Crimson Red 2



なあ、お前は知ってるはずだ。大事な誰かに愛されたとき、どんな思いがしたか 大事な誰かを愛したとき、どんな気分になったか。胸が詰まったり、つま先からあったまったり、夜中でも世界が手に入れられそうになるあの想いだ。要するに最高ってことだがな、忘れたフリか? それとも知らないフリをしてるのか? 早いとこ変っちまえよ、世界がそのままであるうちに。

*******

彼は義理堅い性質である。たとえそれが一方的な"頼みごと"だったとしても、幼い頃の些少の恩を忘れずに何とか遂行しようとしているのだ。今日も忙しい仕事の合間を縫って"彼"の実家であるアパートを訪れ、ノックをしようと腕を振り上げたときだった。背後から声がかけられたのは。

「何か御用ですか?」

か細い声の方向を向くと、痩せた女が階段下から彼を見上げている。疑いと怯えに満ちた小動物めいた目だと彼は思った。さぞかし自分は胡乱な男に見えるだろうと想像するだけで、漏れ出てくるのは乾いた笑いだ。

「ローに用事がある」
「はぁ……」

女は上がってこようとしない。彼は自分の風貌が及ぼす影響を理解している。要するに警戒されるのは慣れているのだ。懐から名刺を取り出して、静かに階段を下り、女に渡す。

「あの、あのっ、ローが何か……?!」
「あいつのお袋さんに依頼された。"真っ当な就職口を世話してやってほしい"とな」
「お母さんは……」
「ああ、知ってる」

亡くなったことぐらいはな。呟いた彼の低い声が重く沈んだのを女は聞き逃さない。

「ローは、いねぇのか?」
「ここには住んでいません」
「……チッ」

ごめんなさい。軽い舌打ちに身をすくめる女の首から覗く痣を、キッドは見逃さない。

「おい」
「はい……」
「少し付き合え」

人差し指で招き、キッドは先んじて階段を下りていった。女は少しの逡巡を見せた後、何かを諦めたようにキッドについていく。

*******

ここ、とノンシュガーの紅茶を啜りながら、片方の指でキッドが指したのは自分の頬だった。湿布を貼っているものの、まだ腫れを見せる場所を咄嗟に手で押さえると、キッドが険しい顔を見せる。

「"あいつ"だろ」
「……これは、自分で扉にぶつけて」
「イキのいい扉もあったもんだ。とにかく、だ」

カップを強めにソーサーに置こうとして、キッドは思いとどまった。彼女を怯えさせては話にもならない。できうるかぎり重力に逆らい、微量の摩擦音のみ響かせてカップを置くと、改めて口を開く。

「ローに事務所に来るように言ってくれ。名刺は渡してある。場所は分かるはずだ」
「……はい」

"yes"は大きく分けると2種類ある。積極的なものと消極的なものがそうだ。そして今の彼女の返事は明らかに後者なのだ。頬の殴られた跡を見るに、彼女がローに何かモノ申せる立場でないのは100も承知だが、彼にも都合というものがある。究極的には血生臭い世界からローを引きずり出すことが目的だが、まずは話をしないと始まらないだろう。しかし無類の天邪鬼である彼が大人しく事務所に来るはずもない。特に最近この界隈ではキナ臭い話も聞くため、彼には心配でならないのだ。

「あんた、恋人なんだろ」

女はかすかに頷いた。"恋人"という生温い単語よりは"情婦"のほうが合っているのだろうが、小さく震える頼りなげな肩を目にすれば、そんな非情なセリフなど出なくなってしまう。ローの付き合ってきた豊潤な女たちとあまりに違う姿に、キッドは戸惑いすら覚えていた。

「ナマエ」

喫茶店に入ったときに聞いた名前を呼べば、ナマエはびくりと身を震わせて、ずっと下方に向いていた目線を上げる。

「何か相談したいことがあったら、そこにかけてこい」

彼女の視界に入ったのは、長方形の小さな紙切れ。やっとのことで「ありがとうございます」と感謝の言葉を絞り出すナマエに、キッドは妙な居心地の悪さを感じて、温くなった紅茶を一気に飲み干した。

*******

裏路地にある建物の一角。ただでさえ日光が当たりづらい場所に加え、物々しくカーテンを閉め切った部屋の内部で、男たちは声を潜めて言葉を交わし合っていた。「一触即発」「武器の調達」「戦争」と、物騒な単語ばかりが並べ立てられる中、中央の椅子に座りテーブルに黒スーツの脚を乗せていた男が、ピストルに弾を込め、ニヤリと仲間たちに笑んでみせる。

「なに辛気臭い顔してやがる」
「でも……」
「"そう"なったら、戦えばいいだけだろ?」

男の一言に、部屋の熱気は一息に高まった。

Crimson Red 2(Law+Kid)





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