花咲くまにまに | ナノ

ここ数日、藩の過激派の行動を抑えに奔走していたため久しぶりに万珠屋に帰って来た。冬とはいえ日の出を迎えてすぐだったから起きているのは裏方の一部だけだろうと思いつつ裏口から入ると、そこには七緒がいた。

「桂さん!お帰りなさい!」
「ああ、あんたか。ただいま。今日は一段と起きるのはやいじゃん。」
「昨日の大尽は倉間さんだけだったんで、楽しくお喋りして、そのまますぐに上がらせてくれたんです。」
「ふーん。」
(楽しく、ねえ……)

七緒の口から他の男の名前が出てくるのにいい気がしないのは気の置けない仲である倉間であろうと例外ではない。

「なんでも最近珍しい商品を手に入れたとかで、それを特別に見せて下さったんです。」
「ふーん。」

聞いてもいないのに楽しそうに座敷での話をするので、自分を嫉妬させたくて計算しているのではないかと猜疑する程度には苛立ちが積もっていく。七緒に限ってそんな事はないだろうが。

「あ、あと…」
「ねえ。」
「は、はい!」

嫉妬と苛立ちを隠し切れない、否隠す気のない調子で話しかけたので七緒は少し怯えたようだった。ただでさえ万珠屋にいない間は七緒が他の男になにかされていないかと気が気でないのにあえて他の男の事を話し始めるのだ。
七緒は冗談で受け取っているが、倉間が七緒に寄せる好意は一人の女に寄せるそれであって、自分と同じ種類であるのがわかるから、倉間と過ごした時間を楽しそうに語るのが尚更許せなかった。

「前々から思ってたけど、俺の前で他の男の話はしないでよ。」
「ご、ごめんなさい…」
「もしかして嫉妬させようとしてるの?ねえ。」
「そ、そんな事は…」
「とにかく、俺といる時は俺だけを見ること。いい?」
「はい…!」

しゅんとしてしまった七緒を見て、少し大人げなかったかもしれないと思った。
一呼吸おいて、普段通りの冷静さを取り戻せるように努めた。

「うん、わかったならよろしい。」

頭をそっと撫で、指通りの良い髪を梳かす。寝起きだから何もいじっていないため普段に比べて子供っぽい印象を受けた。
そんなことを思いながら頭をぽんぽんとすると、七緒は気持ちよさそうに目を細めた。

「よしよし。いい子だ。」
「……子供扱いしないでください。」

むっとした言葉とは反対に顔には笑みを浮かべていて、心の底から愛らしいと感じた。

「ふふっ、七緒猫みたい。」
「猫ですか?」
「頭撫でて気持ちよさそうにするじゃん、猫。」
「そう言われたの二度目です。」
「へぇ。」

なんとなく嫌な予感を抱きながら次の言葉を待っていたら、案の定気分の悪くなる言葉が飛んできた。

「つい縁側でうたた寝しちゃった時、起きたら辰義くんがいて、猫みたいって…」
「七緒」

今度はすぐに気付いたのかばつが悪そうに上目遣いで見上げてきた。これを無自覚でやってしまうのだから他の男にもしているのではないかとこちらは気が気ではないのだ。

「ちょっとおいで、まだ稽古まで時間あるから平気でしょ?」
「は、はいっ!えっと…」
「来ればわかるから。」


***


「えっと……桂さんのお部屋?」
「何身構えてるの。変なことしないから入って。」
「変なことがあったら困ります!」
「それはもっともだ。」

フッっと小さく笑う声が聞こえた。
不機嫌そうなのに楽しそうな桂さんの手にひかれ桂さんの部屋まで来てしまったが、これはとっても危険な予感がする。第六感がそう告げていたが、桂さんに抗う術もなくそのまま部屋の中に連れ込まれた。

「七緒、俺は前からあんたにはもっと自覚を持つようにって言ってたよね?縁側でうたた寝するって、それは俺の前で他の男の話をしないでっていうの以前の話だよ。相手が辰だったからよかった…って言いたいけど、あいつも七緒には心開いてるみたいだし、油断ならない相手なの。わかった?」
「…はい。」

散々今までもお座敷で油断が多いと注意されてきたことだったので、少しへこんでしまう。それに自分のせいで桂さんに心配事をふやしてしまっているのがとても忍びなかった。

「お願いだから俺にこれ以上の心労かけないで。心配なんだ。」

自分の前で他の男の話をするな。なんて、身勝手なお願いをされているのは頭では理解できている。それなのに拒むことができなくて、少し嬉しいなんて思っている自分に驚いた。いったいいつからこんな風に考えるようになったのだろう。 この美しい人が自分の事で嫉妬してくれていることがとても嬉しいのだ。
すると桂さんは着物の衿元を少しはだけさせ、そのまま顔を埋めた。

「ちょ、ちょっと桂さん!」
「いいから、じっとして」

ちょっと油断した隙に見事最初の予感が的中してしまった。しかしその行為が嫌ではなくて、こんなにドキドキしてる心音を聞かれてしまったらどうしようか、そんな事だけが恥ずかしかった。
覚悟を決めて目をつむると、胸元にチクリと心地よい痛みが広がる。柔らかな桂さんの髪が肌に触れてくすぐったかった。

「これでいい、かな。」

そういって離れていってしまうのが少しだけさみしい気がした。我ながら何を思っているのかと可笑しかった。

「あ、あの…」
「大丈夫、お座敷には出られるから。……でも少しでも着崩れたら見えるから、いつでも気抜いちゃ駄目だからね。」

私がコクリと頷くと、桂さんは怪訝そうな顔をする。

「…てっきり嫌われるかと思った。"変なこと"しちゃったし。」
「桂さんになら、されても嫌じゃないです。」
自分でもちょっと驚いちゃいましたけど。と小さな声で付け足すと、桂さんは一瞬驚いた表情をして、そして悪戯っぽい笑顔になった。

「嫌じゃない、ね。じゃあ続きはまた今度。」


この日の白玖の大尽二人は、二人とも滅多に見れない剣舞を見れたと上機嫌で万珠屋を後にしたそうだ。