7

 日の出と共に起床する、皇の長として五日目の朝。秋とはいえ朝晩はさすがに冷える。
 皇の長の仕事は想像よりも机上の仕事が多く、近くに白廉のような行動的な者がいるとやりやすい。白廉はこのことも見越して、私にこの座を譲ったのだろうか。
 私はかじかむ指先を囲炉裏の火で温めつつ、朝食を食べ、仕事を片付け始めた。
 昼前ごろ。バタバタとはしたなく走りくる音に集中が途切れた。それなりにキリも良いからと、筆を置き嵐に備える。
 その足音は私のいる職務室の前で止ま…ろうとして滑って転び、立ち上がりもせず障子をすぱーんと開いた。
「がっすん大変!」
「その前に着物を整えろ」
 あう、とその小娘は立ち上がって着物を直した。
 この白廉と共に来た南とかいうやたらと騒がしく妙な小娘を、実のところ、私は結構気に入っていた。
「これでいいです?」
「…いや、足が丸見えだぞ」
「これはなみのファッションセンスですぅー」
 ふぁっしょんせんすとはなんだ。
「して、何が大変なんだ?」
「あ、そうそう」
 他の者なら遠慮しつつ入ってくるところを、小娘は堂々と歩み入る。
 私が気に入っているのはこの臆さぬ態度だ。臆病でそれを抑えつけようとしている弟のいい毒抜きになると思っている。
「あのですね」
 私の目の前に正座をし、真面目な顔で話し始めた。
「白廉がいないの!」
「え?」
 暫時思考が停止した。
「…妖怪どものところで寝こけているのではないか?」
 白廉は毎晩妖怪どものところへ行っているらしい。日本へ行ってしまう前は、それを叱りつけ閉じ込めたが、もう分別つかぬ歳ではないし…あの身体能力では、どれほど厳重にしようとも抜け出そうだから、と放置している。
「でもでも白廉、いつも朝早めに帰ってきて、なみに飛び蹴りかましてきますよ?」
 ということは、今まで寝こけていたのはこの小娘の方か。しかし白廉もずいぶんと乱暴な起こし方だ。
「なみはこっちの白廉の縄張り知らないし、がっすんなにか知らないかなーって」
「ふむ…」
 しかし、私もよく白廉のことを知らない。そもそも敷地外に一人で出ること自体が普通ではないのだ。白廉自身それをよく弁えているだろう。
 白廉が日本に行った時のことが頭をよぎった。
「…とにかくこちらで探させる。だがお前も日本に行ったという可能性を考えておいてくれ」
 お前を置いて行くということは考えにくいがな、と南の痛んだ髪に手を乗せた。
「それから万が一、あいつが危険な目にあっていたとしても、あの頑丈さはお前もよく知っとるだろう?だから大丈夫だ」
「うん…そうだよね」
 不安げな顔を押し隠し笑う南に、白廉の母親が重なった。

 白廉の捜索は唐突に終わった。
「おい皇の長」
 白廉の声がし、障子がすっと開かれた。
 午前で仕事を終え、茶を飲みつつ成果の上がらぬ白廉捜索の報告に目を通していた時のことだった。
「白廉!」
 驚き名を呼んだが、その姿を目に写したところで、おかしいと気がついた。
 私の弟は私を皇の長とは呼ばない。
 異国に行ってきた白廉はすり足で歩かない。
 なにより、それなりに平穏となった生活に身をおく彼は、こんな焦ったような目を…いや、焦りに『狂った』ような目をしない。
「奥の部屋は空いているな」
「待て」
 私の後ろにおいてある宝剣を手に取り立ち塞がった。
 装飾ばかりで実用性の無いこの剣でも、無いよりはいささかましだろう。
「何だ」
 白廉ではない何者かが、イライラと眉を寄せた。
「お前は誰だ」
 対する相手は、右手を左の袂にいれていた。
 あの身体は確かに白廉だ。おそらく何かが取り付き乗っ取っているのだろう。その何かが白廉の強大な能力を使いこなせるとは思えないが、もしも使えるとするならば、あの「右手を左の袂にいれる」とは左腕に能力を用いて入れた刀を取り出そうとする、つまり「鯉口を切る」と同義だ。
「お前は、何者だ。その身体を元の持ち主に返しなさい」
 宝剣を抜き構えながらそういうと、そいつは鼻で笑った。
「返せという話であるなら」
 袂から右手を何も持たぬまま抜き、そしてその拳を自らの鳩尾においた。
 そこは魂があるとされる場所だ。
「この魂はもともと私の物だ。二十年を経てやっと、やっと帰って来ることができたのだ。この身体の使える限りは離れんぞ」
「…は…?」
 魂、と言うことは白廉の前世か…?そして二十年とは…。
 …まさか。
「…名前を…聞いても…?」
 自分の導き出した答えを否定したくて、しかしそれ以外には考えつかず、戸惑い、いつの間にか切っ先は地に向けられていた。
 そして白廉のものであったはずの口から出てきた名に、私は完全に剣を置いた。

 

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