*彼と彼女のはじまり
あの日をよく覚えている。
任務帰りにあの地面に広がる赤を遠目に見たとき、ああまたかとどうしようもない苛立ちを覚えた。
一体なんのために鬼の頸を斬っているのか。
一体なんのために柱になったのか。
鬼にも自分にもこの世界にも、全てに腹が立つ。
せめてもの供養を、と思い近づいていくと、そこには一見遠くからでは分からないほど全身が赤に染まった誰かがいた。それはとても小さく丸まっていて、生きているのか死んでいるのか、もはや人間なのかも分からなかった。
ひゅ、と一瞬呼吸を忘れる。
だがなにもせずにこの場から逃げてしまうほど生半可な気持ちでこの隊服を着ていない。
肩を掴み仰向けにするが、顔にも赤がついていて性別が判断できない。そしてその口元の赤は、まるで鬼のようだった。
首元に手を当て脈を確認すると、ドクンドクンと波打つ感覚を指先に感じた。
生きていた。
意識を失っていただけだったらしい、だとしたらすぐに治療しなければ。
この血が当人のであっても誰かのものであっても、夥しい血の量だ。少なからず怪我はしているはず。簡単に怪我の箇所を探すけれどどこにも見当たらない。ひとまず連れ帰ることを優先したほうがいいと判断し、軽い体を抱え屋敷まで急いだ。道にはポタポタと鮮明な跡を落としながら。
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「……はぁ?なわけねぇだろ、」
「それが本当に傷一つないの。呼吸は少し浅かったけど今は落ち着いてゆっくり寝ているわ。」
胡蝶に治療してもらうのが早いと判断し、蝶屋敷に直行した。少し待つと胡蝶カナエが深妙な顔をしてこちらに来たから、ああ間に合わなかった、と。
この手から大事なものはすべて零れ落ちる。
身近な人も死なせてしまうのに、ただの赤の他人を救おうなんて烏滸がましい話だったのだ。
だが予想に反して傷一つない健康体だと聞き、少し鉛が軽くなったように体が軽くなった。
だがその、傷一つ、という言葉に違和感を覚えた。そんなわけがない。
「部屋はどこだ。」
「さっき落ちついたばかりなの、しばらくは安静にしてあげて。」
「…怪我の確認をするだけだ。」
「………分かったわ、」
静かにしてね、と釘を刺すように言われながら、連れて行かれた部屋には複数のベッドがあった。一つ一つのベッドを確認しながら足を進めると、一番奥のベッドに眠るひとりの少女だけがいた。
入り口からじゃ見えないくらい、頭は布団に埋もれていた。
そうか、女だったのか。
顔の赤は綺麗に拭われ、長い睫毛と白い肌は先程からは考えられないほどだった。
微動だにしないその少女に、本当に生きているのだろうかと不穏に思う。ゆっくりと少女の枕元に手をつき、顔に耳を近づけるとスゥと寝息が聞こえてきた。生きている、生きている。
「……生きてる。」
「ねぇ不死川くん、」
「………。」
「この子はしっかりと息をしているわ。大丈夫だから、ね?」
この女はなにを言っているんだろう、
ただ俺は傷一つないという胡蝶の言葉が引っかかって、確認しにきただけだと言うのに。
「傷や怪我は本当に一つもないわ。女の子の身包みを取って確認するわけにもいかないでしょう?」
確かに胡蝶の言う通りだった。
枕元に置いていた手を引っ込めて上体を起こすと、ギシッとベッドが軋む音がした。
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少女の安否を確認したあと蝶屋敷を出て産屋敷家に向かった。
そしてお館様に今日あった一連のことを報告した。
そして、どうしても一つ引っかかることがあるとも。
「なるほど、一人の少女だけ生きていたと。」
「ですが周りには大量の血だけが流れていました。少なくとも二人から三人ほどの人間の血だと…、」
「少し、引っかかるね。」
やはりどう考えても腑に落ちない。
それはお館様も同じのようで考え込むかのように、視線を落とし顎に手を添えていた。
明らかにいつもとは違う、非日常的なことが起こり、あの少女は今生きている。生かされている。
その状況にぞわりと妙な感覚を覚える。
「複数いる人間の中でその少女だけが無傷の状態で助かっている。鬼側になにか問題が起こり去らなくてはならなかったにしても、殺さない理由はない。」
「実弥はどう思う?」
「考えにくいですが、その少女が鬼を斬ったか、少女を食べられない理由があったか…。」
「今の状況ではどれも想定にしか過ぎない。少し様子を見たほうがいいかもしれないね。」
お館様はにこりと俺に微笑むと、そうだ、と閃いたかのように声を弾ませた。
「実弥、君が少女の面倒を見てあげてほしい。」
一瞬言葉の意味が理解できなかった。
俺が、面倒を見る?
あの今にも死にそうな少女を?
「…お言葉ですがお館様、他に適任はいくらでもいます。ですが私にはとても、」
もうなにかを背負うのは懲り懲りだ。
背負って助けられないのは承知しているから。
それに俺が面倒見るだとか鬼だとかいうその前に、なにもしなくても一人で死んでいきそうな少女だというのに。
もう目の前で誰かを失くしたくないのに。
「大丈夫だよ。なにも継子にして育てろと言っているわけじゃない。それにその少女に至っては定かになっていない点ばかりなんだ、鬼殺隊で預かるしかない。」
それに、
実弥が一番適任だよ、と微笑まれ、俺はなにも言葉が出なかった。
そんなわけがない。
家族を死なせ、兄弟子を死なせた俺がこれ以上誰かの命を背負っていいわけがない。
だけどあの少女は、生きていた。
今にも息を引きとりそうだけれど、生きていた。
それをこの身で確認したときのあの形容しにくい感情は、安堵というにはあまりに優しすぎて。
だけど思わず涙が零れそうになるほど、よかった、と心から思いが溢れたのも事実だった。
「引き受けてくれるかい?」
「………御意。」
それが、苗字名前という当たり前が増えた日だった。
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「やっと目覚ましたかァ。どうだ?体調は。」
「………空いた、」
「あぁ?」
「お腹が空いて、死にそう。なにか食べ物を、」
「…………おはぎならある。」
「おはぎ!!!!!!!やったぁ!!!!!!」
「……うるせぇ。」
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