どうしてこんなことに、だなんて考えても、もうどうにもならないことはどうにもならなくて。
この状況をどうしたらいいものか。
色々考えてはみるものの、わたしの頭ではキャパオーバーだ。





昨日の夜から軽めの任務に駆り出されたわけだが、帰ってくるなりなんなり屋敷が妙にしんとしていた。ザァと冷たい風が頬を横切る。
疑問に思いながら足を進める、と。
目の前ではわたしの師範である実弥さん、そしてその近くには、弟である玄弥くんがいて。



それはもうパニックである。

いやなんでとか、大丈夫なのかとか、考えはするものの体は動かない。それは前にいる二人から醸し出される雰囲気が、とてもじゃないけど血が繋がっている者同士とは思えなくて。一触即発といったところか。とてもじゃないけどわたしが軽々しく入っていけるような、そんなものではなかった。

実際のところ二人の間に何があったのかなにも知らないわけだが、知らないままでいいと思ってる。
実弥さんが話さないということは、きっとわたしが聞かなくていいことなわけで。
知りたいと思うことは、実弥さんと「忘れる」と約束したあの時のことを破ってしまうことになる。
それだけは、絶対に。


そんな手前、なにも知らないわたしがのこのこと入っていけないわけである。
いや知ってたとしても無理か。なんだこの空気。













実弥さんがちらりとこちらを一瞥した。
立ち往生しているわたしに気付いたみたいだ。
聞こえはしないが、実弥さんが玄弥くんになにか言葉を発し、そのまま屋敷の中へ戻っていった。
玄弥くんはというと、ただ下を向いて、立ち尽くしていた。

ゆっくりと玄弥くんのほうに足を進めると、足音でこちらに気付いたのか顔を向けられる。
わたしの顔を確認するなり、玄弥くんの顔はくしゃりと歪む。それはどういう顔なのか。




「や、やっほー。お久しぶりです。」

「………。」

「あの、どうしてここに、」

「苗字名前。」

「へ、」

「アンタの名前。アンタ、兄貴の継子だろ。」



いつの日か「忘れてください」と言った自らの発言を思い返す。ああ、言ったな。なんて。
あのときは実弥さんに弟がいるって知って、そして実弥さんの兄弟に会えて嬉しくて。
昔の実弥さんのこととか色々聞きたかったけど、でもそれはやっぱり順番が違う気がして。最初は実弥さん本人の口から聞きたいって思ったから。
だからわたしが玄弥くんと会ったことを知られないように、彼の継子だって知られないように、と名前を忘れてと頼んだのだった。
まぁ現にバレてしまっているわけだけど。




「えーーっとはい。そうなんです。ごめんなさい、あのときは忘れてくれなんて、」

「馬鹿にしてんのか?」

「え、」

「俺がこうやって兄貴に相手にすらしてもらえねぇの知ってて、それを分かった上で、自分が継子ってこと隠してたんだろ。」

「ちが、」

「胸糞悪りぃ。」






そう言い残すと玄弥くんはわたしの横を通り、屋敷の出口に向かって足を進めた。
わたしは呆然とその背中を目で追う、が眉を下げて切なそうな顔をした顔が頭から離れない。
決して馬鹿にしているなんて、そんな訳なくて。
けれど、隠していたことも事実で。
弁解の余地がないと、追いかけても声を掛けてもすべて逆鱗に触れるのではないかと、思いもしたが、このままにしておきたくないとその一心で玄弥くんの後を追った。














「あの、玄弥くん!」

「………。」

「ちょ、待って!」

「………。」

「歩くの、速すぎ、」

「………はぁ、引っ張んなよ。」


屋敷の門を出ても尚、歩くスピードを緩めない玄弥くんに追いつくのはやっとだった。いや、もう歩くというより最早走ってた。
どうにかして足を止めてもらおうと、袖を強く引っ張る。
どうも既視感を覚えるなと思えば、そうだ。玄弥くんと初めて会ったときもこうやって去る姿を追いかけながら袖を引っ張ったっけ。あのときは体調が悪かったのか青ざめた顔をしていたな。
あ、でも、ひとつ違うのは、あの時は強く振り払われた手が、まだしっかりと彼の袖を持っていること。
顔だけこちらを向けられる、複雑な表情。







「名前を忘れてくれなんて、意味が分からないことを言ってしまってごめんなさい。」

「………別に、」

「でも、絶対に馬鹿になんて、」

「あーーー、いい。さっきは、むしゃくしゃしただけで、」



謝ってもらおうって思ってない、と次第に声量が小さくなりながらも最後にぼそりと言った言葉が鼓膜に届く。
それでもやっぱり、玄弥くんに言われた言葉が消化されずにぐるぐると頭の中で回っている。
これ以上謝ってもそれは彼を辱めるだけなのではないかと思うと、ごめんなさいと喉まで出かけた言葉を飲み込むしかなかった。




「今日はどうしてここに?」

「……傘を返しに。」

「傘?」

はて、傘とはなんの話なのか。
実弥さんは玄弥くんに傘でも貸していたのだろうか、否そんな訳がない。
今日の様子を見るに兄弟の間で何かしらの溝があることは確かだし、それは一方的に実弥さんが避けているように感じる。現に、玄弥くん本人も相手にしてもらえないと言っていたか。
となると、傘が気になるところ。
理解できずに首を傾げていると、いつまで引っ張ってんだよ、と袖を掴みっぱなしだったわたしの手を一瞥する。手を離すとこちらに正面を向けてくれた。





「アンタに返しに行けって言われたんだよ。悲鳴嶼さんに。」

「悲鳴嶼さん?あ、そういえば貸しました…、けどたしか弟子に返しにいかせるとかなんとか…。」

「だから返しにきた。」

「へ」



そう言う玄弥くんに一瞬思考が停止する。
悲鳴嶼さんの弟子が玄弥くん、ってことなのか。いやそれ以外ないか。にしてもなんていう偶然というか何というか。実弥さんはそのことを知っていたのだろうか。




「それで、あの傘アンタに返す前に兄貴に折られてさ……、」

「え、あ、あの傘?あ、全然大丈夫ですよ。気にしないでください。」



気づけばひとりで考え込んでしまっていた。思わず大丈夫なんて言ったものの、あの傘隊員の誰かのを勝手に借りたんだよなぁ。今度新しいもの買わないと。
ていうかそもそも折った実弥さんが悪い。実弥さんに買ってもらおう。そうしよう。


そうか、と安心したような顔を見せる玄弥くんに笑ってみせた。
玄弥くんは、とてもいい人だ。








「じゃあ、俺帰るわ。」

「体に気をつけてくださいね。」

「………、」

「玄弥くん?」

「……いや、じゃあな。」





そう言って背中を向けて歩き出す玄弥くんをぼうと見つめる。

二人の間になにがあったんだろうか。ああ、だめだ。「知りたい」と蓋をした感情が顔を出す。
玄弥くん、最後何か言いたげな顔をしていた。
実弥さんのこと?と聞こうとして、やめた。きっとそうだろうから。聞きたくない。知りたくなるから。くそ。なにも知らない顔をして、ただ隣にいたい。きっと今のわたしは、何があったのか聞きたい、知りたいってそういう顔をしている。







大きく息を吸い込んでゆっくりと吐き出す。
何度か繰り返すと次第に思考がまともになってくる。よし。大丈夫。大丈夫。
最後に顔を軽く叩くと頭がリセットされた気がした。
踵を返して屋敷の中に戻ると、先程の場所にすっかり形を変えた傘がさびしく落ちていた。




























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