16 迷える子羊〈後編〉

いつも通り朝7時から始まった朝練。いつもと違ったところといえば、始まる前に真田が全員集合かけ、昨日の話をしたってことぐらい。

昨日すでに病院に行ったレギュラー以外は、えっ!?とか、そんな!とか、文字通り騒つく。

ただレギュラーだけは、驚くほど静かだった。こんな非常事態に騒がないわけない赤也でさえ。無表情に真っ直ぐ前の真田を見つめ、真田もそれはそれは淡々と話し、どんな状況になろうとも全国三連覇は成し遂げる!と締めくくった。

ひそひそ近くのやつと話しながら練習にとりかかる部員たち。レギュラーだけは相変わらず口をきかない。いつもより静かな練習。

誰が一番初めに口を開くか、そんなくだらないことを考えとる俺も、誰にも何にも言わなかった。

誰も何も考えとらんかも。ちょっとだけそんなふうに感じた。ただレギュラーのイスが一個増えただけ。そう思っとるかも。

そんな中沈黙を破ったのはレギュラーでもない。部員でもない。フェンスに張りつく、女だった。



「赤也くん、幸村先輩が倒れたって本当?」



赤也が近くを通りすぎたとき、話しかけたらしい。赤也の友達かなんかかの。静かな練習のせいで、丸聞こえじゃった。



─そう!昨日練習中にいきなり!マジビビった。
─倒せる相手がいなくてやりがいねーなぁ。
─ま、立海が負けることはねーっスよ。




そんなふうに会話すんじゃろなって勝手に想像した。

でも違って、耳に響いたのは怒鳴り声じゃった。



「テメェに関係ねーだろ!」



びっくりして、レギュラーだけじゃなく他のやつらもそっちを見た。女は、すごくビビっとる。俺もちょっとビビった。
赤也は一瞬やべって顔をして、気まずそうに下を向いた。

予想外の赤也の反応。
ああ、赤也も俺と同じく現実逃避派か。



「赤也!練習に集中しろ!」



真田の一喝も入り、赤也は申し訳なさそうにスンマセンと小さな声で呟いて、フェンスから離れた。

チラッと比較的近くにいたブン太を見たら、ブン太も俯いとった。初めて見た、この前向き男の下向き。ふさふさな髪に隠れて見えんかったけど、右腕で挟んどるラケットが、ほんの少し震えてた。

…泣いとる。その横のジャッカルが、ブン太の頭をぽんっと叩いた。



俺は何をすればいいかわからず、特に誰に何を声かければいいかもわからず。

こんなにもみんなの心を揺さぶる存在が、うらやましく思った。不謹慎すぎるか。





「真田、」



微妙な空気が流れたまま朝練は終わった。教室に向かう途中、真田を呼び止めた。

昨日、俺に話があるって言っとったし。逆に、俺も聞きたいことがあった。



「昨日言っとった話、なんじゃ。」

「…ああ、」



真田は珍しくも口籠もった。何じゃ、今聞いたらまずかったか?やっぱり恋愛相談?



「…俺も、」

「?」

「お前さんに話、あるんじゃけど。」



数秒、沈黙が流れる。空気を察してか、さっきまで近くにおった柳生はいつの間にか消えた。



「では、お前の話を先に聞こう。」



さぁ、言え、と言わんばかりに仁王立ちで構えた。
さっき自分の話に口籠もったやつとは思えん態度。えらそーに。



「もしもの話じゃき。」

「ああ。何だ。」



いーから早く言えと、急かされとる気がした。まぁ待て、ここから先は雑に話していいもんでもない。

そしてふと、なんでかこないだ焼き肉行ったときのことを思い出した。

自然と、拳をぎゅっと握った。手のひらに爪が刺さって痛いほど。



「俺がテニス部辞める、って言ったらどうする?」



試すように聞いて悪い。でも本心のようで本心でもないようなこの言葉、着飾れんかった。

さっきの一件。幸村は、本当に部員、特にレギュラーから慕われとると思う。ちゅうか俺もあいつが好きなぐらいじゃし、みんなあいつが好きに決まっとる。おまけに実力はNo.1。だからあいつが一時でもテニス部からいなくなるのは、他の誰とも比べようのないほど意味が大きい。でも、

俺はどうよ。
そんなことないじゃろ?

レギュラーとしての代わりはいくらでもいるし、別に幸村みたくみんなに好かれとるわけじゃなか。むしろ嫌われとるじゃろ(あ、ちょっと悲しい)。

だから、いなくなっても大丈夫じゃろ。
これで俺はひとり。
でも、アイツはひとりじゃない。俺がいる。

こんなクダラナイ理由でなんて、きっと真田は怒る。



「辞めたいと、そう思っているのか?」



返ってきた答え、つか質問は、なんとなく予想がついた。

まぁ辞めたいっちゅうか、テニスを辞めたいわけじゃないが、なんちゅうか俺にもイロイロあってのう、ちょっと追い詰められとって、どーすればいいかわからんし、もしこれですべて解決するなら一番手っ取り早くなか?テニス部辞めたらイザコザもなくなるじゃろ。何よりずっとあいつのそばにいられるし。

という頭を駆け巡る言葉たちは、出てこない。

だってふざけすぎてて。不純な動機って、まさにこのこと。



「事情はどうあれ、俺は引き止めん。」



俺が黙っとったら、真田が続けた。

ああ、別に期待しとらんかったけど、ずいぶんとあっさり。ちょっとでも、何故だ!?って理由聞くとか、考え直せ!とか、そんなことを言ってほしかった。怒ってほしかった。

こんなときにふざけるなって。



「だが、」



真田は勢いよく俺の胸ぐらを掴んだ。目は鋭く貫く。

待て待て、怒ってほしかったなんて思ったけど、それはヨクナイ。暴力反対。



「今辞めたら、俺はお前を許さん。」



無論、他の奴らもそうだろう。そう言い放って手を離した。

許さん。許さん、か…。
その言葉がやけに頭にエコーして、俺は俯いた。ただ真田の足が、くるりと反転して、前に向かったのが見えた。



「仁王君にもわかるでしょう?馬鹿ではないのですから。」



いたんかい。何が紳士。盗み聞きとは最低じゃ。後ろで、眼鏡を上げたのがなんとなく気配でわかった。

ああ、わかるって、何で許さんのか。
あれ見て、あいつらを見て、わからんのは本当の馬鹿。

今の俺は、ちょっと馬鹿。



「柳生、」

「はい?」

「幸村の病院どこだっけ?」



昨日はみんなの後ろからとぼとぼついてったき、覚えとらんかった。



「サボりは感心しませんね。」



知るか。
でも柳生はすべてを理解したかのように、俺に病院への住所が書いてある紙を渡した。

俺はそれを握りしめ、足早に学校を出た。

全国の中学生の皆さん、俺みたいになったらいかんよ。





「仁王?」



そーいや面会謝絶だったらどうしよって、行く途中頭を過ったけど、案外あっさり病室までたどり着いた。

幸村は、パジャマ姿でベッドに座って本を読んどった。どうやらさっきまで親御さんがきとったらしく、新しい本を買ってきてくれたって、喜んどった。

やば、俺見舞品なんも持ってきとらん。



「授業はいいの?」



意地悪そうに笑う幸村は、昨日のことを嘘に感じさせるような気持ちにさせた。
もちろん、ここでこうしてるんじゃから嘘も何もないけどな。

俺は成績いいから大丈夫じゃって躱しながら、適当に話した。最近の病院のご飯はけっこう美味いとか、昨日の夜は一人肝試しをしたとか(動いていいんか?)、ねぇそういえばお見舞い品は?とか、幸村らしい話じゃった。

30分、40分して、看護師さんがやってきた。検査の時間ですよーって。



「じゃ、またね。」

「ああ。」

「今度は花、忘れないでくれよ。」

「ハイハイ。」



実は言いたいことを言えんかったけど、時間じゃししゃーない、さぁ帰るかと出ていく直前、幸村に力強く腕を捕まれた。こいつ、本当に病人か?相変わらず握力あるのう。

振り向くと、さっきの幸村からは想像できんほど、不安そうな顔してた。



「みんなは…、怒ってないか?」



何で?あー、部長なのに戦線離脱したから?ハハ、そんなことなか、むしろ心配しすぎて真田も赤也も情緒不安定じゃし、ブン太なんて泣いとったよ。あいつ意外と泣き虫じゃな。俺だって今こうして普通にしとるけど実際……、

実際……、



幸村の右手を、俺の右手で、握った。握手みたいな。何でそんなことしたかって。
俺左利きじゃき、右手はいらん。入れ替わりで使うこともあるが、なくたっていい。

だから、俺の右手をお前にやる。
使いもんにならんとかは言いなさんな。



「仁王、どうし…、」

「絶対に治る。」



そう言い切ると、幸村は珍しく目を丸くした。
でもそれも一瞬。すぐに幸村らしく、何それ、おまじない?って、笑い飛ばしたから、いやいや、呪いじゃ呪いって、言い返した。

最後に、聞こえないようにごめん、と呟いて病室を出ていった。

今日は、謝るためにきたから。あんなふざけたこと言ってごめんって。そりゃ真田も許さんよな。テニス、やりたくてもできない仲間がいるっちゅうのに。最低。



病院の外にはり付けられた時計を見て、実はまだ昼前だと気付いた。よかった、これなら練習には十分間に合う。

やっぱ俺、テニス部辞めれん。幸村がーとか、そんなキレイゴト抜きにしても。

ごめんな、葵。
本日、何回したかわからんほどの懺悔。最後は、あいつにだった。



夜、あっちから電話きて、そのときようやく知った。

あいつが、他校を受験しようと思ってること。立海から、いなくなるってこと─…。

驚いたけど、妙に納得。これから俺らどーするかなんてわからん。
だから、頑張りんしゃい、それしか口にできんかった。

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