Crimson Red 1



煤けて古びた街の片隅で、男と話すお前がいた。今朝は俺だけに向かって笑っていたのに、お前の微笑みは今そいつに向けられている。「なぜだ?」と聞いたら、お前は答えるだろうか。どっちみち、その答えを聞いたら、きっと俺は狂っちまうだろう。だから胸の奥から湧き上がるどす黒いものに身を任せて、お前が何も言えないようにしてしまうんだ。

*******

安い酒と、これまた安っぽい白粉と香水の匂いと、煙草の煙が立ち込める酒場の一角に男はいた。彼の目の前のテーブルには酒瓶が幾本も転がっている。それは彼と彼の取り巻きたち総出で空けたものだが、最も飲んでいたのは彼だ。その証拠に、いつもは顔色ひとつ変えずにいる彼の目の際が薄っすらと色づいている。だが、彼の表情には酒席での高揚のひと欠片も見えはしない。整った眉はきつく寄り眉間の皺を深め、瞳はいつもより剣呑な光を増していた。侍っている女たちに時折おざなりな愛撫を加えながら、手にした瓶を思い出したように煽る姿は、"荒れている"としか形容のできないもので。

「……チッ」

彼が扉を見たのは、開くたびに錆びた音を周囲に撒き散らす蝶番が耳にうるさかったからだ。扉そのものを失くせばよいと酩酊に任せて思い立ち、銃を向けたとき、入ってきた人物の姿に彼はわずかばかり目を大きくした。

「やっぱり、此処か」
「何しに来やがった」
「いきなり吠えるな、うるせぇ」
「何しに来やがったと聞いてる。"てめぇみてぇな人間"の来る所じゃねぇぞ、キッド」

顔見知りなのか銃は下ろすが、苛つきを隠そうともしないままに彼は吐き捨てた。そんな彼を幾分か高い位置からじっと見据えているのは、場末の酒場には似合わない清潔なスーツに身を包んだ赤毛の男。縁の無い眼鏡が彼の眼差しを少しだけ柔らかなものにしてはいるが、今、レンズ越しに男を見るキッドの目線は強く鋭い。

「戻ってきた。近くで開業してる」
「そりゃご苦労なこった。こんな所でなんでわざわざ…」
「俺の夢だ」

2人は視線を斬り結んだまま動こうとしない。加勢しようと立ち上がった部下たちを手で制し、男は普段より低い声をキッドに投げた。

「最後だ。何しに来た?」
「ほらよ」

男は、キッドが飛ばした小さな紙片を器用に指先で受け取る。真白い紙を裏返してみれば、そこには彼の名前と、事務所の住所と電話番号。男が眉根を寄せたのを見届けると、キッドは踵を返し、片手を上げて扉へと歩いていった。

「いつでも来い。じゃあな」
「おい!」

呼び止める男の声に首だけをめぐらせ、キッドは口を開いた。

「おめぇにゃ、何の義理もねえがな、ロー」
「ンだと……」
「おめぇの母親に頼まれたんだよ、手紙でな」

後ろにいる仲間には聞こえない音量でキッドが呟いた声に、ローは一瞬肩を震わせた。鮮やかな赤は、そんな彼を振り返ることなく、酒場を後にする。ローは指先だけで挟んだキッドの名刺を二つに折って、誰にも気づかれぬようにポケットに仕舞った。酔いは、もう醒めていた。

*******

扉が開く音で、ナマエは飛び起きた。此処は界隈ではそれなりに良いアパートであり、普通に開ければ音などしないのだが。夜中なのも相まって部屋中に響きわたった振動に、自然ナマエの体は震え始める。扉を、おそらく蹴り飛ばした者が、もうすぐナマエのもとにやって来るからだ。ナマエは彼の帰りをいつだって待っていたが、今朝の彼を考えたら、こみ上げてくるものは愛しさだけではない。だから震えるのだ。頬に残る痛みと腫れが、余計恐怖を増幅させていた。

「……ナマエ」

酷い酒の匂いが寝室に広がった。ナマエは震えてはいたが、扉に寄りかかって立つ彼を見ると、その尋常ではない様子に慌てて起き上がり、側に駆け寄る。

「ロー、どうしたの? 大丈夫?」
「ナマエ」

恋人の掠れた声に怖気よりも心配が先立ち、つい手を伸ばす。だが、手首を掴んだローの手は熱く、力は不必要なほど強い。ナマエがつい苦しげな声を漏らすとほんの少しだけ力は緩まるが、決して彼女を離しはしないのだ。細い腕を捉え壁に押しつけたまま、無遠慮に唇を首筋に這わせ、ナマエの白い肌に酷くきつく歯を立てた。

「っ!」
「……逃げたら許さねぇ」

ナマエが微かに頷いたのを確認すると、彼はしばし沈黙する。そうして、ナマエを軽々と抱え上げ、ベッドに乱暴に放り投げると、抱きすくめた。

悪かった。何度も囁かれる一言に、そのたびに頷くのは女の優しさだった。どこまでも縋りつき、縛り上げてくるような愛撫に身を委ねながら、ナマエは幾度も囁き返すのだった。愛してる、と。

Crimson Red 1(Law+Kid)




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