どうしてこうなったんだろう。
そう考えても、目の前のこの状況は変わらないのだけど、やっぱり考えざるを得ない。
視界の先には陽が落ちたことで静まり返った街並み。何回ここを通っただろうか。今日は諦めてここに寝るしか…、いや野宿なんてどうだっていい、とりあえずこの空腹を満たしたいだけ。だけど、もうどの店も閉まっている、イコール絶望的。
「…帰りたい。」
今日は昼過ぎから任務で鎌倉の方に一人で来た。というのも実は初の一人の任務で、かなりドキドキしながら来たのだけれどまぁどうってことなく鬼の首を斬ることができた。それからだ問題は。
何事もなく任務を終えたのが陽が落ちてから1時間ほど経ったあと。そしてそのまま帰路につくはず、だったのだけどわたしの腹の音は陽が落ちる前から鳴りっぱなし。
かなりの限界まできていた。
だけど必要以上の銭金を持ち歩いていなかった、だからカラさんに持ってきてもらうようお願いしたのにあの頭ど固い鴉は、早く帰るぞの一点張り。まぁ、そんなこんなで喧嘩別れをしたわけで、今現在帰り路が分からず途方に暮れているわけで。まさかカラさん先に帰るとか考えられる?いやでもわたしもあの時大人しく帰っていれば今頃飯にはありつけて…。
「はぁぁぁあ。」
考えても仕方がない。金もないものはない。
カラさんと別れてから3時間は経ったが、もう一度戻ってきてくれる気配もない、ということは日が昇り人が動き出してから帰り路を尋ねるしかない。藤の家に向かおうとも思ったがなんせ路が分からないこと分からないこと。下手に動いてさらに迷ってしまうことのほうが最悪だ。それか心配してくれた実弥さんが迎えにきてくれたりなんて、
そんな願望にも近い思いを巡らせながら、街並みから少し離れたところにある腰掛けに座った。
夜が明けるまであと数時間。
少し仮眠をとることにしよう、そしたらすぐ朝は来るはず。そう思い、腰にかけていた刀を取り抱えながら、蹲るようにして腹の空きを忘れるようにと必死で目を瞑った。
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どのくらい寝ていたのだろうか。ふと背中にぞわりとした悪寒が走るのを感じて、反射的に目を開いた。
なにか悪夢を見ていた気がする、それもなぜか思い出せないけど。
起きたばかりのせいか頭が働かない、けれどまだ日は昇っていないのだろう。辺りはまだまだ真っ暗だった。いやそれにしても、この嫌な感じは一体。
「……!!」
眠りから覚めた一瞬は気付かなかった、けどこの嫌な感じの正体はきっとこの背中に当たる何らかの違和感。誰かがいる、という気づいた瞬間、ツーと背中に汗がつたるのを感じて思わず鳥肌が立った。誰だ誰だ誰だ。気持ちが悪い。怖い。
実弥さん、なわけがない、きっとこの感じは、
「目が覚めたかい?」
ゆっくりと、蹲っていた上体を起こした。真っ暗闇の中、わたしの背中に手を当て目の前に佇んでいる人影がゆらりと揺れた。月明かりに照らされ、帽子を被って綺麗な服に身を包んでいるこの人物の顔は、影で見えない。
でも、なんだろう。
初めて感じるこの悍ましい雰囲気は。
「それで教えてもらおうか?君は何故鬼殺隊の服を着ている?」
「は、はあ、それはわたしが鬼殺隊だからでしょう。」
一刻も早くこの人から距離を取らなければ。
そう思っていても足が動かないのは、わたしが恐怖で足がすくんでいるせいか。煩く鳴り続ける鼓動を抑えながら、強気に声を発してみるけれど、喉の渇きからかうまく声が出ない。それに声が震えている。なんてザマだ。
分かっている。こんなにも恐怖を覚えている理由は、こんなにも体が震えている理由は、こんなにも汗が止まらない理由は、きっと。
「……鬼、ですよね。しかもかなり手練れの。」
「ほう。君は私を知らないのか。」
今まで鬼を斬った経験は浅いとはいえ、対峙することは人並みにあった。だけど今までに会ったそいつ等とは明らかに格が違う。この禍々しい空気は並大抵の鬼ではない。恐らく数え切れないくらいの人を喰い殺してきたんだろう。
それならば、わたしは鬼殺隊の一人として。
由緒ある柱の中で誰よりも鬼を滅する執念を持ち、"殺"の文字を背中に掲げる方の継子として。
わたしはこの鬼の首を斬るため、刀を持たなければ。
怖い、という気持ちはなくなったわけではない、だけど先程までの震えは無くなった。
実弥さん。
実弥さんの継子として、わたしは貴方のためだったら、
そしてわたしは刀の柄に手を添えた。
「どうしたその目は。まさか私の首でも斬ろうとしているのか。」
「そのまさかです。鬼は全て滅する。これがわたしの教えです。」
そう言うと、笑っているのかククと喉を鳴らしている。何が可笑しいのか。この鬼はきっとわたしを舐めている。隙を見えた瞬間抜刀し首を斬る。呼吸に集中するんだ。
「そう構えるな。やはり長く生きていると面白いものが見れるものだ。」
鬼は私の背中に当てられている手をスーと動かす。背中、腕、首、耳、頬と滑るように触れる手に、思わずごくりと喉が上下に動く。
その手はわたしの頬を包み込むようにして動きを止めた。思わず鳥肌が立つほど冷たい手に、呼吸を忘れてしまいそうになる。身体が、動かない。
「名は何と言う。」
「…今から殺すか殺されるかなのに、名乗っている状況じゃないでしょう。」
「私は名を聞いているんだ。」
「…苗字 名前。」
「そろそろ夜が明ける。名前、また会いにくるよ。」
どういうことだ。
なぜわたしを殺さないまま、姿を消そうとする?
状況が理解できないまま、鬼は添えられている手の爪を立てわたしの頬にあてた。頬に食い込んだ爪が肉を裂いているのだろう。痛みを耐えられなくなり顔を背けるのと同時に鬼の手が宙を舞った。それは恐らくわたしの血と共に。
頬につたる血を感じると、地面にぼたぼたと落ちている。
太陽が顔を出す。
真っ暗闇だった視界はだんだんと灰色になってきて太陽をまだかまだかと待っている。
鬼の顔がやっとはっきりと見えるようになった。
一目で鬼とは分からないほど人の顔と変わらない。
端麗な顔立ちに似合わず、顔に色がなく正気を感じさせない。一見人間と間違えてしまいそうではあるが、目の奥にある人の血肉を求める渇きは鬼のそれと変わらない。
「その傷は君でも治らない。印としてとっておくといい。」
「ま、待って!!」
そう言葉を残すと、わたしの言葉に応えることなく夜とともに消えていくかのように鬼は姿を消した。
わたしの頬から流れる血は止まることなく、鮮明な赤色をして地面に後を作っていた。
そして陽が昇り、長い長い夜が終わった。
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