ここにある温もり




船長室のソファの上、その長い足を優雅に組んだローはニュース・クーが運んできた新聞を興味深そうに読んでいた。紙面から視線を外さぬまま王様のごとき尊大な態度で、彼は本棚の整理をしていた女を呼びつける。



「ナマエ、コーヒー」

「はいはい、ちょっと待って」



雑用係もすっかり板についてきたナマエは、キッチンで借りてきていたポットから白いマグカップへと黒檀色のコーヒーを手早く注いでいく。


湯気を立てるカップを片手にソファへ近付くと、ローは無言のまま隣に空いたスペースをちらりと見遣った。ナマエは小さく疑問符を浮かべながらも、その視線がどうやら隣へ座るよう促すものだと解釈すると、素直に従ってローの隣へちょこんと腰掛ける。



「………」

「………」



ひたすら無言、無音。強いて言えばローの指先が、新聞のページをめくるかすかな音がするだけだった。ナマエの頭上へ小さく浮かんでいた疑問符はますます大きく育って、彼女の脳内を満たしていく。



「あの、ローさん…?」

「なんだ」

「私、何をすれば…」

「黙って座ってろ」

「……アイアイ」



しばらくは大人しくじっとしていたナマエだったが、相も変わらず新聞を読み耽るローの様子に内心では困惑しきりだ。果たして自分はここに居る意味があるのだろうかと。

片付け途中だった本棚の本も床に散らばったままだし、そろそろ昼食の準備を始めなければならない時間である。



「えっーと…特に用がないなら、コックさんの手伝いでもしてこよっかな…?」

「あ゙?」



紙面を追うローの邪魔にならないよう控えめに声をかけてみたナマエだったが、眉間に刻んだ皺を深くしてギロリと睨んでくるローの、鬼のような形相に思わず仰け反った。



「うっ、えっ…と」

「ここに居ろ」

「え…や、でも」

「俺がいいって言うまで、離れんじゃねェ」



それだけ言うと、ローの興味はまた新聞へと移ったようで。暇を持て余したナマエは、仕方なくテーブルの上に無造作に置かれた手配書の束を手にとってみる。

――ぺら、ぺらり。手配書を捲っていくナマエの手が、厚みのある束の真ん中あたりでピタリと止まった。



「あ、」

「……?」

「うあ、あ、わあぁー…サンジの手配書だっ!」



プルプルと震えるナマエの手に握られていたのは麦わら海賊団のコック、黒足のサンジの手配書だった。彼女が大好きなワンピースのキャラクターである。もちろん本人の写真入りではなく、ある意味ミラクルとも言えるあの素晴らしい似顔絵バージョンだけれども。



「ローさんこれ貰ってもいいですよねっ!どうせ捨て、」

「ダメだ」

「…ハイ?」

「お前にはやらねェ」

「な、何で…っ!ケチ!」

「あァ?」

「ぅ……だって…」

「こんな妙チクリンな顔の奴のどこがいいんだ」

「…この手配書がイケてないだけで、実物は格好いいもん」



だってサンジは私の王子様だもん…などとブツクサ文句を言うナマエは、ローの眉間に刻まれた皺が1本増えたことには気付かない。



「ほォ…お前は会ったこともねェ奴の一体何が分かるって言うんだ?」

「あぁっ!」



ローはナマエの手の中から手配書を抜き取ると、そのままぐしゃりと丸めて部屋の隅へ放り投げた。そして投げ捨てられた手配書を残念そうに目で追っていたナマエが、諦めたようにため息を吐いた瞬間――ほんの少しの衝撃とともに、太腿へかかる重み。



「……え?」



思わず下を向けば視界に飛び込んできたのは、大きな身体を折り曲げ濃藍色の頭を遠慮なくナマエの膝へ乗せてくる、少し不機嫌そうなローの姿。



「よそ見してんじゃねェバカ」

「ローさん…?」

「お前はもううちのクルーだ。俺のもんだっつうこと、忘れんな」



そうぶっきらぼうに告げるローの表情は、隠すように顔の上へ持ってきた新聞のせいでナマエからは見ることが出来ない。

しかし触れ合う場所から伝わる体温は確かに温かくて、この人は自分と同じ時間、同じ空間に生きているのだと、あらためて感じることが出来る。



「えへへ…アイアイ、キャプテン!」



彼女にとっての「サンジ」は憧れの漫画のキャラクターだけれど、目の前の「ロー」はすでに大切な生身の人間の一人となっていた。奇跡とも言える運命の悪戯が引き起こしたすべての出来事に、今なら心から笑えるだろう。





ここにある温もり
二人の想いが交わるまで、あと少し






いつかこの想いを上手に言葉にすることが出来たなら、精一杯伝えるから。どうかそれまで待っていて欲しい。






2012.6.2



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