Indigo Blue 4



事務所近くのカフェでいつものように、濃いめのアールグレイとサンドイッチ傍らに新聞を読んでいたキッドは、ふいに落ちた影に気付いて顔を上げた。

立っていたのは、大きなボストンバッグを持った色の白い女――ナマエだった。


「…行くのか」

「はい。キッドさんには色々とお世話になりました」

「気にするな。俺もあいつが真っ当な人生を送ってくれんなら、それが一番なんだ」

「ありがとうございます…」


深く腰を折り曲げて頭を下げる女にやめろと声をかけてから、キッドはずっと気になっていた疑問を口にした。


「なあ、何であの時…真っ先に俺のところへ電話してきた?」


"あの時"とは言わずもがな、アパートで血まみれの状態のローを見つけた"あの日"である。

キッドが書類仕事を片づけ、そろそろ事務所を出ようかと立ち上がった瞬間、けたたましく鳴り響いた電話。動転して泣きじゃくる支離滅裂な女からの連絡に、慌てて駆けつけてみれば――それはもう、酷い有様だった。

さすがに血の気の引く思いをしながらも、意識を失ったローを知り合いの町医者へと連れて行ったのは…何を隠そうキッド本人なのである。


「…分かりません。ただ普段から、何かあっても絶対に警察には連絡するなと言われてましたし…」

「そうか」

「それに…きっとローは、あなたのことが好きです」

「…やめてくれ、それはさすがに気持ち悪ィな」

「あ、すいません…。でもあなたの"お節介"、ローは嬉しかったんだと思います」


そう言って静かに笑う女には、頼りなげで脆く壊れてしまいそうな―…かつてキッドが女に抱いた初対面の印象は、もう無かった。

華奢な体つきは相変わらずだが、丸く膨らんだ腹部にはどっしりとした安定感があり、微笑む顔つきはとても穏やかだ。


「おい、どこで油売ってんのかと思えば…くだらねェこと言ってんじゃねェよ」

「ロー…ごめんなさい、ふふ…」

「チッ…行くぞ、ナマエ」


愛想ひとつ振り撒くことなく、仏頂面のままナマエの手を引いて歩き出すロー。その繋がった手を嬉しそうに見つめる女の輝く笑顔に、キッドはローの母親から託された願いを無事叶えることが出来たのだと、安堵の溜め息を吐く。


「ロー!」


去っていく背中に声を掛ければ、振り向きはしないがぴたりと足を止めた。


「幸せに、なれよ」

「ハッ…俺の心配より、自分の心配でもしてろ」


ちらりと寄越した視線が絡み合う。どちらからともなく一度ニヤリと笑いあって、ローはまた真っ直ぐ前を向いて歩き出した。



*****



ぽつぽつと木が並ぶ緑の墓地の一角に、伸びる二つの影があった。墓前に飾るのだろう。花束を胸に抱えた女の肩を抱いて、男が墓地の段差を気遣うようにゆっくりと歩く。

そんな男の様子に嬉しそうに頬を緩ませ、ふわりと笑う女。ガラス玉のように澄んだ瞳は希望の輝きを湛える。


「ありがとう、ロー」

「……フン」


愛する男を産んでくれた女の墓の前――ナマエはその丸みを帯びた腹の中に宿る新しい生命への感謝を胸に、静かに祈りを捧げた。





end.
2011.8.22





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