※完全にオリジナル はたしてこの選択は正しかったのだろうか。 時々私の脳内にはこのような問いがかけられ、強盗の如く私の心を乱していく。 何十年もこんなことを繰り返し、その度に頭を悩ましているのだからいい加減学習しろと自分でも思う。 「はい」か「いいえ」、「良い」か「悪い」、そんな単純な二択ではさし測れないものの方が世の中多いのに。 たとえ国や州であろうと“その時”の選択が正しかったのかは時が経たないと分からないものだ。 ならば何十年も経った今ならこの問いの答えが理解できるのではないか。 そんな問いが掛けられたら私はいつもの笑顔を浮かべる事が出来ないだろう。 不自然に形作った笑みは確実に歪んでいて不恰好なはずだ。 私だってこの選択が間違いではなかったと信じたい、彼らの行いが無駄ではなかったと思いたい。 ただ過去の人間がどんなに汗水を流して歯をくいしばったとしても、今の人間がそれを悪と言ってしまえばそれきりだ。 お婆ちゃんがね、壁が壊れてから生活が苦しくなったって言うの。 ねぇ、祖国さま。 今は、私の生きる世界は幸せじゃないの? 無垢な少女が持つ碧眼に映る自分自身の滑稽な様がひどく印象に残っている。 その時、私は少女になんと返答したかあまり覚えていない。 偽善心からそんな事はない幸せな世界で君は生きている、とただの理想をあたかも現実かのように説いたかもしれない。 もしくは答えが見えてこない方が多い世の厳しさを切実に伝えたの可能性もある。 ただどちらであったとしても、私が少女にした事は決して少女の為にしたことではない。 自身の行いを正当化したい、それのみの身勝手な考えが当時の私を突き動かしていた。 いつか少女が大人になった時。 少女の世界を純粋であるかのように見せたフィルターは剥げ、現実をまざまざと見せつけられた碧眼で彼女は私を見るのだろう。 その唇がこちらに向けて言葉を形作ることを恐れながら、私は今日も自問自答をくり返す。 はたしてこの選択は正しかったのだろうか、と。 ー 追記 2013/05/23 11:49 |