人としての尊厳か身の安全か

 アディが寝かされているという部屋を、ノックしてドアを開けた。
「…アディ?」
 そっと呼びかけると、ベッドの上の膨らみがもぞもぞと動いた。
「調子どう?熱は?」
 昨晩、アディは殺しをする直前に遮られたらしい。ということはまだ衝動がある、それもかなり厳しいはずだ。私はあまり近づかず、ドアの近くでアディに話しかけた。
「…しんどい」
 じゃあ、まだ熱はあるんだろう。でも近づけないしな。
「動ける?動けるならここにご飯おいてくけど」
 アディが上半身を起こした。こちらに背を向けている。髪を結んでいないアディを見るのは初めてかもしれない。
「…動く」
「わかった。置いとくよ。お粥とゼリーだから」
「…ぜりー…」
 嬉しそう。このゼリーには風邪薬が混ぜてある、リトオリジナルゼリーだ。本当は口をこじ開けてでも飲ませようと思っていたのだが、今の近づけないアディにはそうもいかないので、このロイルの家についてから急いで準備した。
 食事をドア近くの椅子の上において、出ていこうとした。
「じゃあ、ね」
「いや待て」
 私の方に手がかけられる。見上げると、顔面に長い白メッシュがぶち当たる。あぁ、ロイルか。
「俺、お前らのこと監禁してたこと、忘れてた」
 やっぱり忘れてたのかよ。
「という訳で、今からちょっと尋問するぜ」
「いやまて。いや、まて」
 ロイルが私の方を押してアディの近くに行こうとする。今アディに近づいたらアディの衝動が爆発する危険があるが、そんな事情は話せない私は、ロイルに必死の抵抗をする。なんで話せないかっていうと、最初の頃私もアディに殺人衝動のこと内緒にされてたから、多分嫌なんだろうなって思うだけなんだけど。私とロイルがもちゃもちゃしてる間にアディも布団に潜った。
「なに、おとなしく吐けば痛いことはしねぇよ」
「問題はそこじゃなくて、今ちょっとアディに近づいちゃダメなんだよ」
「……喧嘩でもしてんのか?」
「いやそうじゃなくて」
「なんで」
「なんでも」
「言えよ」
「やむにやまれぬ事情により」
「その内容を言えと」
「そんなことはどうでもいい」
「よかねーよ」
 そうこうしている間に、アディは布団ミノムシ完成。
 ロイルはため息をついて、私の首に手をかけた。
「お前らさぁ、俺がリトのこと簡単に殺せるっていうこの状況、わかってんのか?」
 アディがガバっとミノムシから脱出して起き上がり、こちらを見た。
 サングラスをかけていないアディの紅い目とロイルの目が合う。
 アディの口元が避けるように笑う。ずっと我慢していた殺人衝動が解放されるのがわかった。
 アディがものすごい速さで近づいてきて、私の首を絞めているロイルの手をひねりあげようとする。しかしロイルはその直前に手を引いた。
「まぁ、殺さねーよ。怪盗ってーのは殺しなんて無粋なことはしnうおぁ!」
 ロイルの弁も、完全にスイッチが入ったアディには無意味で、無視して攻撃を仕掛けていく。
「まてまてまてまて。話せばわか、話せば分かるって!」
「問答無用」
「なんでリトが答えんだよ?!」
「まぁ、今のアディは人間と思わないほうがいいかも」
「確かにヤバイ目してんな。っと」
 アディの攻撃をかわしつつ、ロイルもアディを止めるべく応戦する。ロイルに話す余裕がなさそうなのはわかるが、全く目が追いつかない。だいたい、怪盗v.s.殺人鬼の戦いが、50m二桁秒の私にわかるわけがないもん。とりあえず、この場を収められる可能性のあるケーラを呼びに行った。
 が、
「あ、すみません。私、運動系はからっきしなんですよ」
「はぁ?!」
 全く頼りにならなかった。
「私はいつも裏方なもので…」
「おまっ、優男は本気になると実は強いって、相場が決まってんでしょ!」
「そうなんですか?」
 アディとロイルが凡人にはわからないスピードで戦っている部屋の戸口でも、柔らかい口調を崩さないケーラは、凡人じゃないかもしれない。私でも少し早口になっているのに。
「リトの方こそ、何か策はないんですか?この場で一番アディに近しい人なんですから」
「うーん……もしかしたら上手くいって動きを止められる方法が無きにしも非ずなんだけど…」
「自信がないんですか」
「うん」
「でも、やってみる価値はあるんじゃないでしょうか?」
「いや、上手くいったら行ったで、人としての尊厳がなぁ…」
「んなことどーでもいいから、コイツの動きを止めてくれ!」
 戦いながらロイルが怒鳴る。
 仕方がない。やるか。
「アディの動きが止まったら、ロイルも止まってよね」
「あぁ、必ず止まってやる。次期怪盗ハーチェスの名に誓って!」
 そんなに大ごとにしなくてもいいんだけど、まあありがたいっちゃありがたい。
 大声を出すために、お腹いっぱいに空気を吸い込んみ、ちょっと貯めて、
「アディ、おすわり!!」
 反射的に正座するアディ。約束通り動きを止めるロイル。いや、この様子だと、約束などなくても止まってくれてたかもしれない。呆気にとられて。
 私はロイルの白メッシュとケーラの狐のしっぽみたいな結んだ後ろ髪を引っ張って部屋の外に放り投げ、中でおすわりをしているアディに声をかけた。
「お粥とゼリー食べて寝てなさい。二人には事情話すからね。埒があかない」
 アディがうなづいたのを確認して、ドアを閉めた。
 と、やっぱり言い忘れがあってまたドアを開けてアディに言う。
「ごめんごめん。もう動いていいよ。よし」
 立ち上がるアディを目の端に移して、私は半目のロイルと苦笑いのケーラのいるリビングに向かった。
 ごめんね、アディ。年下にとどまらず、犬扱いして。



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