Indigo Blue 3



ローが、生まれ育ったこの街を出ると言う。ぐつぐつと煮え立つカレー鍋をぐるりとかき混ぜながら思い出すのは、数日前白いクマのぬいぐるみを手にアパートへ帰って来た彼の言葉。まだ膨らみさえ見せていない自らの腹をそっと撫でると、ナマエは薄桃色の唇に弧を描いて小さく笑んだ。


「……ふふ、」


良くも悪くもきっとこのまま変わらないのだろうと思っていた――それでも構わないから、ずっと傍にいたいと願っていた…最愛の男が、このスラムを出てまともな仕事に就くと言ったのだ。ここ最近の夕食の献立が彼の好物ばかり続いてしまうのも、ご愛嬌というもの。

さあ彼が戻ってくる前に食事の支度を済ませておこう、ナマエがそう思った
瞬間――ガチャガチャと忙しない音を立てながら、乱暴に玄関の扉が開け放たれた。


「…ロー?おかえ、り……っ!な、」


ここ数日は耳にすることのなかった派手な音を訝しみながらも、戻ってきた男を出迎えようとキッチンを出れば。


「へェ〜これがトラファルガーの女か?」

「何だよ、思ったより地味だな。へへっ」

「まァ、ヤれるなら何でもいいさ」

「きゃっ…やッ、嫌!やめて!!」


ズカズカと押し入ってくる見たこともない男たちにあっという間に体の自由を奪われ、床に縫い付けられたナマエ。下卑た笑いを浮かべながら、ナマエの着ている洋服を引き破っていく男たちの姿に、否が応でもこの先の展開が分かってしまう。

聖女ぶるつもりなんて無い、かつては自ら足を開いて男を受け入れた金で生活していたこともあるのだから。この手の男たちは抵抗すればするほど嬉々として女を汚していくものだ。だから流れに身を任せてやり過ごすのが、いちばん体には負担が少ないということも分かっていた。

そう、頭では理解していたのだ。しかし納得出来るはずもない心は、ナマエの視界を滲ませていく。ローと暮らすこの場所で自身を汚されることが、その卑劣な力に負けてしまいそうな自分が、酷く許せなかった。ただ、このお腹の子供だけはどうか傷つけられないようにと、必死に体を丸め守ろうとした。


「チッ!このっ…大人しくしてろ!」


パンと乾いた音が耳のすぐそばで鳴る。じわりと熱を持ち始めた頬に、殴られたのだと気付いた。血が滲むほどの力で下唇を噛み締めながら、ナマエは声を堪える。心の中でローの名前を何度も繰り返し唱え、ギュッと強く目を瞑った瞬間――


「ナマエっ!」

「っ、ロー!」


伸し掛かる男の重みがふっと消え、愛しい声が部屋に響いた。慌てる男たちを容赦なく殴り倒し、ローは着ていたジャケットをナマエの破れた洋服の上へそっと掛ける。


「……テメェら、誰のもんに手出したか…分かってんだろうな?」


ここまで怒りを露わにする姿はついぞ見たことがない、というほど一方的に男たちを叩き伏せていくロー。拳が肉にめり込む嫌な音と、どこかしらの骨が軋み折れていく音。その真っ只中でナマエは、今更ながら襲ってきた震えに体を抱きしめていた。

だからだろうか…倒れた男が背後からローを狙う銃口に、一瞬気付くのが遅れてしまったのは。


「…っロー!!危ないッ」


ドン、ドン、と二発の重い銃弾がローの体に撃ち込まれる。膝をつき頭から崩れていくローの姿がスローモーションのようにコマ送りで目の前を流れていくようだった。気付けば、バタバタと男たちが逃げ去っていくところで。


「ろ、ロー…?」

「…クソ…ッ、ナマエ……無事、か?」

「わ、私は大丈夫…っ、お腹の子も…どこも、怪我してない…もの、」

「…そう、か…」

「でもッ…ローが!」


ローはべっとりと血の付いた手を涙の伝うナマエの頬に伸ばしながら、柔らかく微笑むと満足げに瞼を下ろした。




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