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 なみがこの部屋に飛び込んだ時にはそーしさまなんか書き物してたの。でそんなもの邪魔してやるーくらいの気持ちで、こー、つめよってね。そんで、さっきがっすんに言ったみたいなこととか、白廉返せーとかわーわー言ってたの。なのにそーしさま一回もこっち見ないんだよひどくなーい?でもそれでもわーわー言ってたら、我慢できなくなったのか『誰かこいつをつまみ出せ』?『コバエを追い出せ』?だったかな?まいいや。そんな感じのこと言いながらやっと顔上げたの。まあこっちは見なかったんだけど、でもちらっと見えたんだろうね。なんかすっごいびっくりした顔でこっち見てきてね、えっとなんだっけ。『白波殿』?って呼ばれたの。いえ人違いですー、っていう暇もなく、あれよあれよという間にこんな状態に、ねー。

 『こんな状態』とは『白廉の姿をした創始様が南に抱きついて哭している状態』のことだ。私が入った時にはすでにこの様だった。
「そーしさまー。どうしたのー?なみ、まだおこなんだからね?ちょっと泣き止んでよー」
 南はそう言いつつも、泣き続ける創始様に絆されかけているようだ。
「そーしさまー?」
「…………」
「ん?なんて?」
 慟哭が嗚咽に変わった頃、創始様が何かをおっしゃったらしい。創始様は南から少し体を離し、南の顔を見た。
「…お前はロレイアと呼んでおくれ、白波殿」
「………はぁ?」
 おや?
「あの…恐れながら『楼藜』ではないでしょうか」
 私が伝え聞いた創始様の本名は楼藜だったし、ご本人もそう言ったはずだ。
 創始様は私を一瞥し、またすぐに理解の全くできていない様子の南に視線を戻した。
「本来はロレイアだが、それでは文化的におかしいだろう。だから楼藜と表記していたのだ。もちろん、白波殿が楼藜の方がいいと言うのなら私はそれでも構わないぞ」
 そう言い南の後頭部を撫でる創始様の手を、南は振り払った。
「っだからなみは南で白波さんじゃないって!なんなの?ロレイア?ろーれい?知らないよそんなの!なに頭なでてんの!!白廉じゃないくせに!!」
「おや、前は自分のことを私と言っていたはずだが変えたのか?あ、そうそう。いつこの国に来た?この国は気に入ったかい?」
「きーてねーし!」
「南落ち着け」
 取り乱す南の方を抑え付け、創始様に聞こえぬよう耳元に口を近づけ話した。
「創始様が白廉の体に取り付いたことと『白波殿』とは深く関係しているだろう。おそらくだが、お前がその生まれ変わった末の姿か、白波殿と酷似しているのだろう。出来るだけ情報を」
 引き出せ、まで言うことは叶わなかった。創始様が私から南を引き剥がしたからだ。その様子からは嫉妬が見て取れた。
 それでも南には私の意図するところを察したらしく、私を見て頷いた。
「えっと、ろーーれいあさん?ちょっと聞いて?」
「なんだい白波殿」
 南が創始様を座らせ、自らもその正面に正座した。私はどうやら創始様を怒らせてしまったようなので、少し離れたところから見守る。
「あのね、なみは白波さんじゃないの」
「いや、お前は確かに白波殿だ」
 強情に認めないらしい。
「んーーーっと、じゃあこうしよ。なみは『白波』って呼ばれてたかもしれないけど、そのことを覚えてないの」
「…そうなのか?」
 創始様が泣きそうな顔になる。
「だからね、白波さんのこと教えて?何か思い出すかもしれないし」
 いい判断だ、小娘。こう言えば、どうやら白波殿を好いているらしい創始様は必死に教えてくださるだろう。案の定、創始様は記憶を掘り起こそうとする様子を示した。
「白波殿は…大納言の娘だ。海が好きであることから白波と呼ばれている」
 いきなりわからない単語が出て来た。
「へーこっちにも大納言とかあるんだ?」
「いや無いぞ」
「え?」
 私がそう答えると、南が驚きこちらを見た。
「少なくとも私はだいなごんなど知らん」
「…がっすんの発音だとなんかダイナソーみたい」
「???」
「白波殿」
 またわからない単語が出て来たところで、創始様が南を呼んだ。
「このイセンの話では無いぞ」
「えっと、てことは、日本?!」
「あ?ああそうだな」
 創始様が日本に行っていたとは私も初耳だ。
 そうか。それなら月が伝説として伝わっているのにも、納得が行く。
「ロレイア日本人なの?!」
「いや、うまれはこちらだ。きっかけは忘れたが京に行きお前と出会ったのだよ」
「へー。それいつ?何年ごろ??」
 問われ、創始様が眉間にシワを寄せ懸命に思い出そうとし始めた。
「確か、私と白波殿がであったのは、長徳元年のことだ」
「年号とか知らない!!!!!」
 わたしはもはや、話について行くことを諦めた。
「では何を言えば…ああそうそう。私が発つ頃には源氏物語が流行っていたぞ。知っているかい?」
「源氏物語知ってる!!!!!」
 ああ、窓の外はもうじき夕焼けか。
「ってことは、やっぱり千年くらいか。それで、白波さんとロレイアはどう言う関係なの?」
 南がそう聞くと、創始様は南の膝の上の手をとった。
「…私はな、実はお前が好きだったのだ」
 いや実はも何も、分かり易すぎるでしょう。
「数年その想いを秘めていたのだが、こちらへ帰ってくる時が近づいてしまってな。ついに私が異界の者と言うことをすべて離した上で想いを告げ、私と共にきてくれと言ったのだ」
「…で、白波さんはなんて?」
 創始様は、悲しげに目を伏せた。
「文化の違いを理由に、会うことすら断られてしまった」
 創始様は握った南の手を話さぬよう力を強めていた。
「…だが、それならばその原因をなくせばいい。私には力がある。時間はかかれどが不可能ではない。」
 その目は再び、決意の光を強めていた。
 南は創始様の雰囲気に圧倒されて何も言えないでいるようだった。一方私は、それを気遣うこともできず、創始様に質問をした。
「………まさか、それでこの国をお作りに…?」
「ああ、そうだ」
 再び顔を上げ肯定され、私は深い脱力感を覚えた。
 代々誇りを持って守り仕えてきたこの国が、まさかたった一人の女性のためだったとは!
「あのー…しつもーん」
 私が立ち直れないでいると、南がおずおずと手を上げた。
「なんだい?何か思い出したかい?」
「いや思い出してないですけど…」
 その…と何かためらっているようだ。
「…なんで、千年も維持しようと思ったんです?」
「なぜって、だからお前がきた時に戸惑わぬようにだ。もちろん、あちらでは悪霊を払ったりなどせんからまだ未完成だがな。この能力は消していくつもりだ」
「無くす気だったの?!いやえっとそうじゃなくて」
 私は未だ立ち直れないどころか、能力を消すという発言に追い打ちをかけられていた。創始様がこのようにお考えだったとは…。能力がどんどん弱体化していたのも、もしかしたらその為だったのかもしれない。
 私はすっかり気分が落ちてしまっていたが、南はまだ手をパタパタさせて何かを言おうとしているらしい。
「えっと、えっと。あほら、こっちで千年たってたら、あっちでも千年たってるじゃないですか」
「それはそうだな」
 何を至極当然のことを言っているのだ?
「だったらさ、千年もたったら、普通の人は死んじゃうし、文化もだいたい変わっちゃいますよね?」
「あ…」
 成る程、確かにその通りだ。
「だが、この国はずっと変わらぬ文化を保っている。私も千年生きたぞ」
「それはロレイアが楼藜で創始様だからでしょ?」
 …つまり、千年変わらなかったのは創始様によるご尽力の賜物であり、創始様が長生きなだけだ、ということだろうか。
 さらに付け加えるなら、いくら創始様がいらっしゃっても私の知る限りでさえ変更点は多々ある。ましてや維持する者の無い国であればなおさら変わっているだろう。
「…では…どう変わっているのだ?」
 尋ねる創始様のその表情には、また焦りが滲んでいた。
「すっごい変わってますよー。見ます?」
 そう言いつつ、南は袂から四角い箱を取り出した。それを何か操作し、つくかなーつくかなーついたーあでもあと20%やべー、などと言いながらそれを触っていた。そういえば、私が南にあてがわれた客間に入った時にも、これを触っていたように思う。
「あった。都会ならこんな感じですよ」
 創始様に差し出したその箱を、私も横から覗き込んだ。
 鈍く光る巨大な箱。そこに吸い込まれてゆく黒い服をきた大勢の人。空を縦横無尽に走る黒い糸。馬はなく車輪のついた箱。
 そこには、想像したことも無いような世界の断片が映っていた。
 ふと隣を見ると、実際に日本を知る創始様は、私以上に動揺しているようで、目を見開いてその景色を見ていた。
「………なんだこれは…。知らない。こんな国は知らない。これは…本当にあの国か?」
 小さな声で呟く。
「ならば…変えなければ」
 え?
「変えなければ。このイセンもこのようにしなければ。白波殿が来れるように。白波殿が戸惑わぬように…」
「ロレイア?」
「お待ちください創始様」
 引き止めた私を創始様が睨む。その目は最初に見た時と同じ、明らかに正気ではない目だった。
「何だ皇の長。邪魔をするのなら、お前を変えることだって私にはできるのだぞ?」
 …これは、私では駄目だ。私や他の者など眼中に無い。彼に影響を及ぼすことができるのは、この世にも異世界にも、ただの一人。
 私の目配せに気づき、南は創始様の手を掴んだ。
「ね、ロレイア。こっち向いて」
 南の方を見た創始様の頭を南は両手で挟み、自分と目を合わさせた。
「ロレイア。なみ…私が誰だかわかる?」
 創始様が南に気づくと、目が覚めたように瞬き一つし、目尻を下げた。
「白波殿…」
「そうだよ」
 ロレイアに、白波殿が微笑んだ。
「私はここにいるんですから、私が来たら、なんてこと、考えなくっていいんですよ。そりゃあちょっと生活しにくいっちゃあその通りなんだけど、でもね。なんていうか…ほら、古き良き時代、ってあるじゃないですか、そんな感じなんです。こういう古い…私から見ると古い建物とかって素敵だし、他にも、ね。いっぱい。私、この国が好きです」
 だからもう、無理に変えようとしなくっていいんですよ。

 

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