ずいぶんとあっさり。ちょっとでも、何故だ!?って理由聞くとか、考え直せ!とか、そんなことを言ってほしかった。怒ってほしかった。
こんなときにふざけるなって。
「だが、」
真田は勢いよく俺の胸ぐらを掴んだ。目は鋭く貫く。
待て待て、怒ってほしかったなんて思ったけど、それはヨクナイ。暴力反対。
「今辞めたら、俺はお前を許さん。」
無論、他の奴らもそうだろう。そう言い放って手を離した。
許さん。許さん、か…。
その言葉がやけに頭にエコーして、俺は俯いた。ただ真田の足が、くるりと反転して、前に向かったのが見えた。
「仁王君にもわかるでしょう?馬鹿ではないのですから。」
いたんかい。何が紳士。盗み聞きとは最低じゃ。後ろで、眼鏡を上げたのがなんとなく気配でわかった。
ああ、わかるって、何で許さんのか。
あれ見て、あいつらを見て、わからんのは本当の馬鹿。
今の俺は、ちょっと馬鹿。
「柳生、」
「はい?」
「幸村の病院どこだっけ?」
昨日はみんなの後ろからとぼとぼついてったき、覚えとらんかった。
「サボりは感心しませんね。」
知るか。
でも柳生はすべてを理解したかのように、俺に病院への住所が書いてある紙を渡した。
俺はそれを握りしめ、足早に学校を出た。
全国の中学生の皆さん、俺みたいになったらいかんよ。
「仁王?」
そーいや面会謝絶だったらどうしよって、行く途中頭を過ったけど、案外あっさり病室までたどり着いた。
幸村は、パジャマ姿でベッドに座って本を読んどった。どうやらさっきまで親御さんがきとったらしく、新しい本を買ってきてくれたって、喜んどった。
やば、俺見舞品なんも持ってきとらん。
「授業はいいの?」
意地悪そうに笑う幸村は、昨日のことを嘘に感じさせるような気持ちにさせた。
もちろん、ここでこうしてるんじゃから嘘も何もないけどな。
俺は成績いいから大丈夫じゃって躱しながら、適当に話した。最近の病院のご飯はけっこう美味いとか、昨日の夜は一人肝試しをしたとか(動いていいんか?)、ねぇそういえばお見舞い品は?とか、幸村らしい話じゃった。
30分、40分して、看護師さんがやってきた。検査の時間ですよーって。
「じゃ、またね。」
「ああ。」
「今度は花、忘れないでくれよ。」
「ハイハイ。」
実は言いたいことを言えんかったけど、時間じゃししゃーない、さぁ帰るかと出ていく直前、幸村に力強く腕を捕まれた。こいつ、本当に病人か?相変わらず握力あるのう。
振り向くと、さっきの幸村からは想像できんほど、不安そうな顔してた。
「みんなは…、怒ってないか?」
何で?あー、部長なのに戦線離脱したから?ハハ、そんなことなか、むしろ心配しすぎて真田も赤也も情緒不安定じゃし、ブン太なんて泣いとったよ。あいつ意外と泣き虫じゃな。俺だって今こうして普通にしとるけど実際……、
実際……、
幸村の右手を、俺の右手で、握った。握手みたいな。何でそんなことしたかって。
俺左利きじゃき、右手はいらん。入れ替わりで使うこともあるが、なくたっていい。
だから、俺の右手をお前にやる。
使いもんにならんとかは言いなさんな。
「仁王、どうし…、」
「絶対に治る。」
そう言い切ると、幸村は珍しく目を丸くした。
でもそれも一瞬。すぐに幸村らしく、何それ、おまじない?って、笑い飛ばしたから、いやいや、呪いじゃ呪いって、言い返した。
最後に、聞こえないようにごめん、と呟いて病室を出ていった。
今日は、謝るためにきたから。あんなふざけたこと言ってごめんって。そりゃ真田も許さんよな。テニス、やりたくてもできない仲間がいるっちゅうのに。最低。
病院の外にはり付けられた時計を見て、実はまだ昼前だと気付いた。よかった、これなら練習には十分間に合う。
やっぱ俺、テニス部辞めれん。幸村がーとか、そんなキレイゴト抜きにしても。
ごめんな、葵。
本日、何回したかわからんほどの懺悔。最後は、あいつにだった。
夜、あっちから電話きて、そのときようやく知った。
あいつが、他校を受験しようと思ってること。立海から、いなくなるってこと─…。
驚いたけど、妙に納得。これから俺らどーするかなんてわからん。
だから、頑張りんしゃい、それしか口にできんかった。
← | →
[戻る]