三之助
  



【名も思い出せぬ貴方へ


突然の書き出しがこのような言の葉である事をお詫び申し上げます。ですが、本当に思い出せないのです。友人たちに誰か知らないかと問うても、皆そのような人はいなかったと口を揃えて言うばかり。私も次第にこの記憶はまやかしか何かなのだと思うようになっていきました。

そんなある日に私は夢をみました。近所にある公園のベンチ、しかも塗装がかなり剥げたそれに貴方と並んで座って温かいココアを飲んだ事を。そして温かい飲み物には“こ”がよく付くと唐突に貴方が仰った事を。そう言いながら貴方が無邪気そうに笑ったのを。あの時見た夕焼けを、思い出しました。起きた後、そのようなとりとめもない貴方との出来事が一気に流れ込んできて、気付いたら言い様のない虚無感が襲った次第です。

すぐ近くのコンビニに行くだけで道に迷うし、当の貴方は無自覚ときたもの。普段はぼんやりとしていらっしゃるのに急に優しくてかっこよくて、そんな貴方がいとおしくて。無骨な男性らしい掌も、大きく動く喉仏も、垂れ気味の瞳も、柔らかい髪の毛も、低いその声も――何もかもが魅力的に思えてました。

しかし今は覚えていてもいつかは忘れてしまうのが人間というものです。けれども私は貴方を忘れたくないと感じました、もう名を思い出せない貴方を。ですから、私はこのように記憶を手紙に残す為にこうして筆を取っている次第にてあります。


いつかその表情も声も口調も態度も朧気になってしまうであろう貴方へ。今一度、申し上げます。私は貴方に恋をしておりました、ずっと、ずっと好きでした。


名を伝えられなかった私より】




「コンビニに寄ってアイス買いにいかね?」

『良いけれども、迷わないでくださいね』

「目の前何だから迷う訳ないだろ」

『それ、ギャグで――



(忘却へ、)


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追記

2012/11/28 07:36

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