掠めた指先は謀り




結局昨夜は会議資料に目を通すことは叶わず、しかも帰宅してからもずっとトラファルガー室長が見せたあの表情が、頭にこびりついて離れなくて。サンジくんお手製のキッシュの味もよく分からないし、床に就いて布団を被っても繰り返されるキスシーンのせいで、新聞配達のバイクの音を聞く羽目になってしまった。


生欠伸をかみ殺しながら、その原因を作った張本人――スライドに映し出されたマーケティング資料を、レーザーポインターを動かしながら淡々と説明している目の前の男を、こっそり窺い見る。


トラファルガー・ロー。若くして営業企画室の室長を任されている彼は、年齢はさほど変わらないけれど紛れもなく私の上司である。そして社内きっての色男。まぁ確かに、顔もスタイルもいい上に仕事も出来て独身とくれば、女子社員が目の色を変えて群がるのも無理はないと思う。それ故に、女関係の噂は後を絶たない。私ならこんな明らかに自分の手には負えなさそうな男、勘弁願いたいけれど。



「――い、おい!聞いてんのか、ミヨジ」

「…っ、あっはい…すいません!」

「ったく、弛んでんじゃねェのか。終わったら、ここ片づけとけ」

「はい…」



*****



確かにぼーっとしていた私が悪い。けれどその原因を作ったアンタにも非はあるだろうと、心の中だけで散々悪態を吐きながら会議用の持ち出しパソコンの電源を落とし、ホワイトボードに書かれた会議内容を消していく。

さっさとしないとお昼休みが潰れてしまう。そんな苛立ちにまかせて、右手に持っていたイレーザーを荒々しく動かしていた、その時である。



「おい」

「…わっ」



高い位置から聞こえてきた低い声と、ひょいと取り上げられたイレーザー。慌てて見上げた先には、私を見下ろす男の整った顔。浅黒い肌のせいで遠くからでは気付かなかったが、よく見ると酷い隈だ。



「今日の会議、全く身が入っていなかったな」

「そ、れは…」



でもそれすら彼を惹き立てる飾りに思える。スッと通った鼻筋と涼しげな目元は、出来すぎた彫刻のようだ。昨日あんなにも荒々しい口づけを交わしていた薄い唇が、今は一語一語を形作りながらゆっくりと動く。目が、離せない。



「何だ、随分と熱い視線じゃねェか。フフ」

「ちがっ!」

「頭から離れねェんだろ?」

「っ、」



上向かせるように顎へと添えられた指の感触に、思わず肩が上がった。自分のものとは違う節くれ立った親指が、なぞるように唇に触れる。違う、とは言えなかった。嫌悪感ではない何かが、ぞくりと背中を震わせる。



「試してみるか?」



咄嗟に距離を取ろうと伸ばした腕は、すぐに捕まって頭上へ纏め上げられた。ホワイトボードに押し付けられた背中が少しだけ痛い。くつくつと低く笑いながら頬に添えられた大きな手のひら、指先は擽るように耳介の輪郭を滑っていく。



「やっ…!」



逸らすことなくゆっくりと近づいてきた、私を射抜く昨日と同じ強い眼差し。唇へかかった吐息に慌てて顔を背ければ、露になった首筋に生温い感触が這う。似たような行為は何度となくサンジくんと繰り返してきたはずなのに。初めて感じる刺激に反応するかのように、ゾクゾクと肌が粟立つのを止められなかった。



「ナマエ…」

「っ!ぁ、やめ…」



下の名前で呼ばれた瞬間、腹の底が確かに熱く疼くのを感じた。いつの間にか脚の間に入り込んでいた室長の膝が、タイトスカートの裾をじりじりとずり上がらせる。そしてそこから覗く肌色を、褐色の大きな手のひらが犯した。



「身体は嫌がってねェみたいだが?」

「あっ…や、だ…」



太もも、お尻、腰、背中と布越しに弄るような動きで這い上がってきた手のひらが、とうとう二つ並んだ膨らみの片方を無遠慮に鷲掴む。こんなにも強引で力強い愛撫を、私は知らない。壊れ物を扱うかのように丁寧に優しく快感を引き出す、そんな手のひらしか私は知らないから。



「なあ、」



全部奪ってやろうか――そう言って、そっぽを向く私の顔を無理やり正面へと向かせた手のひらに、抵抗なんて出来やしなかった。塞がれた唇と口内を蹂躙する舌に、呼吸すらままならない。ただ気付いた時には皺になるくらいの強い力で、縋るように白いワイシャツを握り締めていた。


飲み込みきれずに流れ落ちた、どちらのものとも分からない唾液がゆっくりと顎を伝った。




2012.9.21





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