模範的な手順では恋に辿り着けなかった僕たち




月日が流れるのは早いものだ。サンジくんと別れてすぐの頃は学生時代からの友人たちに、何でどうして、何が不満だったのと、しつこく質問攻めにあったけれど。今はもうそんなことを聞いてくる人もいない。



「ねえミヨジさん、今週の金曜日って空いてるー?」

「金曜…ですか…」

「そ!広報宣伝部の人と飲み会なんだけど、どう?」

「あー…」



そう、こうやって飲み会と称したコンパに誘われる機会も増えた。とは言っても、今は新しい恋愛をしようなんて気力はないから、丁重にお断りすることがほとんど。けれど社内でも独り身とバレてしまってからは度々お誘いを受けるようになってしまって、毎回断るのにも限度がある。

それにたまにはこうした場にも顔を出しておかないと、余計な噂を流されてしまうことにもなる。たとえば―…



「あ、もしかして…あの噂って本当だったりしちゃう?」

「噂って…」

「やだ、とぼけちゃって!ミヨジさんとトラファルガー室長が付き合ってるっていうあの噂!」

「…いや、あれは」



……ほーら来た、面倒臭い。もちろん私はトラファルガー室長とは付き合っていないし、付き合う予定もない。確かにサンジくんと別れるきっかけになったのは、室長とのあの夜の出来事だと言えるのだけれど。


でもあれはあくまでも一夜の気の迷いだったと今でも思っているし、第一彼氏と別れたからと言ってじゃあ今度は室長と…なんてすぐに切り替えができるほど、私の脳ミソはお気楽には出来ていなかった。


だからこそため息まじりに、くだらない噂の火消しをしようと口を開いたのに。続くはずだった言葉は、背後から現れた男のテノールにかき消されてしまった。



「悪いがミヨジは、今週の金曜は先約が入ってる」

「あっトラファルガー室長〜!」

「ちょっ…なに勝手に…!」



実はあのサンジくんと鉢合わせた日以来、何故だかトラファルガー室長からの熱烈なアプローチを社内でも大っぴらに受けること数えきれず。恋愛なんてしばらく御免だと思ってる私からすれば、迷惑な話。けれど、当事者以外からすれば格好のネタなわけで。



「そっかそっか、デートだったら仕方ないよね!あ〜でも妬けるなー!私も室長のこと狙ってたのに〜」

「生憎だが、今はこいつで手いっぱいだ」

「やだー!ミヨジさん羨ましい〜!」

「………」



なのに、この男ときたら。噂を否定しないどころか、こうして尾びれ背びれを付けるのに加担するような言動ばかりわざと取る。なんでこうも私に執着するのかは分からない。きっと気まぐれな室長のことだから、自分に靡かない女が珍しいだけだと思うけど。



「金曜に先約とか、聞いてないんですけど」

「なんだ、飲み会に参加したかったのか?」



邪魔者は退散するね、とか何とか言いながら含み笑いで休憩室を出て行く同僚の後ろ姿を見送ってから、隣に立つトラファルガー室長へ声をかければ。シガレットケースから取り出した煙草を咥えながら、わざとらしくニヤリと笑う。



「そういうわけじゃないですけど…」

「メシ、食いに行かねェか」

「……どういうつもりですか」

「どう、って?」



少しだけ鋭くした視線の先で、室長はそんな私をひらりと躱すように肩を竦めて、咥えた煙草に火を点けた。先端がじじじ、と赤く色づきながら燃えて、ふわりと立ち上った紫煙が鼻先にメントールの香りを運んでくる。



「とぼけないでください。社内で噂されてること、気付いてますよね?」

「別に実害はないだろ。それにまるっきり嘘ってわけでもねェしな」

「……あの夜のことは、忘れてください」

「…おまえはあの男と別れた。おれも今フリーだ。何の不都合がある?」

「手軽に遊びたい相手が欲しいなら、他をあたってくださいよ」



これ以上話をしたところで、きっと埒は明かない。そう判断して、休憩室のテーブルに置いたままだった財布と携帯、それから飲みかけの缶コーヒーを手に、入り口の扉へと向かった。――のだけれど。



「言ったはずだが?おまえが欲しい、と」



背後から捻り上げるように握られた左腕が痛い。人を呼び止めるなら、もっとマシなやり方があるだろう。そんな思いを込めて、睨みを利かせながら振り返ったものの。現在進行形でそんな目に遭わせている張本人は、涼しい顔だった。



「室長は…靡かない私が珍しいから、興味が湧いてるだけですよ。手に入れてしまえばすぐ飽きるんです」

「なあ、どうすれば信じるんだ?」

「…そこまで室長が食い下がる理由が、私には理解できません」

「………」

「………」



無言のまま、互いの瞳に映り込んだ自分の姿をじっと見つめ続けること数秒。真っ直ぐに注がれる強い眼差しに、少しだけ息苦しさを感じた。すべて見透かしてしまうようなトラファルガー室長のこの瞳が私は少し苦手で、でも何故だか目が離せなかった。



「まぁいい。とりあえず、金曜はメシ行くからな」

「は…!?」



しかし二人の間に横たわる沈黙をあっさりと破ったのは、室長のほうだった。大きく煙草の煙を吸い込んで、それをまたゆっくりと吐き出して。いつの間にか短くなっていた煙草を灰皿へ押し付けると、私の髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き乱して言ったのだった。



「上長命令だ」

「なっ、職権乱用じゃないですか!」

「使えるもんは何でも使う。おまえを手に入れるためならな」

「…意味が分からないんですけど…」



乱れてしまった髪の毛を手櫛で整えながら、投げつけた私の文句。だがそれにも室長はどこ吹く風で、堪えた様子は見当たらない。そして口角を持ち上げて不敵に笑う、いつものあの顔で言った。



「おれを本気にさせた責任、取ってもらうからな」





模範的な手順ではに辿り着けなかった僕たち





あの過ちの一晩ではなく、会議室でのはじめての口づけでもなく、この言葉がすべての始まりだったのかもしれない。

この時、小さく跳ねる胸の奥にじわりと湧き上がった何かを確かに感じたから。


――なんて気付くのは、それから数年後のお話。





end.
2012.12.17




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