ザクセンと正義王
  


「ザクセン、キミに名前はないのか?」



穏やかな昼頃であった。

寝坊助もベッドから離れ、小鳥らが仲睦まじく美しい声で囀ずり合っているこの時間帯。

そんな中この王国の長であるフリードリヒ・アウグストは書類に目を通しながら唐突にそう問うた。


その問いを向けられたであろうこの王国の“概念”であるザクセンは思わず剣の手入れをしていた手を止める。

次いで澄んだ青空を思わせる瞳を真っ直ぐアウグストに向け、少し間を置いてから口を開いた。



『…急にどうしたのですか?』



きゅっ、と眉を怪訝そうに寄せて問い質すザクセンを見てみぬフリか、アウグストは優雅にカップに口を付ける。


ザクセンはその行動に異を唱えることはなく、只何も言わずに彼の行動が終わるのを待っているのみである。

そしてまたもや優雅にカップを置いてからアウグストはザクセンを初めて視界に映し、



「いや、ふと気になったんだ」



と何でもない風に、否、本当に何かがあった訳でもなくその様に彼は言った。


それにはザクセンも拍子抜けしたようで不意に床に落としてしまいそうになる愛剣(の柄)を慌てて掴む。

普段隙を一切見せないザクセンの人間らしい部分を目撃してか、アウグストは穏やかな慈愛を含んだ瞳を向ける。

その瞳をむずかゆく感じたのか、はたまた尊敬する主君に自分の失態を見られたことが恥ずかしく思ったのか、ザクセンはわざとらしく一つ咳払いをした。



『まあ一応素性を隠すときは“ザンドラ”と名乗っています』

「ファミリーネームは?」



ザクセンが返答した内容に疑問を思ったのかアウグストは今までずっと手にあった書類を机に置き、どこか食い入るような目で問いかけた。

その問いに何でもない風に答えたのは今度はザクセンの方である。



『そんなものありませんよ

それって親から貰うものでしょう?


私にも家族みたいなのはいますが、それ以前に国である自分たちに親はいませんからね』



鋭さを増した愛剣を頭上にかざしながら答える彼女は一つの絵画のように美しく気高かった。

勿論この空間にたった一人その様子を見ていたアウグストも思ったことは一緒のようで、無意識に出かけた感嘆の声を慌てて呑み込む。


しかし彼女も些か異議を唱えたくなる名前を選んだものだ、と静かにアウグストは考える。


それもそうだろう。

国である存在に果たして性別という概念があるかは知らないが、ザクセンの見た目は誰がどう見ても女性である。

その彼女にザンドラという名は少し男らしすぎるというか、もう少し女性らしい名前があっただろうに。


どこか無頓着にも思える祖国にアウグストは呆れを含んだ視線を宙にさ迷わせた。



「ならば私のアウグストをキミにあげれば問題ないな」



幾分かぬるくなってしまったカップの中身を口内で味わいながらそんな事を言うと、ザクセンは勢いよく立ち上がる。

その表情には驚愕と恐れが入り交じっており、そこに主君の前では勇ましい国の姿であろうとするザクセン王国の姿はなかった。



『いっ、いえ!

我が王であるアウグスト様の名を頂くなどおこがましい真似など出来ません!

それに、』

「私とキミは親子ではないから?」



息を吸う音が止まった。

その発言は呼吸をすることを忘れさせてしまう程、重い何かがこもった一言であった。


ザクセンの瞳は見開くことにより、色素の薄い睫毛に縁取られた青色が外の光に反射する。

反してアウグストは目をゆっくりと細め微笑みかける、その様子はどこか無邪気な少年のようにも感じた。



「国と王である以前に私はザクセン、キミのことを娘同然に思っている

私のファミリーネームでは不満かい?」

『滅相もございません!』



彼女は他所よりも忠誠心が強い。

そんな彼女が主君であるアウグストの気分を損なわせる言動などめったな事がない限り起こり得ないことくらい知っているはずだ。


しかし彼は愛する祖国がたった1世紀も生きることが(当たり前の話だが)出来ない人間から名を譲り受けることを嫌っているのでは、と杞憂していた。

故にザクセンから了承の声が聞けた時、アウグストの顔は言い様のない喜びに満ち溢れていたのである。



「ならばキミの名前は今日から“ザンドラ・アウグスト”だ

分かったかい、ザン?」

『ザン…?』



アウグストの言葉を不思議そうにおうむ返しするザクセン、それもそうだ、つい先程まで彼はザクセンと確かに呼んでいたのだから。


豆鉄砲をくらった鳩のような表情を浮かべるザクセンは国ではなく一人の女性のようで、そんな彼女を現在見ることができるのは王である自分のみだ。

そのことに優越感を覚えたのか、本日のアウグストは機嫌も良さげでありこれなら仕事も捗るであろう。



「キミの人名はザンドラだから縮めてザンだ、いい思いつきだろう?」

『…えぇ、本当に、素晴らしい名です』



いたずらっ子のように片目を瞑るアウグスト越しに、ザクセンは何か遠い過去を思い浮かべているように見える。

そして誰にも拾われない本当に放たれたのかも怪しい声量でザクセンは誰かの名を呟くのであった。




(ウィドゥキント、)



最早単編レベルの長さ
ザクセンが人名を貰うあたりのくだりも書きたいです

落ちは勿論ぐだぐだ



2012/08/22 17:03

|