ツンデレパパの深夜の秘密




夏島の海域は気温だけじゃなく湿度も高いせいで、肌がべたついて仕方ない。そんな不快感が地味に体力を削っていくようで、不寝番のシャチは暗い夜の海に向かって大きくため息を吐いた。



「あー暑っちぃなー…」



キンキンに冷やした酒でもジョッキで飲みたいところではあるが、見張りを疎かにするわけにはいかない。何よりも勝手に酒を飲んだのがコックにバレたら、飯抜きの刑に処されてしまうのは必至で。

しかし熱帯夜の茹だる暑さにいよいよ耐え切れず、せめて水だけでも貰おうと食堂へ向かうシャチだったが。



「……?」



船体に打ちつける波の音に紛れ、微かに聞こえてきたか細い声に、ぴたりと足が止まる。こんな時間にまだ起きているクルーがいたのかと、耳をすませば先ほどよりもはっきりと届く声。



「…子供…か?」



それはまるで、無邪気にはしゃぐ幼女の笑い声のようで。思わずこの船に乗る船長の愛娘であるメイの顔を思い浮かべるシャチだったが…しかし今の時間帯を考えると、それはあり得ない。


自分が不寝番に入る前に、眠たそうに目を擦りながら母親に手を引かれ、船長室という名の親子の居住スペースへ戻る後ろ姿を見かけたのだから。



「……っ、」



ごくりと生唾を飲み込む音が、静まり返った暗い廊下にやけに大きく響く。震えそうになる身体を抑え込むように、シャチは着ていたつなぎの布地をぎゅっと握った。


勇気を振り絞って、声の正体を確かめることにしたシャチ。微かに声のするほうへと歩を進めるうちに、笑い声はどんどん大きくなってくる。

そして最終的に彼が辿り着いたのは、当初の目的地でもある食堂だった。



「――…ぉ、だぁ…いすき!」

「っ!!」



薄く開いた食堂の扉。その隙間から漏れるぼんやりとした明かりが、暗い廊下に立ち尽くすシャチの足元を照らした。空耳などではなく今度こそはっきりと聞こえた幼女の声は、たしかに「だいすき」と言葉を紡いでいた。


今度こそカタカタと情けなく震え出す膝に、俺は海の男だしっかりしろ!と自らを鼓舞しながら、シャチは食堂の扉に手をかける。

嫌でも耳に入ってくる幼女の声は、よくよく聞けば同じフレーズを延々繰り返しているようだった。



(くそっ、しっかりしろ!男になれ!本当の男になるんだ俺っ!!)



悲壮なまでの決意を胸に、シャチが一気に扉を開け放った瞬間。視界に飛び込んできた人影が、バッと勢いよく振り返る。



「ひっ!!……っ、え…船長…?」

「………」



無言のまま睨んでくる、我が命を預けた船長の姿にシャチは状況が掴めずわたわたと慌てだす。そして今なお響き続ける無邪気な幼女の笑い声が、どうやら船長であるローの手元から聞こえてくるということに気付いた。



「な、え…えっ?あれっ!?」



刺青の入った浅黒い手の中にあったのは、先日立ち寄った島で商人から手に入れたトーンダイアルと呼ばれる空島産の貝殻だった。通常はあまり市場に出回ることの無い珍しい品に、医療品や器具以外ではあまり物欲を出さないローが興味を示していたのも記憶に新しい。


そして何よりもシャチが驚いたのは、貝殻から聞こえてきた声は正真正銘メイのもので、しかもそれが昨夜の宴での一幕を録音したものに違いなかったからで。


邪険にするローにもめげず、メイがジュース片手にじゃれつく様子はクルーたちの笑いを誘い、その微笑ましい光景にひどく癒されたものだ。すかさずペンギンがトーンダイアルを持ってきてメイの愛らしい様子を録音していたのもよく覚えている。



「黙れシャチ、バラされてェか」

「や、まだ何も言ってませんッ…!」



興味なさそうにそっぽを向いていたローだったが、こうしてこっそりとその録音内容を何度も何度も再生していたところを見ると、実は嬉しかったらしい。恐れ多くて、というか命の危険さえ感じて、シャチがそれを口に出すことは無かったが。






ツンデレパパの深夜の秘密



(ローだーいすき!)
(うるせェ、ガキはさっさと寝ろ)
(やぁーだ!ローといっしょにいるのー!)
(チッ、めんどくせェ…)







2012.8.26




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