ゆなはパンパンと手を叩き乱れたシャツを整え、ふう、と息をついた。そして、首元の指輪を愛しげに見つめた。柔らかい笑顔。ゆなにとって、それはとても大切なものだった。かけがえのない、大切なもの。肌身離さず、というようにそれはいつだってゆなの右手の薬指に収まっていた。だから例え任務だとしてもそれを外すのは忍びなくて、ゆなはチェーンに通しネックレスとして身につけることにしたのだった。昔、彼がしていたように。ゆなは指輪に口付けて、シャツの中に大切に仕舞った。

♂♀


「あーあ、グチャグチャ」

ゆなはふと、思い出したように、地面に転がった袋を拾い上げた。ゆなの少し遅い昼飯になるはずだったそれは、ぺちゃんこに踏み潰されていた。袋の中を覗き込んでゆなは肩を落とした。どうやら食べれる状態ではないようだった。彼女は苛立たしげに男たちを見て、その中の一人の上着を剥ぎ取った。ガサガサと上着を漁るとゆなはブランド物と思われる男の財布を取り出した。

「昼飯をダメにした分は頂きますから」

は、無駄にいい財布。ゆなはそう吐き捨て、一枚だけお札を抜き取った財布を上着と共に男の上に投げ捨てた。そしてその場から去ろうとしたゆなの耳に、パチパチと小気味のいい拍手の音が聞こえた。ちっ、ゆなは小さく舌打ちを溢した。それは気付かなかった自分に対してか、気配を消していた悪趣味な男に対してか。クスクスと、笑う男の姿を視界に入れて、ゆなは面倒なことにならなきゃいいのだけれど、と他人事のように思った。

♂♀


「凄いね、キミ。」

「…なんですか、いきなり」

黒いファーつきのコートを着た男はにこにこと笑って、ゆなに一歩一歩と近付いてくる。ゆなは眉間に皺を寄せた。

「キミに興味が湧いたよ」

「―は、」

キミのことが知りたいんだ、と言葉を溢して男はゆなの手をとった。ゆなは目を丸くして、数秒間固まった。我に返ったゆなは慌ててその手を振り払う―のだが、何故かその手は固く恋人繋ぎと呼ばれる握手をされていた。線は細い癖に意外と力のある男。振り払うことができない。にこにこ、にこにこ。その笑みは底知れなくて、ゆなはまるでホラー映画を見ている気分だった。


「ちょっ、俺急いでるんで」

「お昼まだなんでしょ?俺が奢ってあげるよ」

「や、あのいいです!」

「遠慮しないで、お兄さんお金持ってるからさ」

「俺お腹いっぱいです!」

「お寿司でも食べようか」

ぐぐぐぐぐっと、ゆなは上体を前へ前へと進める。男は逆に力を加える。会話のキャッチボールもままならない。ゆなと男の攻防は続いていた。それに終止符を打ったのは、ゆなも想像だにしていなかったものだ。

♂♀


「知らない人にはついていくなと、きつく言われてるんでっ!」

「連れないなあ、」

研ぎ澄まされた感覚が警鐘を鳴らす。血が凍った。それは、ゆなと男の間を凄まじい速さで通り過ぎた。ゆなの目に狂いがなければ、それ道路標識というものだった。ゆなは頬にチリ、とした痛みを感じた。ああ、道路標識で切れたのか、とゆなは思った。

「…道路、標識?」

「っ、シズちゃん」

いいタイミングで来るね、と呟いた男は苦虫を潰したような顔をしていた。それはとても忌々しそうに。

「いーざーやーくーん」

まるで地の底から響き渡るような声。ゆなは声のした方、標識が飛んできた方に目をやった。十メートル先に、バーデンダーが立っていた。自動販売機を持ち上げた、バーデンダーが。

「ごめん少年、お寿司奢ってあげられないや。」

ごめんねー。と言って男は先程と売って変わって、その手を離した。そしてゆなの耳に囁いた。

「また、会おうね。」

それから、男は何を思ったのか自身が身に着けていたコートをゆなの頭からかけた。ゆなの視界は瞬間闇に包まれた。次にゆながコートから顔を出した時、すでに遅し。

「は、えええ!」

男の姿はなく、自動販売機がゆなの目の前に迫っていたのだった。

「待てコラ死ねいざやああああ!」

そして、ゆなの視界は再びブラックアウトするのだった。その自動販売機に因って。

(バ イ オ レ ン ス !)





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