PM 19:00




ぽんぽん、と赤子をあやすようにローの背を叩きながら、ナマエは彼と出会った頃のことを思い出していた。アルバイト先が同じだったペンギンの幼馴染として紹介されたローは、目つきは悪いけれど整った顔とすらっとした体躯の持ち主で、きっと女の子にモテるんだろうなぁ…というのが、彼女なりの第一印象。


その時はこんな風に自分がローを抱きしめ、ローに抱きしめられる日が来るなんて、想像さえもしなかったナマエだったが。巡りあわせとは不思議なもので、こうして互いを必要とし求め合うようになってしまった。



「……私は、どこにもいかないよ?」



隠し持つ傷に押し潰されそうになっていた、死んだ魚のような目の青年は今はいない。しかし大きく抉り取られた傷痕は今なお残り続け、時に男を揺さぶり続ける。今そばにある温もりにさえ、臆病になってしまうほどに。



「いけないよ、こんな大きな子供を置いてさ」

「…ふっ…何だよ、それ」



だが女は、それでも手を伸ばし続けた。何が彼女をそうさせたのかは彼女自身にもよく分からない。それは一種の反射というべきなのか、それとも女性なら誰しも備わっているという、母性本能か。



「だって、放っておけないもん」

「同情か?」

「違う、愛情だよ」

「…女が稼いだ金でメシ食ってる、無職の俺にか?」

「……なによ、悪い?」



ローとナマエ、二人は向かい合わせに抱き合ったまま、互いの肩にそれぞれの顎と額を乗せながら会話を続ける。思えば、こうして誰よりも近くに相手を感じながら言葉を交わし合うことは、随分と久しぶりのような気がした。



「……お前、バカだな」

「ちょっ、ローには言われたくないよ!」

「ホント、バカだろ……親も友達も、誰も認めてくれねェような相手だぞ」

「そんなの…今さら言われなくても、私が一番わかってる…」

「そうか」

「うん、そうなの」



ぐりぐりと額を擦りつけるナマエの声は、くぐもりながらもローの胸元を熱い吐息でくすぐる。そのせいで小さく呟いた肯定の言葉は少しばかり聞き取りづらかったが、それでも確かに彼の耳へと届き、そしてローを黙らせるには十分な効力を持っていた。


もうすぐそこまで迫っているかもしれない、モラトリアムに終わりを告げる時。そうなれば、二人寄り添い続けることは叶わないのかもしれない。

だが互いが必要とするうち、されるうちは、どうか二人このままで。口には出さなくとも、ローもナマエも胸に抱くのはそんな想いだっただろう。



「…よし!じゃあそろそろご飯にしよっか。準備してくるね」



身動きの取れぬまま焦りだけが募るような、そんなじりじりとした空気を払拭するように、ナマエが声を上げた。自身を抱きしめる腕の中から抜け出しながら、にっこりと笑みを浮かべる彼女の姿にローもまた緩く笑う。





ピーターパンとウェンディの逃避行は続く、PM19:00





子供のままじゃいられない。かと言って正解だけを迷いなく選ぶような大人になれるほど、賢くもいられない。心を置き去りにしたまま、身体ばかりが成熟していく。そんな一人ぼっちの世界で見つけてしまったんだ、互いの温もりを。





2012.7.22





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